第六章 武闘会とか、剣聖とか、魔王とか

第34話 これに関して、僕は何もしていません

 僕の朝は比較的に早い方だと思っている。元居た世界の時間で凡そ六時前後には起床し、支度を整えたら部屋の中で肉体改造を行う。


 別に大したことじゃない、魔力で強化した体で負荷をかけながら十種のトレーニングを七時までにこなすのだ。ほんの少し前まではちょうど良い負荷がかかって良い感じだったと記憶しているけれど、また少し強くなったのか体に負担がかかった感じがしない。


 原因は恐らくだけれど、僕の究極奥義である「奥魔時おうまがときを使ったからだと思う。あの技は周囲の魔力を僕が掌握して空間内に存在する任意の対象を魔力で攻撃できるから、緻密な魔力操作と膨大な魔力消費は避けられない。


 一時的とはいえ魔力を結構使ったから、それが体に対して程よい負荷を与えてくれたんだろう。更なる奥義の開発と共に、ここらでトレーニング内容をもう少しキツイものにチェンジしてみようかな。


 一通り汗を流した後は、できればお風呂に入りたいのだけれど湯船に浸かるという習慣はまだまだ上流貴族特有のもので、一般庶民や貧乏貴族は水を体にかけて洗うスタイルが一般的だ。


 それでも僕はお湯に浸かりたいので、以前までは王都郊外の森の中で適当なドラム缶で湯を沸かして入っいた。森の奥の方は魔物の群生地だし、人が入り込むことはまずないから見つかることもないし丁度良かった。


 けれど、いつの間にかルナが手紙を寄越してくれて、そこには僕でも浸かれるお風呂を用意してくれているとの情報が書かれていた。他にも大事なことが色々と書かれていたかもしれないけれど、僕にとってはお風呂の方が重要だからね。


 早速、その場所に向かおうかと思っていた時だ。トントンと部屋の扉が軽くノックされてしまう。


 この時間の来客なんて、僕の心当たりは一つしかない。扉には鍵がかけてあるから入ったからないだろうし、窓から脱出すれば問題ないだろう。


 コンコン、コンコン、ドンドン、ドンドンドンドン、ガチャガチャ、ガチャガチャガチャ!


 そう思って窓に向かいかけたその時、扉の方からガシャンという嫌な音が聞こえてきたので恐る恐る振り返ってみる。黒髪黒目の容姿の、それもフワフワウェーブヘアーで明らかに十五歳に達してない容姿を持つ年下の生徒なんて一人しか知らない。


 開けられた扉の前に立っていたのは、僕の妹のユイナだった。彼女はにっこりと微笑むと、朝の挨拶のつもりなのか恭しく一礼した。


「おはようございます、兄様。今日もご機嫌麗しゅう」


「お、おはよう。ユイナ、登校時間にはまだ早過ぎる気がするんだけど?」


「そろそろ兄様のトレーニングも終わりの頃かと思いましたので、私の部屋のお風呂を貸して差し上げようかと思い迎えに参りました」


 ユイナが迎えに来るようになったのは、あの事件の後、僕がお見舞いに行ったタイミングで彼女が目覚めた時からだ。どんな心境があったのかは知らないけれど、以前まではこんなにも兄様なんて呼んで擦り寄ってこなかったはずだ。


 それに、この件に関しては散々話をしているはずだ。


「いや、それは何度も断ってるはずなんだけど。これで何回目だっけ?」


「合わせて二十三回目かと。さあ、参りましょうか」


「人の話聞いてる?」


 うちの妹は、都合の悪いことは聞こえない特別な耳をお持ちのようだ。この件に関しては今までも、そしてこれからも特に譲るつもりはない。


 兄妹とはいえ、彼女の借りてる宅は基本的に優秀生しかいないはずで、その上、女子の部屋に男が入り込むという構図がいけない。これを見た人が何かしらの誤解をして、変な噂が流れても嫌だし。


 例えば、妹より出来の悪い兄が彼女の脛を齧りまくってるとかね。そんなの、流石の僕も許容できるものではない。


「兄様はいけずなお人です。余計な心配などしなくとも、大丈夫です。兄様に心労をかけるようなゴミは、私がきちんと綺麗にお掃除致しますから」


「いや、待とうか。それをやったら社会的の廃棄物としてお掃除されちゃうのは僕らだからね?」


「兄様と一緒なら、例え地獄だろうと焼却炉の中だろうと大丈夫ですわ」


「どっちにしろ燃やされてる気がしてならないけどね。僕は嫌だよ」


 体をクネクネさせて、一体何がしたいのだか僕にはさっぱり分からない。事件ではかなり大怪我を負ったって聞くし、その時に強く頭を打ったって本人は言ってるんだけど……。


 果たして、性格が180度以上も変わるものなのか。一ヶ月近く経つ今でも思わず別人を疑うレベルで不思議で仕方がない。


「まあ、そうおっしゃらずに一度くらいは足を運んでくださいませ。実の兄妹の仲が良いというのは、決して悪いことではありません」


「そうかもしれないけれど、ここから寮までってかなり距離がなかったっけ?」


「私の足を使えば一瞬です。さあさあ、今日こそ観念して捕まってください」


 ユイナは無駄に高い身体能力と体術の技量を使って僕に瞬時に接近する。本来の僕なら抵抗することも可能だったけれど、赤組配属の底辺剣士が彼女の攻撃をいなせるわけがないので抵抗するフリをして大人しく捕まっておく。


 ユイナの小さな腕と体に挟まれ、完全にお荷物扱いされた僕はそのまま彼女と一緒に風と同化した。彼女にかかれば直線で一キロ以上はある寮までは文字通り一瞬で、彼女の住んでいると思われる部屋の前で降ろされた。


 どうやらこの寮は三階建てで、それぞれの階に五つずつ部屋が用意されているようだった。建物の高さはうちの寮の方が部屋数が多いのに同じくらいの高さでこの部屋数なので、中は相当に広いものと推察される。


「さあ、兄様。ここが私のお部屋です。どうぞお上がりください」


「どうぞと言われても……。ここまで送ってもらって悪いけど、やっぱり帰るよ」


「そんな! つれないことを言わないでくださいませ! どうか、一度で良いですから!」


 そんなやり取りをしていると、ユイナの右隣の部屋の扉が開いた。中から出てきた住人は、まだまだ寝起きなのか寝ぼけ眼を擦りながらボサボサの赤髪をだらしなくポリポリと掻いて大欠伸をする。


「朝から、騒々しい……。ふぁ~~……。何事だってんだ……?」


 身長は僕より少し上くらいで、ちゃんとしたらチャームポイントになりそうな長いまつ毛が綺麗なお姉さんだ。着崩した寝間着の谷間からはだけた胸がグッと背伸びをすると零れ落ちそうになる。


「ちょっと、兄様! そんなけしからないもの、見てはいけません! イオナさんも、お客様がいらしてるのですから隠してください!」


「おっと、ごめん」


「ああ……? きゃくぅ~?」


 ユイナが後ろから僕のことを両手で目隠して視界を完全に黒く染める。こんなことしても周囲の様子は魔力感知で分かってしまうのだけれど、どうやら彼女は隠すどころか僕の方に近づいてきているらしい。


 ふわっと鼻先を掠めたのは、上品な甘さと仄かな柑橘系の香りがするシャンプーか何かの匂いだろうか。最近、アマゾネスでは化粧品や体をケアするための道具を充実させているとの話だったし、きっとそれを使っているに違いない。


「すんすん……。……悪い奴の匂いじゃねえな。男か?」


 すると、今度は彼女が僕の顔や体をペタペタと触り始めた。僕はされるがままにしているが、ユイナはユイナでどうして止めないのだろうか。


「……男だな、こりゃ」


「分かったでしょう? 早く私の兄様から離れてください。これでも、結構我慢してるんですよ?」


「その声は、ユイナか……。ユイナの兄貴……。もしかして、ネオ・ヨワイネで間違いねえか?」


「えっと、そうですけど……。あなたは、どちら様ですか?」


「その前に、一度着替えてくるからよ……。その間に、ユイナが説明しておいてくれ」


「え、私に投げるんですか? 自分のことくらい自分で紹介してくださいよ」


「あたしはまだ寝起きなんだ、ねみぃんだよ……。……ああ、あたしのことは気にしないでいい。元々、今日は早く学園に行く用事があったからな。また後で、ゆっくり話そうぜ……」


 彼女、イオナさんだっけ? は部屋の中にゆっくりと戻っていたみたいだ。何というか、第一印象が凄いマイペースな人だなっていうのは何となく伝わってきた。


「はぁ……。イオナさんも困って人です。相変わらずの傍若無人っぷりなんですから」


「随分と親しそうだったけれど、友達?」


「友達っていうか、何ていうか……。まあ、友達なのでしょうね。彼女はイオナ・エンペルトさん。前に行った野外実習で同じ班になってから親しくなったんです。兄様に触ったり、匂いを嗅いだりしていたのは弱視だからです。おまけに朝に弱いですから、寝起きで眼鏡をしてないときはああして人の性格や体格を確認することもあるので注意してください……って、本人にも再三注意はしてるんですけどね。彼女との生活習慣が異なるせいか、お隣同士だって知ったのもその頃で……。それからは、よく交流をするようになったんですよ」


「ふーん、エンペルトねえ……」


「兄様もご存知ですか? エンペルト家のこと」


「まあ、少しはね」


 本当にシュウヤから少し聞いた程度だけれど、確か有名な貴族の家系なんだよね? 権力とか、名声とか言ってたような、言ってなかったような……。


「エンペルト家は、王宮に務める貴族院の中でも有力な貴族の一人なんです。発言力が強く、他の貴族の顔役にもなっているみたいで学園でも媚びへつらう人は多いみたいです。彼女、そういうのは鬱陶しいって言っていて、皆お断りしちゃうからお友達が私くらいしかいないんですよ」


「シュウヤも同じことを言ってた気がする」


「シュウヤって、イオナさんの弟さんじゃないですか。そんな有名な貴族一家のご子息と懇意になるなんて、兄様もやりますね。弟さんもガードが堅いってイオナさんから聞きますから、是非とも、どういう風に取り入ったのかお聞かせ願いたいです」


「いや、取り入ったつもりはないよ。あいつ、単なるストーカーだし」


「またまた、ご謙遜を。有名貴族の方がストーカーなどするわけないじゃないですか。吐くなら、もっとマシな嘘を吐くべきですよ。兄様」


 彼がストーカーっていうのは、本当の話なんだけれど様子からして全然信じてない様子だ。シュウヤの素性を知ったらこのニコニコとした笑顔もドン引きな表情に変わっちゃうかもしれないし、知らない方が幸せなこともあるってことで追及はしないでおこう。


「ささ、そろそろ中に入りましょう。お風呂に入って体を綺麗にして、ついでに朝ご飯もご一緒しましょう。実は、最近行きつけのカフェがあるんです。きっと、兄様も気に入ります」


「いや、だからそこまで……」


「まだグダグダと抵抗する気ですか? ここまで来たならもう観念してください。学園に入ってからの積もる話もお聞きしたいですから」


 結局、一ヶ月近くも抗ってきた妹の強硬に抗いきれず、部屋に連れ込まれることになってしまった。お風呂は気持ち良かったし、彼女に連れて行ってもらったカフェもアマゾネス系列で味は文句があるはずもなかった。


 けれど、やっぱりユイナと一緒にっていうのは落ち着かない。今まで一緒に過ごしてこなかった反動でどう接すれば良いか困ることもあるし、年齢にそぐわず大人びているところが逆にやりずらく感じる。


 ……しかし、この現状をどうにかすることも叶いそうにない。暫くは、ユイナと仲良くしなければならない生活が続きそうで、人知れず心の中で溜息を漏らすのだった。

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