雀の声

鈴木

第1話 すずめ

「…………は?」


 リビングのソファで寝転びながら昔からよく遊んでいる最新とは言い難いゲームを楽しんでいる俺に母が告げた言葉は、俺の意識をゲームから奪うのにピッタリな言葉だった。


「だから、あんたに妹ができるって言ったの!」

 さっきまで今日の晩御飯の話をしていたのに、何故突然そんな話になったのか。今日は家族で出かけるから帰りに外食でも、とかそんな話だった気がする。そこから突然「妹ができる」と伝えられた。

 いや意味がわからない。


 眉間に皺を寄せて考え込み何も言わない俺に母は痺れを切らし、「もう!ちゃんと聞いてなかったんでしょ?ちゃんと説明するからゲームはやめて行くわよ」とソファから俺を引っ張り、外へ出たかと思うと乱雑に車へ乗せた。

 運転席には既に父がおり、後部座席で怪訝な顔をしている俺を見て、笑顔で「よし、行こう!」と車を発進させた。


 俺が驚いているのには理由がある。

 普通の母親が俺に「妹ができる」と言ったなら、俺もすぐに受け入れただろう。母の腹部が膨らんでいなくても、性別って案外すぐに分かるんだなくらいに思うはずだ。


 だけどこの母は、俺を産むときに無理をしたらしい。詳しくは聞いていないが、俺が幼い頃「弟がほしい」と父に訴えたら父が真面目な顔をして「母さんはもう子供を産めないんだ」と言っていた記憶がある。


 幼い子供に言うことでは無いだろう、とこの春中学生になりある程度性教育を受けた今は思う。だから俺に妹ができるはずはない。なのに何故、母は俺にあんなことを……?

 説明すると言われたのに父も母も和気あいあいと話していて、俺はますます混乱するばかりだった。


 しばらくすると車は止まり、母に降りるよう言われて恐る恐る降りる。そこには建物があり、俺にはどんな場所か分からなかった。


 すると母が「ここにあんたの妹がいるの」と囁いた。

「いや、だから説明をーー」

 俺が説明を求めようと声を出すと、それをかき消すかのように父が「早く会いに行こう!」と俺を引っ張った。


 父に無理やり手を引かれながら建物の中に入ろうとした時、入口の看板がふと視界に入った。


 “児童養護施設 ひいらぎ園“


 その文字でなんとなく事情が分かった気がした。


「井上さん、こんにちは!今日は息子さんもご一緒なんですね」

 従業員らしき女の人が父と母に声をかける。“今日は”ということは2人だけで何度か来ているのだろう。


「ええ、そろそろ春樹にも会わせようかと。これから一緒に住むなら早く仲良くなった方がいいでしょうし」

 歩きながら、勝手に話を続ける父。俺は相変わらずよく分からないまま父の後に続いて歩いていた。


 すると、子供たちの賑やかな声が聞こえる部屋に辿り着いた。案内をしていた女の人が扉を開け中へ入ると、あまりに騒がしい空間で耳が壊れるかと思った。

 一気に不機嫌な顔になった俺を見て、母は隣でくすくすと笑っている。


 そんな騒がしい空間で、走り回る子供たちの中に1人だけ静かに1冊の絵本を見つめている子供がいるのに気づいた。

 その子供は読んでいるのかいないのか、絵本を閉じたり開いたりしている。周りの子供がぶつかってきても泣きもしないし怒りもしない。

 変なやつ、と見ていると母がその子供を指差し「あの子が春樹の妹になる子だよ」と言った。


 は?


「お父さんと言ってたの。あの子、小さい頃の春樹にそっくりだって。あんた幼稚園で友達も作らずにずっと絵本読んでたのよ。お母さん、何回も先生に心配されたわ」

 よく覚えていないが、そんな事はどうでもいい。とうとう痺れを切らした俺は「そろそろちゃんと説明してほしいんだけど」と母に伝えると、母は少し寂しい顔で微笑み、話しだした。


 あの子供の名前は“すずめ”。母子家庭で、母親は3歳の誕生日に酔っ払いの運転する車の事故で亡くなり、まだこの施設に入って数ヶ月しか経っていないらしい。

 亡くなった際、遺体の近くにコンビニで買ったであろうケーキが落ちていたらしいと母は言う。

 そんな話を聞かされたら文句を言おうにも言えないじゃないか、と俺は小さくため息をついた。


 そもそもなぜ急にもう1人ほしくなったのか、と訊ねてみると「ずっと女の子がほしかったの」と母はいつものように微笑んだ。その顔を見て、なんだか少し安心した。


 話を静かに聞いていた父が、突然「すずめちゃんと少し話してみないか?」と言い出す。

「話してみないかって……なに話すんだよ」


 俺は小さな子供と接するのがあまり得意じゃない。小学生のときも、無愛想な顔をしているせいで低学年の女児に泣かれてしまったことがある。だからあの心に傷を負ったであろう子供にどう接していいかなんて分からない。


「なんでもいいんだよ。今日は何食べたの?とか、他愛もない話をしたらいい」

 父はそう言うが、妹になるとはいえまだ他人なんだぞ、と俺が怪訝な顔をしていると施設の人があの子供の手を引いてこちらへやって来た。


 幼い子供は俺をじっと見つめる。

「…………」

「…………」

 何も言えずに黙っていると、母が「こんにちは、すずめちゃん」と気持ち悪いくらいの優しい声で子供に声をかけた。母のこんな優しい声聞いたことない。


「今日は何食べたの?」

 父が言っていたテンプレートの質問を投げかける母。なんと答えるのか見ていると、子供は母から目を逸らし俯いた。

 少しすると施設の人の手をほどき、子供たちがいる方へ戻って行った。


 恥ずかしいのか?と思っていると、施設の人が「気を落とさないでください。相変わらず私たちとも口を聞いてくれないですから」と母を慰める。


 どうやらあの子供は喋らないらしい。母親を亡くしたショックが大きいのか、施設に来てから何を聞いてもうんともすんとも言わないと施設の人は言った。


「すずめちゃんが何をして欲しいのか、何をしたいのか、何が嬉しいのか、何が嫌なのかいろいろ聞いてみたんですけどなかなか上手くいかなくて……」

 女の人は困ったように笑っている。それを聞いた母が「あっ!」と何か思いついたように声を出した。何を言うつもりだと母の方をチラリと見れば、母もこちらを見ていたようで目が合う。


「息子は女心を掴むのがとっても上手いんです。息子にかかればたとえまだ幼くても、すずめちゃんの心をガシッと掴んでくれるはず!」

 何を言っているんだと呆れていると、父も「そうだな!春樹は俺によく似て顔が整ってるし!」と何故だか誇らしげにこちらを見ている。


 嫌な流れだな、と思っていると母の目から「行ってこい」という圧を感じた。父をチラリと見ると、父の目も同じだった。


 仕方ない、と小さくため息をついて施設の女の人に「あの子と、ちょっと話してきてもいいですか」と言えば、施設の人は笑顔で「もちろん!」と答えた。


 子供たちが遊ぶ方へ向かいながら、どうしたものかと考える。


 俺は本当に子供が得意じゃない。楽しくないのに笑顔になれないし、子供の遊びに付き合ってやれるほど少年心を持ち合わせてもいない。そのことは父も母も理解しているはずだが、恐らく何か考えがあるんだろう。


 不安を覚えながらも子供たちが騒いでいる方へ辿り着くが、あの子供の姿が見えない。小さいのがたくさんいるから見失ったのか?と探して回るも見つからず、挙句の果てには女児に囲まれた。


「お兄ちゃんかっこいいねぇ」

「お兄ちゃんいっしょにあそぼ!」

 女児たちに服を引っ張られ、なんだか幼稚園に迷い込んだ気分だ。


 すると、風も吹いていないのに庭へと続く窓のカーテンが揺れているのが見えた。下から小さな足も出ている。

 そうか、隠れていたのかと女児たちを引き離しカーテンを開けると、案の定そこにあの子供がいた。


 小さく座り絵本を眺めている。ページを捲っていたから「文字読めるのか?」と聞くが、相変わらず何も答えない。

 しゃがみこみ目を合わせようとするがこちらを見もしない。何を聞いても何も答えない子供との接し方を教えてくれ、とボヤきたくなる。


 だがすぐに諦めたら母に何を言われるか分からない。もう少し頑張ってみよう。

「なぁ、そんなとこ隠れてないで、こっち来て遊ばないか?その……積み木とか……あ、それ読んでやろうか?」

「…………」

「…………」

 俺にしては頑張った。もういいだろう。


 とうとう諦めて父と母のところへ戻ろうと「じゃあまたな、すず」と別れの挨拶をすると、途端に子供がこちらを見た。


「……?」

 大きな目を見開いている。そんなに驚くようなことを言っただろうか。


 いや、よくよく考えればこの子供の名前は“すずめ”だ。周りもみんな“すずめちゃん”と呼んでいたし、ちゃん付けで呼ぶのはなんだか嫌でなんとなく呼びやすいからと“すず”なんて省略して呼んでしまったが、嫌だったかもしれない。


 早々に嫌われたかと思い顔を見ると、なんだか不穏な雰囲気だ。顔がどんどんクシャクシャになっていく。これはまずいかもしれない。嫌われたどころじゃない。


 子供の息がどんどん荒くなっていく。昔女児を泣かせた時と同じ光景だ。ということはつまり…………


「…………ふぇ…」

 まずいまずいまずいまずいまずいまずい。


「…………うわああぁぁん!!!」

 ……終わった。

「え!?なに!!どうしたの!?」

 驚く母たちの声がする。バタバタとこちらへ向かっている音がする。


 中学生が児童養護施設の子供を泣かせたなんて人聞きが悪すぎる。これから何も知らない母にシメられ、今回の話も恐らくなかったことになる。父は面白がって人に話し、俺は父の会社で“心に傷を持つ女児を泣かせた男”として有名になる。そして大人になっても父と母にこのことを面白おかしくいじられ続けるんだ。人生終わった。


 大袈裟に落ち込み放心していると、胸に突然重みを感じた。

 我に返り衝撃のあった所を見る。


「……すず?」


 涙を流しながら必死に俺にしがみつく、あの子供がいた。大きな水の粒がどんどん目から溢れ、泣き声はどんどん大きくなる。それなのに力強く俺にしがみついている。俺がなにか嫌なことをしてしまったのかと思ったが、どうやら違ったらしい。


 どうしていいか分からずぼんやりしていると、子供が大きな泣き声をあげながら小さく「ママ」と呼んだように聞こえた。


 そうか、ずっと我慢していたのか。

 知らない場所で、知らない人間に囲まれて、ずっと母親と2人で生きてきたのにその母親は消えてしまった。

 母親に似ている人を探していたのかもしれない。言動、声、見た目、仕草、なにか1つでも母親に似ている誰かを。そして、さっきの俺の言葉が母親の何かを思い出させたのか。


 もしそうだとしたら、急にこんな風に俺に縋りついて泣いているのにも納得がいく。

 この子供の心情を思うと、酷く悲しい気持ちになった。やるせなくて、不甲斐なくて、俺には出来ることが1つしかない。


 この子供を、ただ抱きしめてやることだけだ。


      *


『すず』

『すず、ケーキ買って帰るからね』

『一緒に食べようね、すず』


『ママ、わたしのなまえ、すずめだよ!』


『呼びづらいからすずでいいんだよ!』


『えー!』


      *



「すず、よく頑張ったな」


 母親を求めて泣きじゃくる子供の声が、俺の耳に強く残った。

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