ヤケ酒

「徳永君の態度はどうだったのよ」

「ママン大好きのマザコン息子には見えんかってんけどな」


 どうだっけ。今日のアリスはとにかく緊張してた。そりゃ、人生の一大転機みたいな日だもの。だから健一の親の態度に全神経を張り巡らしていた。アリスが集中すると、


「そうやった、余計なものは見えへんようになるし」

「聞こえなくなっちゃうのよね」


 そうだった。シナリオを書く時のスイッチが入った状態に近かったと思う。とくにアリスへの質問が年齢、仕事からアリスの片親問題になった時には怒りと悔しさからなんにも聞こえなくなっていた。


「徳永君は片親の話を黙って聞いてたの?」

「そやったら論外の男やけど」


 なにかは言ってた気がする。


「アリスはどうしたんよ」


 どうしたっけ。えっと、えっと、とにかく話は終わったし、あんな話はもう聞きたくもなかったから、


『失礼します』


 これだけ言って席を立ったはず。アリスがそう言ったら向こうの両親がゴチャゴチャ言ってたし、健一もなにか言ってた気もするけど玄関から外に出たんだよね。もっとも次に気づいたら健一のクルマに何故か乗ってたけどね。


「帰りのクルマの中は?」

「家に帰ってからは」


 健一が何かしゃべっていたのは覚えてるけど、内容は覚えてないな。家に帰ってからヤケ酒を飲みたくなってタクシーでも拾ってこのバーに来たはず。


「アリスらしいけど」

「この後、どうするのよ」


 どうするんだろ。そうだな、ぶっ潰れるまで飲んで、それから、それから、あのマンションには帰りたくないな。健一と顔を合わせるのも気まずい。そうなると消去法でホテルか。


「土曜日のこの時刻からやぞ」

「ヘベレケ女なんて嫌がられるに決まってるじゃない」


 た。たしかに。さすがに公園のベンチで寝るのは避けたいから、マスター、アイラをロックでちょうだい。やっぱりヤケ酒で潰れるべし。それもぶっ倒れて意識が無くなるとこまで飲んだら救急車で病院に担ぎ込まれるはず。そしたら退院するまでだいじょうぶだ。


「あのな、それは社会の迷惑ちゅうねん」

「そうよ、急性アルコール中毒にわざとなって入院を狙うなんて女のすることじゃないよ」


 男だってあんまりやらない気がする。だから斬新じゃない。芸術は人がやらない事をやってこそチャンスがある。


「それ、間違うとるで」

「だから、そんなに飲まないの。アリスはそこまで強くないのだから」


 今夜飲まずしていつ飲むって言うのよ。次はスコッチだ。ストレートで持って来い。銘柄? そんなものアルコールであれば文句はない。えらい少ないじゃない、こんなもの一気だ一気。全然足りないよ、テキーラ持って来やがれ。


 アリスの夢と希望と愛が砕け散った記念の夜じゃない。健一は良い男だった。こんなハズレ女のアリスにここまでの愛を傾けてくれた。でもそんな健一でもいざ結婚となるとあのザマだ。


 やっぱり恋愛と結婚はどこか次元が違うのだろうな。恋愛ならアリスを愛せても結婚相手となるとポイだ。これが社会の現実ってやつだろう。いいよ、ママンとパパンのお眼鏡に適った若い女と結婚すれば良いじゃないか。


 それでね、ポンポンと子どもを作ってママンとパパンに孫の顔を見せてやれば良い。それでみんなが丸く収まるのが結婚だろ。ついでに言えば健一が仕事から帰ればお風呂が沸いていて、温かいご飯が待ってるんだ。


 そんな結婚生活をアリスじゃ提供できないよ。アリスはね、アリスはね、そんな女じゃないんだ。アリスは世界一の干物女なのよ。干物は食べるだけなら珍味とする男はいるかもしれないけど、結婚するのはピチピチの若い女に決まってるじゃない。


 そんなもの、健一と付き合った時にわかってたんだよ。だから別れようとしたじゃないの。それなのに健一の野郎は干物女の珍味にひかれちゃったんだ。そしてアリスは美味しく食べられ、結婚に舞い上がり捨てられた。


 ああ、こうなるのはこの恋が始まった時からわかってた。わかってたのに健一だけは違うと思い込んじゃったんだ。ホントに身の程知らずのアホ女だ。そんなアホさ加減を嘆く夜さえアリスには無いって言うの。


「アリス。落ち着きいな」

「だからそんなに飲んだらホントに病院送りになっちゃうよ」


 マスター、スピリタス持ってきて。ボトルごとよ。


「アホ言うたらあかん」

「病院送りどころか死んじゃうよ」


 死んじゃう? 良いじゃない、大歓迎だ。干物女に生きてる価値なんかあるもんか。こんな干物女はこの世からいなくなった方が良いに決まってる。酔いつぶれて死ねるって最高じゃない。次に目覚めたら天国だ。


「マスター、本気でスピリタス持ってきてどうするのよ」

「それ、さすがにシャレならんで。塩水持ってこい」


 どうしてアリスのスピリタスを取り上げる。あれで干物女は天国に行くんだ。うぇ、これなによ。酒じゃないじゃない。こんなものでどうやって天国に行けると言うの。もうこの世とはこれでオサラバするんだ、


「手が付けられんな」

「アリスってこんなに酒癖悪かったっけ」


 ほっといてくれ。今夜の酒はいつも酒じゃない。人生におさらばするヤケ酒なんだから。


「ユッキーええか」

「仕方ないよ。アリスだって仲間だもの」

「そうなんよな。それにこの話はそんなシンプルなものやないはずや。アリスの話には漏れてる部分が多すぎる」

「わたしもそう思う。そのためには仕切り直しが必要よ」


 おいおい、なにをする気なんだ。


「もう眠ってちょうだい」


 なんだなんだ意識が・・・


「やっと静かになってくれた。運ぶわよ」

「よっしゃ」


 アリスをどうするんだと思ったけど・・・意識を取り戻したのはふかふかのベッドだった。ホテルの部屋にも思えるけど、内装がビジホのものじゃない。もっと上品で風格のある感じと言えば良いのかな。起き上がろうとしたら、頭が痛くて、痛くて、


「やっと起きてきたな。そりゃ、頭痛いやろ。あれだけ飲んだら二日酔いになるに決まってとる。こういう時はお粥さんや」


 食欲ないと思ってたけど一口食べたらこれが美味しいの。これって炊き方も上手だと思うけど米が違う気がする。梅干しも付いてるのだけど、これが梅干しかっておもうほど美味しい。


「食うたら寝とき。もうちょっと寝んと二日酔いは醒めんわ」


 ここってホテルなの、


「コトリとユッキーの家みたいなもんや。この家の中はどこに行ってもかまへんからな。コトリらはリビングにおるわ」


 お粥さんを食べたら眠たくなってまたひと眠り。次に目覚めたときは頭痛もだいぶマシになってたから起き上がってみた。ここはどこなの、


『コ~ン』


 遠くで聞こえているのは鹿威しのはず。部屋から出てみたら立派な廊下だ。それもどこもかしこもピカピカに磨き上げられてる。建物自体は新築じゃないけど、良い材料を使ってきっちり手入れが行き届いていて風格が滲み出ている感じがよくわかる。これは紛れもなくお屋敷だ。


 窓から庭も見えるけど、なんて綺麗なんだ。苔が絨毯みたいになってるじゃない。そこに小川が流れてるじゃない。でも妙だ。庭の向こうに見えるのは窓だぞ。まさかと思うけど、この家ってビルの中に建てられているとか。


 そんな家の話は聞いたことがある。そうだそうだ、コトリさんは自分の家だと言ったはず。コトリさんは月夜野社長、ユッキーさんは如月副社長。あのエレギオンHDの社長と副社長だ。


 そこの専務と常務までをエレギオンの女神と呼ぶのだけど、とにかくミステリアスな存在で、月夜野社長と如月副社長はその住所さえ知られていないとされている、ただ噂だけはある。


 これだって都市伝説みたいなものだけど、エレギオンHDが本社を置くクレイエールビル三十階は現在のミステリーゾーンとまで呼ばれてるのよね。そこへの出入りは本社社員でも厳重に禁じられてるとか。まさか、ここがそうだとか。


 そこに招き入れられる人は女神が認めた限られた者のみ。これだって真相は不明で、かつてその謎を暴こうとしたものは女神の怒りを買ったとか。だからマスコミでさえ触れることが出来ない禁断の地とさえ言われてるぐらい。


 そんなところにアリスは連れ込まれたとか。おいおい、アリスは生きて帰れるのかよ。昨夜はあのままヤケ酒で死んでやるって思ったけど、二日酔いの頭痛を抱えながら死ぬのは嫌だな。とりあえずリビングとやらに行ってみよう。


 そこにコトリさんたちはいると言ってたもの。あの二人がアリスを傷つけたりするとは思えないけど、本業の時にどれだけ怖い人かは実業界の常識みたいなものだと健一も言ってたものな。たしか、


『女神は逆らう者を決して許さない。逆らう者の末路は悲惨』


 その能力と経験は人では逆立ちしても及ばないとされてるぐらいらしい。たしかにあの食べっぷり、飲みっぷりは人じゃない。リビングってこっちだと思うのだけど・・・

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