意外な話
荒れまくるアリスだったけど、ユッキーさんがアリスの手を握ったら燃え盛る怒りの炎がすっと静まった気がする。コトリさんは、
「そやろ、男が果てた後の賢者タイムみたいなもんや」
違うだろ、そんなものと一緒にしてどうするんだ。そこから聞かされたのは健一のこと。アリスだって健一からあれこれ仕事の話を聞かされるけど、
「東京美装って知ってるやろ」
もちろんだ。健一と同業だけど業界最大手ってやつだ。あそこは大きいんだよな。東京の仕事をほぼ一手に引き受けてるぐらいだもの。健一の神戸アート工房だって関西じゃ一番だけど、東京と関西じゃ仕事の量の桁が違う。この業界のガリバーみたいなものかな。
「さすがやな。そやけど東京美装も苦戦中やろ」
それぐらい知ってるよ。東京美装は業界最大手だしこの業界のガリバーみたいな存在だけど大きくなり過ぎた面はあるのよね。繁盛すれば会社規模が大きくなるのは当たり前なんだけど、あそこは業界支配に傾いたで良いはず。具体的には仕事を受けるのは東京美装だけど、実際の仕事はほとんど下請けに回すんだよ。
「その通りや。それも一次どころか二次、三次まであるで」
それぐらいのガリバーなんだけど、下請けに回すって、その時点で元受けがピンハネしてるんだよ。つまり実際に仕事をする業者の取り分が小さくなってるってこと。だったら自分で仕事を取れば良いようなものだけど、東京美装の信用と看板は大きいから取れないぐらいで良いと思う。
「まあもし取っても半端やないぐらいの嫌がらせを覚悟せんとあかんやろ」
アリスはそういう構造はイビツだと思うのだけど、長年の業界慣行ってやつなんだろうな。
「そやけどシオリちゃんのとこでしくじったやろ」
それも麻吹先生から聞いた。東京美装の仕事をボロクソに貶してたものな。たしか、
『あんなところに頼むのはカネをドブに捨てるよりもったいない』
オフィス加納の仕事を請け負ったのは東京美装だけど、実際の仕事をしたのは三次かせいぜい二次のはず。そりゃ東京美装は元請けだけど、あそこのシステムとして大阪に一次がいて、その下に神戸の二次がいてそこから実際に仕事をするのは三次ぐらいのはず。
「ああいうシステムも功罪はあるねん。全部を否定する気まであらへんけど、あの業界であれをやるのは無理があったと思うで」
「シオリちゃんなんてその辺が無茶苦茶シビアだからね」
それわかる。麻吹先生はたとえば百万円の仕事を発注したら、最低でも百万円の仕事を期待する人だ。さらに言えば百万円の仕事をしても合格じゃなく、そこから何割積み増し出来るかが評価のすべてみたいな人。
二次とか三次の下請けになると、上からピンハネされるから、実際に仕事をするところは半分ももらえるんだろうか。仮に半分の五十万円で仕事をしたって麻吹先生の怒りを買うしかないものね。
東京美装もあれこれ下請けを変えて対応しようとしたみたいだけど、合格なんてレベルには程遠いなんてものじゃなく、叩き出されるように契約を打ち切られてるのよね。そこに入り込んだのが神戸アート工房になるのだけど、
「あれは東京美装にとって痛手になったんや」
へぇ、オフィス加納の仕事は小さくないけど、それでも東京から見れば地方の仕事の一つじゃないの。
「それはシオリちゃんを軽く見過ぎや」
「だよね」
神戸アート工房の飛躍はオフィス加納の成功がキッカケだったのは知ってるけど、
「麻吹つばさのお墨付をもうたようなもんや」
「そりゃ、右に倣えするところが出て来るに決まってるじゃない」
それはそうなんだけど、そうなったら東京美装も技術力を上げて競争になるはず。
「そうはならんのが東京美装や」
「あそこは元請け屋をやり過ぎて、肝心の本隊がやせ細ってしまってるの。自分で仕事をしなくても濡れ手に粟みたいに儲かるからね」
そうかもしれない。でも持ってるパイが違うでしょ、
「着々って感じで神戸アート工房に切り崩されてるわ」
「神戸アート工房が大きくなる分だけ東京美装のパイが食われる関係だよ」
これが一挙に切り崩されないのは神戸アート工房が自力で仕事を受けるのにこだわってるからか。そのためには社員を増やすだけでなく、自前の職人さんたちも育てないといけないものね。
神戸アート工房も随分大きくなって、あの超どころかウルトラ大作の元寇映画のセットをすべて請け負ってしまったぐらいだもの。神戸アート工房の未来は洋々たるものじゃない。
「そうは見えるけど、そこまでシンプルなものやない」
「正面からが無理なら裏からが定石だよ」
東京美装にしても元寇映画を神戸アート工房が一手で請け負い切ったことに危機感を覚えたのか。
「算数問題や。それだけの規模だけ仕事が持ってかれるやんか」
でもさあ、こんなもの公平な競争の結果じゃない、負けて悔しいなら腕で来いだろうが。その裏ってなんなんだ。
「昔からこの手の業界は裏社会とのつながりが強いのは有名やろ」
かつてはそうだった、興行自体を堂々と仕切っていたし、その手の業界の祝い事に芸能人が並ぶのは当たり前だったものね。でもとくに暴対法が出来てからそういう関係は、
「無くなっとらへんぐらい常識やろ」
そうだった、年に一回ぐらい黒い付き合いが発覚して芸能人が干されたりもあるし、これまた年中行事のように出て来る麻薬とか違法薬物の使用だって裏にそういう組織が動いてるはず。かつてのように正面から大手を振ってはなくなったかもしれないけど、裏ではガッチリ食い込んでいるのだろうな。
「それでもまず表から来とったな」
「アホだ」
えっ、会社経営の命綱の銀行との取引に介入したって言うの。
「ああ。そやった」
「だからうちのメインバンクに切り替えたのよ」
芸能界だけじゃなく一般企業にも裏社会は食い込んでるのも社会の常識みたいなもの。もちろん濃淡はあるだろうけど、これが一切ないとされてるのがエレギオングループって話もあるけど、
「ユッキーがとにかく嫌いでな」
「コトリだってそうでしょうが」
エレギオングループのメインバンクに取引先を変えられたら手も足も出せなくなるのか。他にも資材の購入の妨害とかもあったみたいだけど、
「うちに喧嘩売られてもな」
「アホだ」
だから神戸アート工房も神戸から動かないのかも。そうなると次にやりそうなのは、
「とりあえず神戸ではあらへんやろ。神戸でエレギオン関係企業に手を出すのは」
「アホだ」
どうしてアホかは聞かない方が良さそうだ。もっとも神戸でこそ手を出されないしても、
「そこまでは手が回らん」
神戸アート工房は東京でも仕事を広げてるけど、
「アホだ」
「結果だけ言うな。なんのこっちゃらわからんやろうが」
なんだって! 東京美装に雇われた半グレどもが仕事の妨害に来てるって、
「だからアホだ」
「そういうこっちゃ、命知らずもあそこまで行ったら救いようがあらへん」
だからあれだけ東京出張が増えたのか。そりゃ、健一が睨みを利かしているところに暴れ込んでも、
「アホだ」
結果は聞かない方が良いだろう。生きてりゃ良いけどね。でもさぁ、でもさぁ、半グレぐらいとの腕力勝負なら箸にも棒にもかからないだろうけど、東京だって裏の本職がいるはずだ。
聞いてる限りで言えば神戸アート工房を守っているのは健一じゃない、逆に言えば健一さえ潰せば東京での仕事が出来なくなるはず。それぐらいは誰も見えるはずだから、裏社会の強いのが出て来るかもしれないじゃない。
そんな連中が出て来たって腕力勝負で健一が負けるとは思えないけど、そういう連中はヤッパどころかハジキだって使うはず。健一は強いよ、それこそ人とは思えないほどムチャクチャ強い。
でもね、超人ハルクじゃない、しょせんは人なのよ。ドスなら突き刺さるし、日本刀で斬られたら切れちゃうってこと。もちろん鉛玉だってめり込んでしまう。そうなったら、そうなったら・・・
「そうなってもた」
なんだって!
「心配せんでも死んでへん」
それは良かった。
「入院になっちゃった」
なんだって!! 生死の境をさまよってるのか。
「誰もそこまで言うとらん。そやけど入院になったのはホンマや」
こんな事をしてる場合じゃない、入院してるのは東京の病院でしょ。今から行くならどうしたら。居ても立ってもいられない。こんなところで悠長にメシなんて食ってる場合じゃない。
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