42 木枯らし

 ごく静かなEの単音。そこから派生する葉擦れのようなゆらぎ。

 地に落ちる紅葉のように、ホールがゆらぎを受け止める。

 降り積もるゆらぎは和音へと姿を変え、暫時沈黙。

 そして――


【『練習曲Op25-11(木枯らし) ショパン】


 さあおの空に紅が散る。

 凍てつく風に塵と化す。

 闇を識る日のごとく、風に散る骸のごとく。

 情なく、濁りなく。

 無常の風に紅が散る。

 

 

 松尾とスタインウェイのD-274だけが、もみじホールの舞台上に浮かび上がるよう。

 

 吹き上げる風のような音階が曲の終わりを告げる。

 残響が止むまで、客席は静寂に支配されていた。


※※※


『お忘れもののなきように、お手荷物などを今一度お確かめください』

 明かりの灯ったもみじホールには、飛島のアナウンスが響いている。


「仏像、この後打ち上げに来るよな」

「打ち上げ? 松尾は管弦楽部と打ち上げだろ」

 会場の明かりがついてなお衝撃冷めやらぬ仏像は、三元の声に日常を取り戻した。


「違うって。豆ちゃんさんの一並ひとなみ高校落研の名誉部員就任祝いを兼ねた、俺らの」

「誰がいつ名誉部員になったって?」

 仏像の隣で豆ちゃんも小さく首を横に振る。


「まあそれは置くとして……」

 三元は信楽焼の狸のような顔を、こけしのような豆ちゃんに近づけた。


「うちはにぎわい座の近くで『味の芝浜』って定食と仕出しの店をやってんだ。運が良ければ葛蝉丸かずらせみまる師匠にも会える。それに、ウクレレ漫談の松脂庵まつやにあんうち身師匠はほぼ毎日だし」

「味の芝浜さんの話は、赤飯師匠からも伺った事があります」


「だったら来てよ。こいつら二年は落研のくせに落語がからっきしで。それに一年はピアノを弾いていた松田君だけ。掛け持ちで一年(飛島)が手伝ってくれているけど、二年になったら松田君が海外に行くから」

 厳密に言えば、元競技かるた部の長津田と津島、それに掛け持ちでロトエイトこと麺棒眼鏡も在籍してはいる。

 だが、彼らの正式入部(復帰)と時同じくして部活を引退した三元にはなじみがないメンバーだ。

「今日は試食会みたいな感じで、色々用意しているから。来てよ」

 三元は珍しく下心なしで女の子(豆ちゃん)を熱心に誘ったのだが――


「どうせ下らない話で時間つぶしをするだけだ。行こう」

「「「は? 仏像??」」」

 さっさと歩き出した仏像を追い掛けるように、グレーのパーカーを目深にかぶった豆ちゃんは小走りで会場を後にした。


※※※


「ったく、何だよあの態度。喪男バスツアーに申し込むほど落ちぶれていたくせに」

 信楽焼の狸のような頬をふくらませる三元。


「もしかして、いやもしかしなくても、あの子仏像の本命? 仏像フェチからこけしフェチに宗旨替えか」

「でも、どこからどう見ても男の子ですよ。それも発育の悪い中二ぐらいの。とは言え実は女子。松田君だんなさまがこれを知ったら修羅場ですよ恐ろしや」

 互いの顔を見合わせるシャモと餌。

 餌の中では、腐女子たる江戸加奈(エロカナ)の影響で、仏像と松尾=嫁と旦那の図式が出来上がっている。

 

「ったくよう……。今日は俺の料理を振舞おうと思っていたのに。つまんねえの」

 『味の芝浜』の後継ぎ修行を初めて三か月。

 定演前に仕込んだ料理の数々を披露(人体実験)するつもりだった三元は、仏像の裏切りにおかんむり。

「こうなったら飛島君に仏像のをチクりましょう。そうしようそれが良い」

 にぎやかし兼松尾代理として飛島に白羽の矢を立てた餌は、会場前に飛島を呼び出した。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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