第三話「ウスバカゲロウな彼と星二つ半のお弁当」

「ねえ、あんたらって付き合ってんの?」

 

 荒川早苗は頬杖をつきながら、怠そうな眼差しを小夜に向けた。健康的に日焼けした小麦色の肌。爽やかな印象を与える黒髪のショートヘアー。少し少年っぽさ漂わせるその見た目は、陸上女子にはぴったりであった。 


「私はそうしたいんだけど、でも如月君が……」


 小夜は悲しげな表情を浮かべると、伏し目がちには呟いた。その様子はひどく芝居じみたように如月には映った。

 場所は私立啓北学園の1年D組――そこには相変わらずの無表情で、先程からプリント整理を黙々とこなす、如月ハルの姿があった。そしてその両隣には、じつに対照的な容姿をした二人の女子生徒が、彼を挟むように会話を交わしている。この奇妙な状況。ことの発端は担任である菅原瑞穂の一言で始まった。

 

 帰りのHRを終えると、如月はいつものように帰宅の準備をしていた。そんな彼に菅原がプリントの整理を命じてきたのだ。本日、日直だった如月に拒否権はなく、相方である早苗も当然のことながら、作業をさせられることとなった。

 

 そして小夜はといえば、如月と一緒に下校するために、甲斐甲斐しく彼を待っている、というのが今の状況である。因みに如月と小夜が初めて会話を交わしたあの日から、既に2週間が経過していた。その間の彼らは昼食は常に二人きり、下校も同様にと傍から見れば、恋人同士のようになっていた。


「ねえ、小夜がこんだけ猛アタックかけてんのに、どうして付き合わないのよ?」


「いいの、早苗……私は今のままでも十分幸せだから」


 相変わらず伏し目がちで、小夜は憂いだ表情を浮かべた。


「如月も知っての通り小夜は顔だって美人だし、それに痩せては見えるけど、かなりの美乳の持ち主なんだよ。それを好きなように出来るってのに……あんたみたいな地味っ子には、こんなチャンス滅多にないことなんだからっ!」

 

 早苗は大声で机を叩いた。途端に静まり返る教室――そこには如月が奏でる、機械的なプリント整理の音だけが響き渡っていた。

 あと45枚か……もう、そろそろ終わるな。威圧的な早苗をよそに、如月は無心で作業に没頭した。


「ちょっと、何だんまり決め込んでんのよっ! ねえ、ちゃんと聞いてんの?」


「如月君ってね、興味のない話は完璧に遮断できるっていう、特殊能力の持ち主なの。凄いでしょ」


 子供が買いたての玩具を自慢するように、小夜はにっこりと微笑みを浮かべた。


「じゃあ、取りあえず今はその特殊能力は封印して、私の話をしっかり聞きなさいっ!」


 ったく馬鹿でかい声で……。余りのしつこさに、如月はたまらず溜め息を漏らした。


「話って何だい?」


「だから小夜のことよっ。いい? もう一度いうよっ! こんなハイスペックな女の子が、ウスバカゲロウのようなあんたに ”付き合って” っていってるんだから、四の五のいいわずに付き合いなさいな」


「ウスバカゲロウか……あれって幼虫の時はアリジゴクなんだよ。知ってた?」


 プリント整理の手を一端休めると、如月はゆっくりと早苗に視線を合せた。


「知らなかったけど……」


「アリジゴクといってもね、捕食するのはアリだけじゃなくダンゴ虫なんかも食べるんだ。因みに成虫になったウスバカゲロウは、口が退化してるから水しか口にしないんだよ」


「へえ、そうなんだ……で、それって私の話となんか関係あるわけ?」


「いいや、ないよ」


 如月はプリントに視線を戻すと、休めていた手を再び機械的に動かし始める。そんな彼の様子を見た早苗は、眉間にしわを寄せながら静かに口を開いた。


「……もしかして、私のことおちょくってる?」


「いいや、まさか。でもウスバカゲロウの幼虫がアリ以外も好むように、こんな僕でも好き嫌いはあるんだ」


「……じゃあ、どんなのがタイプなのよ」


「取りあえずは、嘘つきじゃない人だね」


「ああ、なるほど。それじゃあ、小夜は無理だわ」


 納得がいった、という様子で早苗は腕を組みながら大きく頷いた。


「だろ?」


「ちょっと、二人ともどさくさに紛れてなにいってんのよ」


 小夜は眉間にしわを寄せると、二人を交互に睨みつけた。


「だって事実じゃんよ。正直いってあんたの本性知ったら、この学園の男共は全員漏れなく引くわよ」


 全くその通りだ。聞けばこの声のでかい女と鉄仮面女は、幼稚園からの付き合いだという。よって当然のことながら、彼女の本性も分っているということだった。


「ほっといてよ」


「まあ、あんたの本性はこの際置いといて……それにしても、どうしてよりにもよって如月なわけ? いっちゃ悪いけど、もっとマシなのが周りに一杯いるじゃん」


「例えば?」


「こないだあんたが2週間でふった、サッカー部の鈴木先輩。顔は良いしスポーツ万能だし……正直、地味っ子な如月よりかは全然いいと思うけど?」


「なにいってんのよ、あんなの顔だけで全然ダメよっ!」


 小夜は眉間にしわを寄せながら、顔の前でひらひらと手を振った。すると早苗は何か思い出したように口を開いた。


「あっ、鈴木先輩っていえばね、最近あんたの悪口言いふらしてるらしいよ」


「ふうん、何て?」


 毛先を弄りながら、小夜は興味なさげに小首を傾げた。


「尻軽のヤリマンだとか、方々で色々いってるみたいよ」


「ひっどーい! マジで? もう最悪、鈴木っ!」


「でもあながち間違いでもないじゃん」


「ちょっと、あんたまで何いってんのよっ!」


 豪快に机を叩くと、小夜は眉にしわを寄せながら早苗を睨みつけた。


「冗談よ、冗談。でも、今のところは誰も信用してないみたいだけど、この先はどうなるか分かんないよ。それに鈴木先輩、ガラの悪いのと付き合ってるらしいし……小夜、あんた大丈夫なの?」


「大丈夫、大丈夫。なんの問題もないわよ。だって私には如月君っていう、心強いダーリンがいるもの。ねっ?」


 小夜は隣で相変わらずプリント整理に没頭している如月に同意を求めた。だがいうまでもなく彼からの反応はない。

 よしっ、やっと終わった。意外にかかったなあ。如月は軽く吐息を吐くと、プリントの端を整えて早苗の前に静かに置いた。


「僕の分はこれで終わった。荒川さん、あとは一人で頑張ってくれ」


「えっ! もしかして私一人を残して帰る気?」


「当然だろ。僕の分はもう終わったんだから」


 如月は鞄に手を伸ばすと、ゆっくりと席から腰を上げた。すると小夜も当たり前のように彼に倣う。


「……私が終わるまで待っててくれる、っていう優しさは?」


「皆無だ」


 間髪入れずに答えると、如月は静かに教室の出口へと向かってゆく。すると当然のように、小夜は彼の華奢な背中を小走りで追った。


「ちょっと、小夜っ! 親友残してどこいく気?」


「ごめんっ!」


 小夜が申し訳なさそうに手のひらを合わせると、早苗は溜め息を一つ漏らして苦笑いを浮かべた。


「分った、分った。ほら、ダーリンが帰っちゃうからさっさといきな」


「ほんとごめんっ! 今度絶対なんか奢るから」


 小夜はそういい残すと、足早に如月のもとへと向かっていった。


「今度こそは長続きさせなさいよっ!」


 親友の激励に小夜は背を向けたまま、ピースサインで応えた。その様子を見て、早苗は再び苦笑いを浮かべる。そして机の上に山と積まれたプリントたちを見つめると、溜め息交じりで作業を開始した。




「いい子でしょ、早苗」


「どこが?」

 

 神無月駅へと目指す15分ほどの道中――下り坂を歩きながら、小夜はいつものように如月に話しかけていた。それを彼がぶっきら棒に相槌をうつ。ここ2週間、二人はこのようなやり取りを行いながら下校していた。

 

すぐに飽きると思ったのに、あれから2週間か……思いのほか長いな。如月はお得意の技術で、小夜の話を遮断しつつ機械的に神無月駅へと歩みを進めていた。

 

 女子と並んでの下校。相良先生がこの現場を見たら、さぞかし驚くことだろう。如月がそんなことをぼんやりと考えていると、背中に強烈な打撃を受けた。相手は自明。彼は突然、背中に平手打ちを浴びせてきた小夜に、非難の眼差しを向けた。


「何だよ、いきなり」


「全然聞いてなかったでしょっ、私の話っ!」


「いいや、聞いてたよ」


「じゃあ、どんな話ししてたかいってみてよ」


「警視総監と警察庁長官どっちが格上か――」


「最低っ! やっぱ聞いてなかったんじゃん。もの凄く大事な話してたのにっ!」


 小夜は鼻息を荒くしながら如月に詰め寄った。


「分ったよ、今度はちゃんと聞くから少し離れてくれ」


 相変わらずこの女は距離感が近い……。傍から見ればキスをしてるカップルかのように顔を近づけてくる小夜に対し、如月はうんざりした表情を浮べた。


「どうして毎回、私が道路側なわけ?」


「道路側?……ああ、ただの偶然だよ」


「普通さあ、さり気なく歩道側に女性を歩かせるもんじゃないの? 周りのカップルを見てごらんよ」


 小夜が呆れ顔を浮かべながら如月を見つめると、彼は当然のようにこう返した。


「でも、僕らは彼らと違ってカップルじゃないだろ?」


「厳密にいえばそうかもしれないけど、傍から見れば私たちも立派なカップルなんですっ!」


「……分ったよ。そんなに歩道側を歩きたいなら、好きにしなよ」


 憤慨した表情を浮かべる小夜を横目に、如月は溜め息を漏らしながら、車道側に体を入れ替えた。


「うざい女だと思ってるでしょ?」


「なにをいまさら」


 ぶっきら棒な答えを聞くと、小夜は満足そうに微笑を浮かべた。




 神無月駅前に到着すると、如月たちはいつものように最寄りのショッピングセンターへと足を向けた。全国4000店舗を超えるこの大型ショッピングセンターは、自社ブランドの製品も多く、この時間帯には夕飯の買い出しに来る主婦たちで大いに賑わっていた。

 

 二人は自動ドアを潜り店内に足を踏み入れた。するとひんやりとした人工的な涼しさが体に伝わり、首筋に浮かんだ汗が一気に引いていくのが分る。如月は軽く吐息をもらすと、迷うことなく食品売り場へと足を向けた。


「ねえ、今日の夕飯もまたお弁当?」


 如月の顔を覗き込むと、小夜は不思議そうに小首を傾げた。


「そうだよ」


「お母さんは料理しない人なの?」


「僕に母はいないから」


 さてと、今日はどれにするかな? 弁当選びに余念のない彼は、お得意の生返事で答えた。


「へえ、そうなんだ。じゃあ、お父さんと二人暮し?」


「いいや、父もいない」


「もしかして……家族いないの?」



「叔父が一人いるよ。でも今は単身赴任中」


 気まずそうに尋ねる小夜をよそに、如月は普段通り淡々と答えた。


「じゃあ、もしかして一人暮らし?」


「ああ、そうなるね」


「なんだあ、それなら私と一緒じゃんっ!」


 小夜は胸の前で手を組むと、パッと表情を明るくさせた。


「キミも? たしかうちの学校は、独り暮らしは禁止されてるはずだけど」


「如月君だって一人暮らしじゃん」


「僕は致し方なくだよ」


「私だってそうだよ……」


 伏し目がちにいうと、小夜は途端に如月から視線を逸らした。その表情は珍しく暗く重いものだ、と彼は思った。


「そうなんだ。じゃあキミも買えば。ここの弁当、意外と美味しいよ」


「ううん。私は自炊してるから」


「自炊? へえ、人は見かけによらないね」


「どういう意味よ」


「言葉のままのだよ」


 眉を寄せる小夜をよそに、如月は唐揚げ弁当を二つ手に取ると、足早にレジへと向かった。


「また二つも食べるの? 太るよ」


「胃下垂だから問題ない」


「ねえ、どうして毎回同じお弁当を二つ買うの? どうせなら、違うものにすればいいのに」


「同じじゃなきゃダメなんだ」


 如月の鋭い眼差しが小夜の色素の薄い瞳を射抜く。


「な、なによ……そんなに怒んなくても」


「別に怒ってないよ」


 鋭い眼差しを一瞬で隠し、いつもの無表情に戻ると、如月は何事もなかったかのようにレジの店員に代金を支払う。そんな彼を小夜は不思議そうな表情で見つめていた。

 



 神無月駅の構内は、帰宅ラッシュ前ということもあり閑散としていた。如月はいつもの停車位置で、弁当の入ったビニール袋を下げながら電車の到着を待っている。その隣では小夜が他愛もない話を先程から、彼に語りかけていた。

 

 その内容は何処ぞの誰が誰を好きだとか、よく行くカフェのパフェが絶品だとか、如月にとっては全く興味のない話だった。とはいえ先の一件のこともあり、彼は仕方なく生返事を返しながら、無表情で小夜の話に耳を傾けていた。すると程なくして、彼女の乗る電車がホームに入ってきた。だが話に夢中で、小夜は一向に電車に乗る気配がない。


「乗らないのかい?」


「うん、一本遅らす」


「いっとくけど僕は付き合わないよ」


「分ってるって」


「なら良いけど」


 如月はそういって腕時計に目を向けた。時刻は17時25分。家に着くころには丁度、夕飯の時刻になっているはずだ。そんなことをぼんやりと考えていると、隣にいた小夜が不意に目の前に回り込んできた。


「あれから2週間が経ったね」


「ああ、そうだね。そろそろ僕にも飽きてきたんじゃない?」


「ううん、全然。むしろ如月君への興味が日増しに大きくなってきてる、って感じかな」


「そうなんだ、じつに残念だよ」


「如月君の方はどう。少しは私のことを好きになってきた?」


「いいや、全然。三島さんと同様に日増しに大きくなるばかりだよ、キミへの鬱陶しさが」


 静かに睨みあう二人――暫しの沈黙のあと、小夜は自信満々にこういい放った。


「如月君は絶対に私のことを好きになる。賭けてもいいよ」


「凄い自信だね。それじゃあその賭けに、僕も一口乗らせてもらうことにするよ。勿論、そうならない方にね」


 如月が表情の薄い顔で呟いた時だった、彼が乗る電車がホームに入ってきた。


「それじゃ」


「明日、お昼のお弁当は買ってこなくていいよ」


 電車に乗り込んでゆく如月の背中に、小夜が声をかけた。


「どうして?」


「私が作ってくるから」


「キミにそんなことをしてもらう義理はないよ」


「遠慮しないでよ。一つ作るのも二つ作るのも変わんないから」


「いや、そういう問題じゃなくて――」


 そういいかけた時だった、扉はブザーと共にピシャリと閉じた。如月は眉間にしわを寄せながら、ドア越しの小夜に ”要らない” と声を出さずに口を開く。だが彼女はそんなことなどお構いなしとばかりに、微笑みながら手を振っていた。


「人の話を聞け……」


 手を振る小夜を見つめながら、如月はため息混じりで呟いた。




 翌日、昼休みの1年D組。

 教室では小夜が幾分緊張した面持ちで、窓際の席へと歩みを進めていた。そしていつものように、如月の前席の男子生徒に微笑みかける。すると男子生徒は素早く椅子から腰を上げると、慣れた手つきで自身の机と如月の机を向かい合わせにした。


「ありがとう」


 小夜は男子生徒に礼をいうと、ゆっくりと彼の向に腰を下ろした。すると同時に彼女の顔つきが途端に曇りだしてゆく。


「私……買ってくるなっていったわよね?」


「僕は要らないっていったよ」


 眉間にしわを寄せる小夜に対して、如月は相変わらずの無表情で返した。すると机の上に置かれていた幕の内弁当を、彼女はひったくるように奪い取る。如月もこの行動を予測していたのか、自身の弁当に手を伸ばしたが、小夜の方が僅かに一歩早かった。


「これは昼休みが終わるまで没収よ」


「じゃあ、僕の昼食はどうなるんだ?」


「私が作ったのがあるじゃないっ!」


 教室に小夜の大声が響き渡った。如月と行動を共にするようになってから、ここ数日間で彼女が築き上げてきた清楚キャラは、徐々にではあるが着実に崩壊の一途を辿っていた。


 そんな小夜の剣幕に根負けしたのか、如月は渋々といった様子で彼女のお手製弁当に手を伸ばしてゆく。丁度その時だった、彼らの前に3人の女子生徒が現れた。


「ねえ、三島小夜ってあんた?」


 女子生徒の一人が小夜に声をかけた。茶色に染められた髪の毛と濃く派手な化粧。その表情と口調からは、明らかに険悪の色がうかがえる。


 如月は一瞬、彼女たちに目を向けた。ネクタイの色から察するに、どうやら2年生のようだ。また、厄介ごとか……。彼は弁当を無言で食しながら、我関せずを決め込むことにした。


 そんな中、小夜の視線は彼女たちには注がれておらず、その瞳は目の前で弁当を咀嚼する如月に向けられていた。


 僕のことを気にする暇があるなら、自分の心配でもしてろ。如月は小夜の視線をよそに心の中で呟いた。


「ちょっと、なにシカトしてんのよっ!」


「どう? 星いくつ」


 小夜は女子生徒たちを完璧に無視すると、無表情で弁当を食す如月に上目づかいで尋ねた。

 ったく一体何を考えてるんだ、この女は……とはいうものの、この弁当の味は悪くない。如月はそう思いつつ、弁当の採点を彼女に伝えた。


「星……二つと半分」


「そこは空気を読んで、星三つっていいなさいよ」


「ちょっと、シカトすんなっていってんだよっ!」


 依然として無視し続けられていた女子生徒は、憤慨した様子で小夜の肩に手をかけた。


「何か用ですか?」


 小夜は弁当を咀嚼しながらいった。その声は今まで如月に発していたそれとは、全く別の冷淡なものにがらりと変わっていた。


「随分、生意気な態度ね」


「そうですか? 気に障ったんなら謝りますけど、その前に取り敢えずその手どかしてもらえます?」


「マジでボコられたいみたいね? いっとくけど――」


「鈴木先輩に頼まれたんですか?」


 女子生徒の言葉を遮ると、小夜は静かに彼女を見据えた。その表情はいつも見せる柔らかいものではなく、暗くとても冷たいものだった。恐らくこれが彼女本来の自然な表情なのだろう、如月はこの時そう思った。


「そうよ。生意気だからってちょっとシメてくれってね」


「好きなんですか? 鈴木先輩のこと」


「あんたには関係ないわよ」


「私は鈴木先輩のことなんて、もう何とも思ってませんよ」


「それじゃ、そこの地味なメガネ君が今のお相手ってこと?」


「はい」


 小夜は冷淡な表情を一転すると、微笑みを浮かべながら答えた。


「マジで? 確かに健介もこんなのに負けたとあっちゃ、泣きたくもなるわ。ねえ?」


 女子生徒は後ろに控えさせていた友人たちに、笑いながら同意を求めた。すると小夜は素早く席から腰を上げると、女子生徒の前に立ち先程と同様に静かに彼女を見据えた。


「鈴木先輩のどこが好きです?」


「あんたには関係ないっていってんでしょっ!」


「あのイケメンな顔ですか? それともスポーツ万能なところ? まあ、それくらいしかないですもんね、あの人には」


 小声で女子生徒にいうと、小夜は更にこう続けた。


「でも、あの人をものにするのは相当大変ですよ」


「どういう意味よ?」


「だって鈴木先輩って、超面食いだから……」


 小夜は女子生徒から視線をそらすと、気まずそうに言葉をにごした。


「だからどういう――」


「察しが悪いなあ……あんたのお顔じゃ無理だっていってんのよ」


 小夜は女子生徒の耳元で、吐息をかけるように囁いた。すると見る見るうちに彼女の顔つきが変ってゆく。途端に小夜につかみ掛かろうとする女子生徒――丁度その時だった、教室の入り口から1年D組の担任である菅原の声が響き渡った。その後ろでは早苗が小夜にピースサインを送っている。


「あなたたちここで何をしてるの?」


 菅原は女子生徒たちに詰め寄った。


「別に……三島さんと話しをしていただけです」


 今しがた小夜につかみ掛かろうとした女子生徒が、ふて腐れながら答えた。


「三島さん、彼女たちに何かされたの?」


「いいえ。先輩たちは何も悪くないんです。私が生意気なことをいっちゃったから……」


 小夜は俯きながらは呟いた。その様子はどう見ても上級生にいびられていた、かよわき下級生といった感じである。


 相変わらず、芝居が上手いことで……。如月はチラリと小夜に目を向けた。すると予想通り、その色素の薄い大きな瞳にはおためごかしの涙が溢れていた。

 その後、女子生徒たちは当たり前のように、菅原に付き添われ生徒指導室へと連れられていった。その際に、彼女たちが鋭い視線を小夜に投げかけていたのはいうまでもない。


「サンキュー、助かったわ」


 小夜は微笑みながら早苗の肩に手を置いた。


「今回も貸しよ……っていうか弁当にガッツいてないで、あんたが助けなさいよ」


 早苗は眉間にしわを寄せながら、如月の二の腕を何度も小突いた。すると彼は小首を傾げながら、怪訝な表情を浮かべた。


「どうして僕が?」


「手作り弁当のお礼くらいしなさいな」


「別に僕が頼んだわけじゃないよ」


「じゃあ、何で食べてんのよ?」


「致し方なくだよ。そうだろ?」 


 如月は冷めた眼差しを小夜に向けた。


「まあ、まあ。早苗もほら、座って」


 早苗は渋々といった様子で、如月への追及を止めた。


「それより、さっきの大丈夫なの? 相当に怒ってたよ、あいつら」


「大丈夫だって、あんなアホ女……それより綺麗に食べたわね。そんなに美味しかったの?」


 小夜はいつの間にか弁当を食べ終えて、現在は文庫本に目を落としてる如月に微笑みかけた。だが当然のごとく彼からの返答はない。それでも小夜は満足そうな表情を浮べていた。

  

 楽観的すぎる。生徒指導室に連行されてゆく時のあの目……このままで済むわけがない。まあ、彼女がどうなろうが僕には関係ないけど。

 

 如月は心の中でそう呟くと、満足気に自作弁当を食べる小夜を横目に、ゆっくりと窓の外に視線を移した。そこには久々に抜けるような青空が広がっていた。だがそれは嵐の前の静けさのようで、どこか不気味なものを彼に感じさせた。

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