第4話
「働いてばっかで飽きたよ〜! デートしようよ〜」
「分かった」
長椅子に寝転んで駄々をこねるシャノンに、イザベルが答えた。
淡々とした口調でデートを了承する真面目な恋人に、シャノンは狼狽えながらも素早く起き上がる。ついでに、傍で聞いていたオリヴィアも、普段とは違う恋人らしい会話に動揺していた。
「えっ、いいの?」
「昨夜話したとおり、冬ごもりの準備はあらかた整った。オリヴィア、どうだ?」
「ひゃい、大丈夫でふ!」
編み物の手を止めていたオリヴィアが勢い込んで噛んだが、イザベルは気にせず続ける。
「じゃあ、オリヴィアも今日は休んでくれ。私たちは少し外に出る」
イザベルは立ち上がって、コートを羽織った。
「シャノン、支度しろ」
じわじわと、シャノンの顔に満面の笑みが浮かんでいく。
「うん!」
イザベルがブーツで雪を踏むと、くぐもった音が鳴った。
外は、ちらちらと雪が舞っていた。雪はまだ浅く、イザベルのくるぶし程度しかない。外気に晒された耳と鼻の先が、痛いほどに冷たい。
シャノンは、イザベルに続いて外へ出るなり、
「わーい、デートだー!」
と叫ぶと、助走をつけて勢いよくイザベルに抱きついた。振返りざまの衝撃にイザベルの口からは「ぐぇっ」と変な声が漏れる。
「えへへ〜。デート、嬉しいなー」
幸せを噛みしめるように、シャノンは呟いた。熱い吐息が、イザベルの耳にかかる。本当に嬉しそうに言うものだから、イザベルは何と返せばいいか分からなかった。
「……痛いから早く離せ」
「んふふ〜」
照れ隠しの言葉はお構いなしに、シャノンはギリギリと抱きしめることをやめない。そして、シャノンより背の高いイザベルを持ち上げると、右へ左へと振り回しはじめた。
「な、やめろ!」
「今日は〜、楽しい〜、デート〜、だよ〜!」
左右に振られる度、地面から離れた足が遠心力でさらに浮き上がる。腕ごと抱きしめられているせいで、イザベルはシャノンにしがみつくともできない。
振り回す勢いはだんだん強くなっていく。
「いい加減にしろ」
イザベルは頭を振り下ろして、シャノンに頭突きした。
「うぐっ」
頭は痛んだが、拘束は無事解けた。振られた勢いのまま飛ばされたイザベルは、少し離れた雪上に着地する。
「いったーい!」
「私もだ」
寒さもあって、余計に痛みを強く感じた。
額を抑えてまだうずくまっているシャノンに、ため息をつきながらイザベルが手を差し出す。
「ほら、行くぞ。デートなんだろ」
座ったまま呆然と見上げるシャノンの腕を取って、立ち上がらせる。手袋越しに指を絡めるように手を繋ぐと、シャノンの手を引いてイザベルは雪道を歩き始めた。シャノンが、顔を赤くして付いていく。
雪が白く覆い隠すのは、いくつかの廃墟と瓦礫だ。人が暮らしていた名残であり、人が消えた後の成れの果てである。
二人は白い息を吐きながら、終末の後を歩いた。
ブーツが雪を踏みしめる音。二人の呼吸。
黙っているとあまりに静かで、世界にたった二人だけ取り残されたようだと、イザベルは思った。
二十歩ほど進んだ頃だろうか。しおらしかったシャノンがいつもの調子を取り戻して、はしゃぎはじめた。
「イザベルが、恋人だー!」
「何を今更」
シャノンが二人の隙間をなくそうと近づくので、足を踏み出すたびに肩がぶつかる。
シャノンはニヤニヤと笑って、イザベルの顔を覗き込んだ。
「オリヴィアと仲良くしてたから、嫉妬でもしたー?」
「してない」
「えぇ〜」
(するわけないだろう)
その言葉で、表情で、眼差しで、全身で、自分を好きだと、四六時中伝えてくれているのに。
唇を尖らせてむくれるシャノンの頭を、イザベルは乱暴に撫でた。
「わー! 髪ぐちゃぐちゃ〜」
デートなのに、と喚きながら、シャノンは手櫛で髪を整える。イザベルは喉の奥でククと笑った。
「ただ、意外だったな。敵視しないだけじゃなくて、親しくなるのは」
「あー」
シャノンは、すぐには答えなかった。少し遅くなった歩調に、イザベルが合わせる。
「なんかね、お姉ちゃんと似てるの」
少し俯いて、シャノンは呟いた。
嬉しそうな、けれども泣きだしそうな声だった。
「お姉ちゃんはもっと落ち着いてたけど……他人にも優しいところとか、命を尊ぶところとか……オリヴィアといると、お姉ちゃんを思い出すんだ」
「……そうか」
愛する人に出会ったからといって、過去の苦しみが清算されるわけではない。悲しみも、怒りも、憎しみも、変わらずその人を構成する部品で、その人を突き動かす燃料だ。
顔を上げたシャノンは、困ったようにイザベルに微笑んだ。
「ここだ」
イザベルが足を止めたのは、外壁をわずかに残すだけの廃墟だった。繋いでいた手をほどくと、イザベルは何かを探すように、地面に積もる雪を靴で払いはじめた。
「ここー? というか、目的地あったんだね」
ただの散歩かと思ってたよ、とシャノンが辺りを見回す。しかし、特に目を止めるようなものはない。
少しすると、イザベルが「あった」と呟いた。
「雪と瓦礫で分かりにくいが、この石段を降りると地下に魔導具の工房がある」
「工房?」
「足元に気をつけて。手すりは錆びて脆くなってるから、触らない方がいい」
道幅は、一人で歩く分には余裕があるものの、二人横並びで歩くには狭い。イザベルが先導して、石段を降りる。
降りるごとに視界は暗くなり、足元が見えにくくなった頃に左右の壁に明かりが灯った。さらに進むと、進んだ先で同じように明かりが灯る。どういう原理で作動しているのか、イザベルには分からない。
「すごいね」
感嘆か畏れか、シャノンの小さな声が、地下に反響した。
石段に雪は見えなくなり、代わりに苔が茂っている。
「ねえ、イザベル」
「なんだ」
「人探しが終わったら、イザベルはどうする?」
背後から聞こえるシャノンの言葉に、イザベルは動揺した。
「考えたこともなかった」
自分の旅に、終わりがあること。その終わりの続きを、生きること。イザベルは、旅を続けてきて――両親とともに旅をして、一人で旅をして、シャノンと旅をして――、その間で一度も、自分の使命を果たせるとは思いもしなかった。
「もし見つけられたとしても、その後に何が起こるか分からないからな……。全ての顛末を見届けるよ」
「その後は?」
階段は、まだ下に伸びている。あとどれだけ降りればたどり着くのか、奥は闇に包まれて判然としない。
イザベルは返答に迷って、質問を返した。
「お前は、どうするんだ」
「そうだなあ。うーん……お姉ちゃんのお墓参りに行こうかな」
「そうか」
「旅をして、いろんな場所に行って、いろんな人に会って……お姉ちゃんに伝えたいことがたくさんあるなぁ。もちろん、結婚式のことも。でも、人殺しは、怒られちゃうかな」
深く、深く、地の底へ、二人は階段を降りていく。
「……怒っても、お前を嫌ったりしないだろう」
「そうかな。そうだといいな」
心細そうにシャノンが呟いた。陽の光の届かない地下に、ブーツが石畳を叩く音だけが響く。
階段を降りた先には、錆びた扉があった。蝶番はとうに壊れていて、入口に立てかけられているだけだ。イザベルは、それを両手で支えながら膝で押して、近くの壁に立てかけた。
「意外ときれいだねぇ」
階段と同じ照明が、少し手狭な地下室を照らす。
まず目につくのは、部屋の中央にある円状の台座だ。その他は、本棚や机といった木製の家具がある程度で、旧時代における一般的な私室と相違ない。
不思議なことに、部屋は埃などもなく清潔に保たれていた。自分の知らない魔法の影響だろうと、イザベルは推測する。
キョロキョロと部屋を見回すシャノンに、イザベルが告げる。
「ここで、指輪を作る」
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