挨拶

 新居への引っ越しも済ませたから次は結婚式と言いたいけど、こっちはこっちでやらなければならないステップがある。この辺は今時だから、婚姻届一枚で済ませるカップルもいると言うけど、さすがにそれはお手軽すぎるだろ。


 結婚は本人同士の結びつきではあるけど、一方で家と家との結び付きでもある。昔、それも大昔は家同士の結びつきばかりが重視されていた時代もあったものね。それこそお見合いどころか親が決めた結婚相手と結婚式当日に初めて顔合わせするとかだ。


 今だって家同士の結びつきが重視される結婚はある。いわゆる政略結婚ってやつだ。マンガとか小説の中の話みたいに思ってる人も多いかもしれないけど、現実として存在しているぐらいはアリスでも知っている。


「昔だって家同士の関係重視の結婚は持てる家だけだろ」


 財産があるセレブの家はそれを守るのが重視されるのだろうね。そこまでのものじゃないけど、結婚すれば相手方の親族とも親戚になるのはどこも同じだ。これは好き嫌いで逃げられないものだからね。


 今の結婚がいくら当人同士のものとはいえ、新たに出来てしまう親戚との付き合い問題は必然的に発生する。ここも誰だって最初から喧嘩したくないから仲良くやって行きたいと思うのが人情だろ。


 そういうステップの第一歩がお互いの親への紹介だ。新たな親戚の中でも一番近しいのが相手の親だもんな。どっちの親に先に挨拶するかのルールはなかったはずだから、健一とも相談したのだけど、まずはアリスの親に挨拶に行くことにしたんだ。健一はちゃんとやってくれたよ。うちの親にきちんと頭を下げて、


「アリスさんと結婚させて下さい」


 これだって本人同士が了解してるから親の同意なんて必要ないとドライに言えない事もないけど、こんなところからわざわざ喧嘩を売る必要なんてどこにもないじゃない。昔ながらの親に結婚の許可を頂くスタイルをやったってこと。


 うちの親は健一の迫力ある体格にビビっていたけど、素直に結婚を認めてくれた。むしろ大歓迎で祝福してくれた。この辺はアラサーに踏み込んでいるのに男っ気すらなくて、このままでは行かず後家になってしまうと真剣に心配していたものね。


 それと会社は世間的には有名じゃないけど専務なのも良かったと思ってる。そりゃ、専務と言えば押しも押されぬおエライさんだから、玉の輿にでも見えたんじゃないかな。アリスにとっても健一の結婚は玉の輿みたいなところはあるけど、もっと世間的な意味での玉の輿だろうな。


 アリスの親をクリアしたから今度は健一の親だ。さすがに緊張した。玄関で挨拶してリビングに案内された。健一は、


「結婚を前提にお付き合いさせて頂いているアリスさんだ」


 アリスも、


「四葉アリスです。よろしくお願いします」


 だけどどうにも空気が重い。健一の親がニコリともしやがらない。向こうだって緊張しているのかと思ったけど、


「何歳なの」

「仕事は」


 こんな質問をしてきたのだけど、ますます顔色が重くなってる。やっとアリスも気づいた。気に入られてないんだって。まずは年齢か。健一とアリスは同級生のアラサー同士だ。だけど同じアラサーでも、男と女では価値が違うって言いたそうだ。


 ここもぶっちゃけで言うと健一ならもっと若い女を選べるのに、わざわざアラサーのおばさんを選んでいるのに不満タラタラなのが丸わかり。あれだろうな。結婚を焦るアラサー女に健一が騙されてるぐらいに思ってるで良さそう。


 職業も言っただけで顔を顰められた。というか。シナリオライターってなんだの反応で良いと思う。健一が一生懸命説明してたけど、あれはどう見てもヤクザな怪しい職業としてるで良さそうだ。さらに質問は広がり、


「御両親は?」


 アリスの母親は小学六年の時にいなくなった。後からこれは知ったのだけど、浮気の末の離婚だったとか。親権も取らずに男の元に飛んでいったとかなんとか。あの時に家が大騒動になったのは子ども心にも覚えてる。


 アリスは親父が引き取ったのだけど、これがまあ、ゴチゴチの仕事人間だった。だから母親も浮気に走ったのだろうけど家事なんて何も出来なかったんだよな。そういう状態の時にアリスが迎えたのが思春期だ。


 そんな親父に反抗しまくっていた。家庭の事なんて振り返りもしたことがない親父は困りまくっていたはずなんだ。そもそも娘とどうやって話をしたら良いのかもわからなかったってずっと後で言ってたぐらいだもの。


 けどね、親父は頑張った。やる事、為す事、これでもかって不器用だったけどアリスを必死になって育ててくれた。朝食づくり、弁当作り、夕食づくり、掃除に洗濯。これも後になってわかった事だけど、親父はアリスのためにその時間を作ってくれていたんだ。


 親父は仕事人間だけあって出世競争を激しく争っていた。そのために家庭を顧みなかったんだけど、出世競争をあきらめて閑職に回してもらっていたんだよ。当時のアリスは親父に反発ばかりしてたけど、やがて親父の愛情がわかったかな。


 今となったらすっごい感謝してる。親父があそこまで頑張ってくれたから今のアリスがいるんだってね。そりゃ、離婚の原因は親父にもあるけど、それを人生を懸けて償ってくれたようなものじゃない。だから感謝だけじゃなく尊敬もしてるぐらい。なのに、なのにだよ、


「母親に逃げられた片親か」


 そう思われているのが態度にも言葉にもあからさまじゃないか。悔しくて、悔しくて、下を向いているしかなかったもの。片親を見下す人がこの世に少なからずいるのぐらいは知っている。でもさぁ、実際に見下されたらこんなに悔しいものだって初めてわかった気がする。その日の挨拶の答えみたいなものだけど、


「健一もちゃんと考えて選ばないと」

「結婚はそんなに甘いものじゃないぞ」


 反対だった。健一のクルマでマンションに帰ったのだけど、途中で健一が話していたことはまったく耳に入らなかった。思っていたのは、


「終わった・・・」


 これだけだった。でもそれが正解かもしれない。アリスは無能主婦だ。それも完全な無能主婦で、仕事のために家事を不倶戴天の仇敵としてるぐらい。これは健一と付き合い同棲になってもまったく変わらない。だってアリスの仕事のための生命線だからね。


 仕事だってどれだけヤクザなものか自覚している。やっとまともなシナリオを書かせてもらえるようになったけど、エロビデオ、エロマンガのシナリオをどれだけ書いてきたことか。そんなものを書く商売を見下されたって文句も言えないからね。


 年齢だって逃げようがない。親が結婚する子どもに望む一番は孫の顔だ。それぐらいは良く知っている。アリスの友だちも計画出産で三年作らなかっただけで、どれだけ親から責め立てられたかの愚痴を何度も聞かされたもの。


 だけどね、アリスは本音では子どもは欲しくない。少なくとも今は欲しくない。だってやっとシナリオライタ―の仕事が軌道に乗ってきたところじゃない。ここから十年ぐらいがアリスにとってもシナリオライタ―としての旬になるはずじゃない。


 そうなれば孫の顔を見せるのなんて何年先かわからないし、その時にアリスが何歳になっているかの話なんだよね。そんな嫁を誰が気に入るものか。アリスは結婚に向いていない。健一の嫁にも、もちろん向いていない。


 短い夢だったな。干物女が高望みした末路がこれか。結婚の夢だけでも見れたから幸せだったかも。でも親父になんて言おう。片親だったから拒否されたなんて言えないよ。だってあんなに結婚の報告を嬉しそうにしてたじゃないの。


 そりゃ、親父にしたら離婚は黒歴史だし、原因を作った責任も背負い続けている。でもさぁ、でもさぁ、親父はあんなに頑張ったんだ。そんな親父に花嫁姿をいつか見せてあげたいと思ってたんだよ。


 親父に話す時は片親の件は伏せておこう。別に知ったからって良いことなんて一つもないもの。どっちにしても今回がアリスの結婚へのラストチャンスだった、もうこんな事は二度と起こるはずもないからね。


「アリス、アリス、聞こえているのかアリス」


 部屋に戻って来てるみたいだ。健一が何か言ってるけどどうでも良い。それにしても、この部屋どうしよう。ここはアリスのコネで借りれたようなものだし、借りられたのは新婚の新居のためのはず。


 それがなくなったのだから出ていくしかないよね。あははは、健一の親への挨拶に行く前にユリさんから激励の声をいっぱいもらったな。アリスなら絶対に気に入られるって。なんか前祝いみたいな感じで盛り上がったけどユリさんの顔を見るのも辛いよ。


 どちらにしても健一との同棲生活もおしまい。この際だから東京に引っ越そうかな。これもずっと言われてるものね。オンラインの時代とは言っても、やはり仕事をするのなら東京なんだよね。


 シナリオ依頼もコネの産物みたいなところがあって、東京に住んでいるのといないとではやはり大きな差があるんだ。コネってね、オンラインで作るのは難しいのよ。ああいうものは、実際に会って、話して、それこそ酒でも飲んでみたいなもの。


 そういうコネを作る機会は東京に住んでいてこそのもので神戸じゃ無理がある。アリスはやる機会もなかったけど、枕営業だってこの業界は普通だ。シナリオライターであってもあるんだよ。


 ああいうものは仕事を出す側と受ける側があって、受ける側の立場が弱ければ起こる。それこそ、受ける側がこの仕事を受けなければ食べていけないとかね。そこで仕事を出す側が男で、受ける側が女であれば普通に要求される。もちろん枕をさせる価値がある女であるのは当然だけどね。


「アリス、お願いだからボクの話を聞いてくれ」


 この部屋ももうすぐ出ていかないとならないけど、とりあえず飲みに行きたいな。そうだよ、こういう時は酒に逃げるのが人生の定番じゃないか。健一がさっきからウルサイな。


「もうすべて終わった。じゃあ、さよなら」


 こういう夜に行くとなったら・・・

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