かながわ学生落語フェス

46 何一つ意味はない

 テスト期間の部活休みが明け、一週間以上ぶりにプレハブ部室の鍵を手にした餌。

「冷たっ」

 金属製のドアの引き手が、餌の指を刺激する。 

 餌は一目散にエアコン前の特等席に張り付くと、リモコンを操作した。


「寒っ」

 ついでやって来た仏像が、ロングマフラーに覆われた首をすくめる。かじかむ手でサブバッグをあさる事十数秒。

 あったあったと言いながら、仏像は茶封筒を取り出した。


「これ、この前言っていた『かながわ学生落語フェス』のチケット」

 エアコンの前に張り付いた餌は、父からもらった英国製ブライドルレザーの財布にチケットをしまい込む。

 そこへ仏像の両手のひらが、まるで托鉢僧たくはつそうのように差し出された。


「チケット代」

「えっ、ただじゃないの」

「んな訳あるか」

「ケチーっ」

 口をとがらせながら小銭入れを取り出していると、ほぼ置物状態の長津田がやって来た。


「長津田君。チケット二枚」

「一人で会場に行くつもりでしたが、どうして二枚?」

「喪男バスツアーで喪男脱出した長津田君に、お相手がいない訳ないじゃないですか。やだあ♡」


 管弦楽部の定演に来なかったクラシックオタクの長津田は、以来『ウルスラ麦茶と行く喪男再生バスの旅』参加疑惑を掛けられている。

 『ウルスラ俺だ結婚してくれーっ!』と寝言で叫んだ前科持ちだが、真実は藪の中。

「一枚でお願いします」

 餌にスルースキルを発動させた長津田は、仏像に一枚返そうとした。


「それは津島君に渡してくれ。耳が肥えすぎて、素人落語は聞きたくないかもしれないが」

 名目上は落研所属の津島は、部活の代わりに週三回ほど中林家菊毬なかばやしやきくまり師匠の家に出入りしている。

 それゆえ、津島のクラスメートかつ元競技かるた部員同士である長津田にチケットを託したのだ。


「それなら分かりました。津島君には確かに渡しておきます」

「金は要らねえ。その代わり必ず来いよ」

 財布を取り出した長津田を、仏像は押しとどめた。


「ずるい。僕からはお金を取ったくせに」

 餌が小さな手足をじたばたと動かしながら猛抗議をしていると、松尾と飛島がそろって顔を出した。


「まだ空席がかなりあるみたいだから、来れそうな奴がいたら誘って」

 豆ちゃんが出演する『かながわ学生落語フェス』の会場は、繁華街の駅からほど近い南風なんぷうホール。

 駅近でアクセス抜群にも関わらず、部員や保護者を集めても満席には程遠い。


 閑散としたホールで落語を披露する豆ちゃんの姿を思い浮かべて、後日追加でチケットを買った仏像。その数合計二十枚。

 父親(しこしこさん)譲りのカモ気質。女の子や年下には財布を開かせないあたりも鏡映し。

 結局の所、良く似た父子だ。




「それにしたって、どうして南風ホールにしたのでしょう。落語会を開くにはかなり広い会場ですよ」

「南風ホール。知らないなあ」

 飛島がコンクールで使用した南風ホールは、腕の立つアマチュアにはなじみ深い中規模ホールだ。

 逆に、今最もチケットが取りにくい若手ピアニストの一人である松尾には縁がない。

 チケットをバッグの内ポケットにしまった松尾は、スマホのダイアリーを開いた。


「他にだれか呼べるとしたら……。下野しもつけ君はサッカー部の新人戦トーナメントの三日目。そうだ、今井さんは」

「ちーっす。お久しぶりんごぱいーん! これハワイ土産。セレブやろ」

 噂をすれば影。

 ビーチサッカー部門の新入部員でありながら、文化祭寄席にも登場した今井が顔を出す。


(『ハワイなのに日本語やん?? ナニコレおかしいやないかい』。これやろ、これでボケと突っ込みの完成や。ほらほら、早よ、早よ)

【スパリゾートハワイアンズ】のロゴ入り袋を見せびらかしつつ、落研部員の反応を待つ今井。

 だが、思いもよらぬ人物から予想外の反応が飛び出した。


「スパリゾートハワイアンズに行くなら『ひたち』一択。もちろん今井さんも『ひたち』に乗車されましたよね」


【♪ソ・ミ・ファー・ミレミファレミー・レドレミドファミレドシソレシドー♪】


「ねえ今井さん、このモーター音を聞いて下さいよ。やっぱり何度聞いてもこの1/fの揺らぎを感じるこのうねり。ここでジョイント音が(以下略)」

 謎のメロディーを口ずさみ、ひたち号の走行音を熱く語る飛島。


「どーもスタルヒン!」

 一発ギャグで寄席に出たものの、アドリブとリアクション芸にはめっぽう弱い。

 飛島の予想外のリアクションに、なぞのセリフを残してビーチサッカーピッチへと急ぐ今井。


「ちょっと待て今井。コレ持ってけ。三百円な」

 そんな今井のポケットに、どさくさ紛れに『かながわ学生落語フェス』のチケットをねじ込む仏像。

「お代はこれで」

 トカゲのしっぽぎりよろしく【スパリゾートハワイアンズ】のお土産袋を後ろ手で投げ渡すと、部室のサッシ戸がぴしゃりと締められる。


「今井さんは多分、『ハワイ土産なのに日本語』とか言ってほしかったんでしょうね」

「スペイン村とかアメリカ村とか、そんな感じのノリが欲しかったのでしょうか? だとしたら今井さんに悪いことしたかも。でも【スパリゾートハワイアンズ】と言えばやっぱり『ひたち』。松田君もそう思うよね」

「いや全然」

 ぴしゃりと飛島の鉄オタムーブを断ち切った松田松尾十六歳は、迷いなく【スパリゾートハワイアンズ】のお土産袋に手を伸ばした。

 中に入っていたのはマカダミアナッツのチョコレートだ。


「そういえば怖い話があるんだけど。仏像知ってる? かなり昔、倉敷チボリ公園って場所が」

「止めろ。倉敷チボリ公園と広島ナタリーの話はそこまでだ」

 マカダミアナッツに伸ばしかけた手を止めて、仏像は餌にきつく釘を刺した。

 ちなみに何一つ意味はない。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。


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