第2話 火災現場に居合わせた者は……。

 


 出火先は住宅地の一角にある空き家だった。

 火の手はすでに家屋全体を包んで夜空を焦がさんばかりの勢いだ。

 放水する消防車の手前側に大勢の野次馬たちが集まっている。




 それにしても人が多い。

 まるで花火大会のような混雑なのだ。

 だからなのだろう。人混みが多くて細井さんの姿は見あたらない。




 ……結局俺もここに来てしまった。




 細井さんが去った後、

 アパートの他の住民たちも次々に火事見物に出かけたからで、

 なんとなくその場の雰囲気で自転車にまたがってしまったのだ。




 だけどこの火事が現実のもので、

 実際に着の身着のままで避難して不安な顔つきをしている隣家の人たちを見ていたら、

 急に居心地が悪くなっていた。




 だから帰ろうとしたときだった。




「あれ、秋月じゃね?」




 肩を叩かれた。

 俺と同じ二年二組に所属する悪友の川口だった。野球部なので坊主頭である。




「空き家と言っても誰かの持ち物なんだから気の毒だけど、

 俺としちゃすげえイベントだよな。

 もしかしたらこの火事も連続放火事件と関係あるのかもな」




「連続放火事件?」




 俺がそう尋ねると川口が頷く。




「まだわかんねえけどな」




 そう発言した川口の顔は炎に照らされて興奮していた。




 この男はバーゲンセールとか祭とかの派手はイベントに目がない。

 だから空き家の持ち主には失礼ではあるけど、

 非日常の出来事に舞い上がってしまったんだろうことは理解できる。




 その川口の家はこの近所なので、

 サイレンの音を聞いて飛び出して来たらしい。

 だから川口はパジャマ姿だった。




 それだからなのか制服姿の俺を不思議そうな目で見ている。

 ここから高校はずいぶん離れているのに、

 どうしてここが火事だとわかったのかが知りたいらしい。




「学校にいた訳じゃない。

 アパートの部屋に帰った途端にここが燃えているのが見えたんだ」




「ああそうか。

 秋月の住んでる丘の上のアパートからだと町ぜんぶが丸見えだからな」




 川口は納得顔でうなずいた。

 するとその向こうに同じクラスの武田たけだ鈴木すずきたちの顔も見えた。

 この分だと野次馬の中にどうやらかなりの数の顔見知りがいるんじゃないかと俺は考えた。




 ――そのときだった。




 俺は視界の隅で尼子あまこ冴絵さえの姿を捕らえたのである。

 ドクンと心臓が波打った。




 ……最初は見間違いかと思った。




 いつもの薄ピンク色と違う黒縁のメガネをかけていて、

 髪型もポニーテールに変えていたからである。




 そして黒の長袖シャツと黒いジーンズ……。

 闇夜で目立たぬように変装でもしているのかな、と思った。




 尼子は常に動いていた。

 しきりに辺りをうかがいなにかを探しているような雰囲気で、

 人混みの中であちこち立ち位置を変えている。




 それはいつもとは別人のような動きで、

 教室で見るなにごとにも興味を示さないいつもの尼子とは違い、

 今夜の尼子は活発に活動する狩りをするときの猫科のような機敏さがあった。




 俺はしばらくその姿を見ていた。

 すると急に視線が合った。

 尼子がこっちを振り向いたからである。




 瞬間に尼子ははっとした顔になる。

 俺は途端に気まずくなって、片手をあげた。挨拶のつもりだった。




 ――――




 謎の手紙のことをいきなり思い出した。

 尼子はいったいなにをしようとしているのか? 

 そしてなぜ謎の誰かは俺に尼子を監視をさせようとしているのか? 




 ……俺は黒ずくめの尼子を見たら急にそれらのことが気になってきた。


 


「やべえ、ホルモンだぞ!」




 小声で叫んだ川口がいきなり俺の袖を引いた。

 見ると重低音の胴間声で怒鳴りながら駆け足で接近してくるホルモンの姿が見えたのだ。




「逃げるぞ、秋月」




 頷く前に足が先に出ていた。




 ホルモンとは、

 学年主任で生活指導担当の椋田むくだ謹治きんじ教諭のことである。

 先月転勤してきたばかりの中年男性教師なのだが、

 その悪名はすでに全校生徒に知れ渡っている。




 堅物なだけでなくとにかく困るほど仕事熱心で、

 夜の町に徘徊している俺たちのような生徒を片っ端からとっ捕まえることに、

 生き甲斐を感じている男だ。




 そしてホルモンとは男性ホルモンの略で、

 濃い眉毛とヒゲの剃り跡が青々しい角張った口元、

 厚い胸板と広い肩幅がめちゃくちゃ男性的なことに加えて、

 頭頂部だけが見事にはげ上がっているからだ。まさに男性ホルモンの権化である。



 ちなみに焼き肉のホルモンとは一切関係ない。




「お前ら! 逃げたってつら見りゃわかるんだ!」




 ホルモンの雄叫びが響いた。

 そして群衆の一部が明らかな意志を持って崩れる。

 俺たち二年生だけじゃない。一年生や三年生もかなりの数が野次馬に混じっているらしい。




 そのとき人混みを避けて小走りになる俺に小太りの少年がいきなりぶつかった。

 俺はたたらを踏んで持ちこたえたが、少年はもんどり打って転がった。




 俺の足下にメガネが落ちている。

 たぶんこの少年のものだろうと検討をつけた俺は立ち上がった少年に突き出してやった。




「あ……」




 それだけ言って少年はメガネをふんだくるとそのまま走り去った。

 普通はお礼くらい言うべきだろうと考えたが、

 うかうかしてると間近に迫ったホルモンに襟首を捕まれそうだ。




 なにしろ俺は制服姿なのである。

 去る前に俺は後ろを振り返った。だが思った通り尼子の姿は消えていた。




 その後俺はアパートの自室に戻ると下の姉である有紀ゆきねえからの電話に捕まった。

 履歴を見るとどうやら何度も何度もコールしたのがわかった。

 なので俺はひたすら平謝りし続けることにした。



 

 だからなのかなんとか四十分で解放されたのが、

 その肝心な要件とは、単に俺の様子を確認するためだけだったとわかり、

 こちらとしてはひたすら苦笑するしかなかった。


 やはり俺にはここでの穏やかな一人暮らしの方が性に合う。




 □




「おい、

 昨日の火事はやっぱり放火らしいぜ」




 川口がそう言った。




 朝礼前の教室。

 机を囲んでいくつものグループが思い思いに話しているが、

 話題は共通して昨晩の火事のことであった。




「やっぱり放火?」




 物騒な話だと思った。

 確かに川口は火事現場でもそう言っていた。




 そのことは朝刊にも載っていたし、

 ネットやテレビニュースでも放映されていたらしいが、

 朝ぎりぎりに起きる一人暮らしの俺にはそんな情報源はない。




 すると武田や鈴木もこちらの輪に交ざってきた。

 ヤツらの話を統合すると連続放火事件、ってことになる。




 先月に隣町で連続放火事件があり、その犯人が未だに捕まっていないらしい。

 そして昨夜の火事。同じ犯人の犯行だと考えてもおかしくない。





 世間ではどうやらこの連続放火事件がもっぱらの話題なのである。

 火事と聞くとくだんの連続放火事件と結びつけて敏感に反応してしまうのだ。




 昨夜の多すぎる野次馬はそのため……か。

 俺はひとり納得した。




 そのとき俺はふとあることを思い出した。

 昨夜の火事現場で見た尼子冴絵のことである。




 世の中のすべてに関心がなさそうな尼子なのに、

 なぜ火事なんか見物に来ていたのだろう?




 更に言えばあの動きだ。

 獲物を狙うかのような隙のない姿が俺の脳裏に残っている。




 そのときチャイムが鳴った。

 みんなが自分の席に戻り始めるのが見えた。

 俺は横の席を見る。尼子の席は空席だった。




「あーあ、《沈黙のシスター》は今日も欠席かよ」




 そんな誰かの声が聞こえている。

 謎が多い尼子は欠席も多い生徒だった。



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