02 おきつね男子、ケンちゃん-02

 きつね男子は白い歯を見せながら、わたしたちが注文したものを差し出した。

「お待たせしました」

 盆の上に、湯気が立つうどんがあった。

 濃いめの出汁の中に、つやつや光る白い麺が沈んでいる。麺の上にある四角い油揚げは、斜めふたつに切り分けられていた。

 揚げに品よく乗っているのは、刻まれた青葱。鰹の香りが、かすかに鼻先をくすぐる。

 丼と並んだ小皿には、かやくごはんのおにぎりがひとつ。

 おにぎりの横には、昆布の漬物が添えられていた。赤い蝶々結びの箸置きが、竹箸の色つやを引き立てている。

 東堂は待ち構えたように箸を伸ばす。

「茉莉ちゃん、とりあえず食おう」

「う、うん」

 もじもじしていると、若い店主が声を掛けてきた。

「お腹、空いているのでしょう」

 心の中を見透かされたようで、頬が熱くなる。東堂が箸を止めて、こちらへと顔を向けた。

「うまいぞ」

「い、いただきます」

 もう、どうにでもなれ。

 一瞬、かたく目をつぶってから。うどんを一口分、箸に取る。唇に寄せると、鰹の匂いが鼻先をかすめる。

 つるんとした感触が喉を通った。

 ひとくち食べてしまったら、止まらなくなっていた。嘘いつわりなく、体の芯から温かくなっていく。わたしと東堂は無言で、一口も残さずにたいらげている。

「ごちそうさまでした」

 言って、両手を合わせた。きつね男子が、目尻を下げる。

「お粗末さまでした。ほうじ茶でも、いかがでしょう」

「いただいても、いいの」

「もちろんです」

 東堂が丼から顔を離した。

「ごちそうさま。つめたい水を、くれないかな」

「はい」

 男の子は、そう言って壁の方へと振り向こうとした。東堂が、それを手で押しとどめる。

「あ、やっぱ。ちょっと待って」

「はい?」

 きつねのお面の下、男の子は目を丸くした。東堂が、軽く咳払いをする。

「あのさぁ」

「はい」

 返事をした男の子の目が、すっと光る。

「きみ、やっぱり。きつねなの」

「はい、そうです」

「しかも、お初天神の」

「ええ」

 男の子は、にっこりと笑った。東堂を見ると、感慨深げに腕組みをしている。わたしは唇をぽかんと開けて、遣り取りを眺めているばかり。

 きつね、だって。

 こんなことって、あるの。

 じゃあ、わたしたちは。きつねが作った、きつねうどんを食べたってこと? なにそれ? 

 思わず、頬っぺたを両手で挟む。けれども東堂は、こんな事態は当然と言わんばかりに堂々としている。

 なんで東堂くんは、こんな夢みたいな状態を当たり前のように受け入れているのよ。

 あっ、きっと連日の残業のせいで、心のどこかが壊れちゃったんだね。大変だもんね、毎日まいにち。うん、そうだね。そういうことって、誰にでもあるものね。

 え? じゃあ、わたしは? わたしも東堂くんと同じ「まぼろし」を見ているの?

 頭が痛くなってきた。

 わたしは下を向いた。東堂の不思議そうな声がする。

「どうしても、わからないんだ。神社のきつねと言えば、神さまの使い魔だろう。それが、なんの酔狂で」

「こんな、うどん屋なんか。ですか」

 男の子が、問いかけを割った。

「そう」

 腕組みをほどかず、東堂はうなずく。男の子は、東堂とわたしを交互に見つめた。

「あの人形を磨いてくれた人、いつか必ず来てくれると信じていましたから」

「まさかぁ。俺なんかを」

「ホントです。待っていたんです。きっと、ここに来てくれる人だと思っていたから」

 同じような意味の言葉を二度も言ったあと。男の子は、ぽっと頬を染めた。

「まあ」

 わたしは、驚きの声を上げていた。顔中に純粋さと素朴さを広げた、きつねのお面を頭に載せた男の子が、たまらなく可愛いらしいものに思えてしまう。

 自分自身が知らずに忘れてしまっていたことを「きつねくん」が、備え持っている……そんな気がした。だから、かもしれない。身を乗り出して、尋ねていた。

「なぜ『東堂くん』だと、思ったの」

「うーん」

 きつね男子は、ちょっと言いづらそうに唇を尖らせる。

「意味は、ないかもしれません。直観というか勝手に思っただけ、と言われたら、そうかも、なんですけれども」

「うん、うん」

 相槌を打ちながら、相手が他になにかを言い出すのを待つ。いい具合に、カウンター内側の相手は照れたように白い歯を見せた。そして、軽くお辞儀をする。

「名乗りが遅くなって、すみません。ぼくのこと『ケンちゃん』って呼んでください」

「そうなんだね。わたしのことは『まり』でいいわ」

「じゃあ、俺は『東堂』でいいよ」

 この世のモノではない存在と、わたしと東堂は自己紹介を済ませていた。妙な気もしないでもない。けれど、ケンちゃんの前で言うのは野暮だという気がする。

 なぜなんだろう。

 自問自答しながら、ケンちゃんに問いかけている。

「東堂くんがケンちゃんにとって、なにかの『しるし』なの」

「いえ、東堂さんだけではないんですよね」

 おきつね店主は、真摯なまなざしを向けてきた。

「実は。ぼく、探しているものがあって。それを見つけるために手伝いになってくれる人に目星を付けて、ここに集まってもらうようにしているんですよね。実は茉莉まりさんも、その中のひとり」

「探し物、ね。わたしでも協力できるの、あなたに」

 こちらの問いに、ケンちゃんは応える。

「そう」

 黙っていた東堂が、片肘をついて彼を見上げた。

「ほう。俺らは、きみに呼ばれたわけか。よく『神社に呼ばれる』って、こんな感じ?」

「そういうことになります」

「へえ、そんなこと実際にあるんだな」

 身を乗り出した東堂が、鼻の下をこすった。

「じゃあ聞くけどさ。普通の人間が、使い魔を助けられるわけ? その『探しているもの』も気になるけどね」

 ケンちゃんは真顔になった。

「お客さまに求めることは、ひとつだけかな。来ていただいて、気持ちを休めてもらえばいい」

「そんなことで、きみの探しものが見つかるのかい」

 東堂は怪訝な表情になって、きつねくんを見つめた。

「はい」

 大きくうなずいたケンちゃんの頭上にあるお面が、かさりと音を立てる。

「東堂さんも茉莉さんも。ぼく、ずっと待っていました」

「ふうん」

 ふたりの遣り取りを眺めながら、わたしは湯飲み茶碗を両手で包む。ほうじ茶は、すっかり冷えてしまっただろう。

 こころなしか、ケンちゃんの頬が赤くなっている。わたしの視線に気づいた彼が、口元だけをほころばせた。

「あたらしく、お茶を入れましょうか」

「でも」

 ためらうと、彼は軽く片手を上げる。

「この店を開いているわけとか……ぼくがここにいる理由も聞いてほしいんです」

 ああ、そうか。きつねなりに、わたしたちに甘えているのかもね。なんとなく、そう思った。

 だから、言った。

「いただきます」

「ありがとう、茉莉さん」

 ふわっと笑んだケンちゃんに、東堂が声をかける。

「水が飲みたい」

「はい、お待ちください」

 店主の背中をたしかめて、わたしと東堂は目配せをする。なぜか、お互いの考えることが手に取るように伝わりあった。

 ――とことんまで付き合ってよ。

 ――そうね。

 わたしたちは、同じことを考えている。

 不思議な、うどん屋。神社のきつねが食べさせてくれる、きつねうどん。

 決して偶然ではないらしい、この夜の出来事。

 若いきつねのケンちゃんが、この場所に店を開いている理由。

 それらすべてを、知りたくなった。わたしと東堂が導かれるように『この場所』に来た、その理由があるはずだと思えたからだ。

 あの子は『探し物をしている』と言っていた。探し物って、なんだろう。それを探す手助けになれると言われた、わたしと東堂が持ち合わせているかもしれないものとはなんだろう。

 夜は更けていく。

 終電に間に合うのか、明日の仕事に支障はないのか。普段ならば、理性で考えるところだ。そして、それは、おそらく正しいことなのだ。

 けれどもわたしは東堂とふたり、秘密の扉を開けることを選んでいる。

「終電、間に合うかな」

「なんとでもなるよ」

 わたしの問いに、東堂が応えた。

 

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