ツーリング日和18
Yosyan
引っ越し
健一からのプロポーズを快諾したアリスだよ。あれは嬉しかったし、まさにアリスの人生劇場の名シーンだった。プロポーズまでだって大変なんだよ。まず好きな相手が出来なきゃならない。
好きな男が出来ないと恋は始まらないし、その恋が深まらないと結婚なんて見果てぬ夢じゃないの。もうこれだけでも干物女になり果てていたアリスには絶望的と言うか諦めていたのだけど、奇跡的にアリスを熱愛してくれる健一が登場してくれた。
健一は中学の同級生。オフィス加納で再会したのだけど、あははは、誰だかわからなかった。だって十五年ぶりぐらいじゃない。健一がアリスの事を覚えていてくれていたのに驚くぐらい。
思い出せなかったのは歳月のせいもあったけど、健一は変わり過ぎいていた。中学時代の健一はヒョロガリのイラストオタクの陰キャ。この辺はアリスだって他人の事を言えないけど印象が薄かった。
ところが再会した健一は逞しい男だった。逞しいなんてものじゃなく、腕なんてアリスの胴回りより太いんじゃないかと思うほどで、胸板だってどれだけ分厚いか。見た目もいかにも力がありそうだけど、実際はそんなんものじゃない。あれは人間レベルを超えてると思う。
健一はアリスがダックスに乗っていてツーリングまですると聞いてバイクを購入したのだけどこれがハーレー。健一が買ったハーレーはロードキングのそれもスペシャルだ。全長なんか二四八センチもあって、エンジンは一八六八ccで車体重量なんて三六六キロだ。
そこまで行けばバイクじゃなくてクルマだぞ。化け物ヘビー級バイクだから、冗談でいくら健一でも片手で持ち上げられないよねって言ったら、
『ボクでも両手じゃないと難しいかな』
ホントに持ち上げやがったんだよ。それもママチャリぐらいを持ち上げる感じでヒョイだよ。そんな体格と怪力だから現場労働者みたいな仕事をしているけど、ああいう現場って力自慢の荒くれ男がいるじゃない。だから喧嘩みたいなことも起こるのだけど気が遠くなるほど強い。麻吹先生もそういう現場を見たことがあるそうだけど、
『徳永の相手をまともに出来るのは日本ではヒグマぐらいしかいない』
いくら健一でもヒグマには勝てないと思うけど、イノシシなら勝てそうな気がするぐらいだ。アリスも見たけど、相手はいかにもって感じのオラオラ男だったけど喧嘩にさえならず、まるで現場に迷い込んだ子どもを連れ出したぐらいにしか見えなかったぐらい。
でもね、でもね、健一は荒くれ者じゃないし。脳筋男でもない。アリスの業界なら知らなければモグリの神戸アート工房の専務さんなんだ。シナリオライターなんてやっているアリスに比べたらお堅くて立派なお仕事だ。
欠点はイケメンでも優男でもない点かな。もっとも、そんなヘニョヘニョの優男じゃあの現場を取り仕切れないよ。そりゃ男だって見た目九割なのは否定しない。そういう意味ではモテ男じゃないかもしれないけど、女はね強い男だって大好きなのよ。
健一の強さは相撲取りだって、プロレスラーだって勝てない気がするぐらいなのよね。それぐらい桁違いの強さを余裕で持っている。だけど紳士なんだ。健一は中三の時のアリスが初恋だったそうだけど、あの時の健一の優しさがそのままじゃないかと思ってる。
家事だって出来る。出来るなんてものじゃなく、ゴミ屋敷だったアリスの部屋を片付けてしまってピカピカにしてくれただけじゃなく、放置すればゴミ屋敷へのベクトルが強烈に進むのを阻止してしまっている。料理だって素人離れしていて、アリスの胃袋をガッチリ掴んでいる。
なにより驚嘆しているのは家事無能のズボラ女のアリスを心の底から愛してくれている。アリスの部屋はゴミ屋敷なんだけど、そうなる原因の一つがアリスの本職のせい。アリスがシナリオに集中すると周囲が完全に見えなくなる。
これをスイッチが入ったとアリスはしているけど、そうなってしまえばゴミ屋敷になるだけじゃなく、アリスも汚物化が進行していく。文字通りの汚部屋の女王になっちゃんだけど、そうなってしまうアリスを見ても健一はビクともしない。
『アリスの仕事を支え、アリスの成功の手助けをするのがボクの仕事であり喜びだ』
ここまで言い切ってくれる男がこの世に存在する方がおかしいだろうが。アリスはたちまち夢中になった。そんなアリスに最後まで残された難関が不感症疑惑だった。アリスだって男性経験があったけど感じた事が一度も無かったんだ。
この問題はアリスも最後まで悩み切っていた。汚部屋の女王だけでもハンデなんてものじゃないのに、アラサー女の不感症なんて欠陥品そのものでしかないじゃないの。覚悟を決めて健一とのベッドに臨んだよ。
健一は体格も逞しいのだけど、健一の男も桁違いに逞しかったんだ。健一の逞しい男はアリスの不感症疑惑を根こそぎ粉砕してくれた。アリスは生まれて初めて男に喜ばされ、天国に昇らせてもらった。
すべての障壁が無くなったアリスは健一のプロポーズを大喜びで受けたよ。受ける以外に何が出来るって言うんだよ。健一は白馬の王子様じゃない。だけどね歴戦の勇者なんだ。その体には数々の武勲が刻まれ、姫君を守るためなら笑いながら命を差し出す真の勇者だ。
こんな素晴らしい男のプロポーズを嬉しく思わない女なんているものか。ユッキーさんやユコトリさんだって、
『アーサー王じゃなくて黒騎士ブラフォードとか勇者タルカスね』
『あのな、ユッキー。それって架空の人物やぞ』
誰なんだそいつ。載っている漫画を読んでみたけど健一は勇者タルカスかも。もちろんあんな粗暴じゃないけどね。プロポーズを受けたアリスだけど今日はお引越しだ。アリスはずっと売れないシナリオライターだったから家賃優先のボロアパート住まいだった。
ボロアパートがゴミ屋敷になってたのだけど、それを健一が綺麗サッパリ片づけてくれて始まったのが同棲。だけどアリスも元寇映画のメガヒットのお陰で売れっ子シナリオライターの仲間入りが出来たんだ。
だからマンションにお引越し。言うまでも無いけどプロポーズを受けてのものだから結婚後は新居の予定だ。かなり立派なマンションだけど、健一だって専務さんだからこれぐらいはね。
「それにしても立派なマンションだ」
それはアリスも思わなくもない。贅沢過ぎたかなぁと思うところもあるけど、これも有名税の部分もあるんだよ。シナリオライタ―は監督や役者に比べると裏方だけど、棲んでる業界が華やかなところじゃない。
あのメガヒットした元寇映画の影響は確実にアリスにも押し寄せてきてる。この業界って売るためにはどんな話題でもネタにするところだからアリスにもスポットを当てやがって、
『美人すぎる天才シナリオライター』
こんな調子で記事にしたものだから芸能人扱いされてしまっている部分があるんだ。そうなると変なのがどうしても湧いてくるのが宿命みたいなもの。東京に進出する気はなかったけど神戸でもセキュリティがしっかりしたところにせざるを得なかった。
「これでだいたい終わりかな」
いつもの事だけど健一の馬力には驚かされる。冷蔵庫ぐらいヒョイって感じで運んでしまうのだものな。リビングのソファだってそうで、引っ越し業者さんが目を丸くしてたよ。さすがに細かいところは残ってるけど部屋は落ち着いた。
さてだけど、引っ越しの挨拶はどうしよう。大昔は引っ越し蕎麦を配っていた時代もあったけど、今は色々みたい。まったく挨拶をしないケースだって珍しくもない。この辺は住んでいる人の事情とかもあって、無暗に親しくしたくない人もいるからとか、なんとか。都会はややこしい事情持ちの人は多そうだものね。
「それでもお隣さんぐらいはしておくべきじゃないかなぁ」
引っ越したのはいわゆるタワマンだ、マンションは上層階になるほど値段が高くなって、なおかつ上の階の方が広くなっている部屋が多くなってるところが多い。アリスが引っ越したフロアなんて三部屋しかないのよね。
さらに三部屋のうち一部屋は空き部屋になってる。つまりは同じフロアに住んでいるのは二軒だけだから、そこぐらいは挨拶に行くべきだの健一の意見は正しい気がする。この辺はどんな人が住んでいるかを確認する意味はあるはず。
『ピンポン』
こんなタワマンのこんな広い部屋に住むぐらいだからお金持ちなんだろうけど、どんな人なんだろう。ドアホン越しに定番の挨拶をしたらドアホン越しでお隣さんの家族の会話が聞こえたのだけどちょっと気になった。
「ユリ、入ってもらうけど良いかな」
「聞いてるから良いよ」
入ると言っても玄関ぐらいなのに変な感じ。ドアが開いて入ったのだけど、いきなり面食らった。そこにいたのは母子だと思うけど娘の方が白人だ。外国人差別なんてする気もないけどどうしてもね。
引っ越し祝いを渡して帰ろうと思ったのだけど、そのまま部屋の中に招待されちゃったんだ。こっちは引っ越し荷物の片づけ中だから遠慮したのだけど、これからもあるからって断り切れなかった。
どうも母子二人暮らしみたいなんだけど、なかなかセンスが良いよな。良いものでそろえてる気がする。お茶菓子を進められて歓談になったのだけど、白人娘の日本語は上手だよ。顔さえ見なければネイティブとしか思えないぐらい。
「そりゃ、そうですよ、日本生まれの日本育ちでガチガチのネイティブです」
聞くとハーフだそうだけど、あまりにも白人より過ぎて間違われて困るとか。そりゃ、そうなるだろうな。ここでまず驚かされたのが母親の職業だ。
「よくご存じですね」
知ってるよ。というか、知らない人がいるんだろうか。性に目覚めた少年少女のバイブルを書いてる人じゃないの。
「エロ小説家ですわ」
そうなるかもしれないけど、お世話になっている人がどれだけいるかだ。あの北白川葵先生がこんなところにお住まいだったなんて。
「なにを仰いますやら、四葉アリス先生がお隣とは光栄至極でございます」
さすがこんなところに住んでいる人はセレブだ。
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