【第三話】ボクのアイはユガンデイル

 帰り道。女性を隣に歩くなんて初めてだ。


 距離して五センチほどだろうか、肩が触れ合いそうである。触れ合うことはないが。


 人の目もあり、会話は出来ないため、そこは彼女も空気を読んで口を噤んでいたが、僕が何も無い所で躓いた時は、吹き出して笑っていた。

 

恥ずかしかったが、笑って貰えて嬉しかった。


 家に着く。僕と母以外の誰かを家に上げることは、今まであまり無かった為、なんだか妙な緊張感があった。

 ましてや相手が想い人となると、また何倍か、その緊張は膨れ上がった。


 「もう話せる?」と彼女が聞いてきたので僕は「はい」と返事した。相手は先輩だ。


 「リビングだと落ち着かないので、二階の僕の部屋に」

「りょうかーい」


 平然を装っているが、心臓の鼓動は聞こえていないか心配になるくらい高鳴っている。


 母は仕事である為、家にはいない。僕は二階の自室に彼女と上がる。幸い薄い桃色の本は持っておらず、かつ最近掃除した為、部屋は綺麗である。


○ ○ ○


 「どこでも、座ってください」

 「あぁ、ありがとう」

 そういうと、彼女は続けて「窓、開けていいかな」という。

 「どうぞ」

 「ありがとう…あ、開けてくれるかな。私モノに触れられなくて」

 「あぁ」


 僕が窓を開けると、彼女はペコリと軽く頭を下げた後、窓の縁に座り、さらにその縁に左手を置く。右手は窓枠に。


 「ありがとう」


 「窓に座るの、好きなんですか?」

 僕は問う。


 「風が好きでね」

 彼女は顔を俯かせて言う。

 テンパっているのもあってか、僕はなんと返せばいいか分からなかった。

 「風ですか…」


 「そうそう。実はね、こうやって手を置いてるみたくしてるけど、なんというか、こう、ここでピタっと体を止めているだけというか。腰も多分、地味に縁から浮いていると思う。要するに私はモノに触れられないんだ。感覚がないんだ」


 「キツそう、ですね」

 「ううん、それがキツくないんだ、ビックリ。でさ、感覚ないと寂しくて。でも風だけは感じられて」


 彼女は先程から左手を縁から離してクルクル髪をイジっている。ついそれをジッと見つめてしまう。


 「ん? あぁ、これも触ってる感覚はないの。自分の身体は手がすり抜けなくてね、でもやっぱり、感覚はないの。これは昔からの癖かな」


 左手を縁に戻して、少し間を開けた後、彼女は続ける。


 「もしかしたら見てたかもだけど、私、屋上から飛び降りるのにハマっててさ。風が気持ちいいんだ。死んじゃう心配もないし」


 「あ、あれ、そういうことだったんすね」


 予想の斜め上をいく理由だった。


 それから顔を上げ「そうそう、続けて喋っちゃってゴメンね。私が芦名君に伝えたいことなんだけど」と。


 「はい」

 僕は心構えた。きっと大切なことだ。


 「心残りがあるの」

 「…といいますと」


 「私、好きな人が、いるんだ」


 風が彼女の髪を靡かせる。

 真っ白になった頭の中に、そよ風の音が静かに響く。僕は何も返事ができなかった。


 それは、どういうことだろう。


 沈黙は一秒ごとに重くなる。僕はハッとしてすぐに会話を紡ごうとする。


 「ほ、へぇ。あぁ、いや、好きな人、いたんですね。いや、クールなイメージで、いなさそうだなーと勝手に」


 いなさそうだなー、なんて微塵も思っていなかったが、この動揺を誤魔化そうとポッとでの言葉を放ってしまう。


 すると彼女は笑って 「そんなイメージだったんだ、私。全然いるよ、二年前から好きなんだ」


 「それって」


 「幼なじみの│まもるっていう奴なんだけど、高校生になってから急に意識するようになっちゃって」


 「ああ」もう、何も出てこない。


 「バレンタインチョコ…渡そうと思ってたんだけど、死んじゃった」


 「あ…」


 同情して俯く。正確には同情したフリをするために俯く。本当は、ただ自分の恋が叶わなかったことしか頭になかった。

 それ以外は考えられない。薄情者め。


 再び沈黙が流れる。


 今度は彼女が会話を紡ごうとする。第一、これを会話というにはキャッチボールがなってない気がした。


 僕は彼女の豪速球を、馴染まないグローブでひたすら受け止めている感覚だった。

 

 「ごめんね、急にこんな話しちゃって。嬉しかったんだ。私のことが見える人がいて。私の晴れない気持ちを聞いてくれる人がいて。少しラクになった。ありがとう」


 「それは」また思ってもないことが口に出る。「お力になれたようで、嬉しいです」


 「芦名君からは何か、ある?」

 「いや、特に、大丈夫です」

 「そっか……今日はここに泊まってこーかなー」


 「え?」

 「冗談、私生活覗かれるのは恥ずいよね」

 「いや、いいで…イヤですね」

 「だよね。じゃあ今日の夜は何して越そうかな。何かいい案とかある?」


 少し考えた、フリをした後に言う「思い浮かばないですね」


 「そっかー。あ! いいこと思いついた!」


 彼女は振り向いて窓の外を見る。


 「スカイツリーに登ってみよう! 世界一の電波塔、どんくらいの高さか実感してみよう!」


 「なるほど」

 「といっても、まだ出るには少し早いからさ、お母さんが帰ってくるまでなんかして遊ぼ」


 それから、僕らはトランプなりオセロなりで遊んだ。

 

 彼女が言うには、一瞬だけならモノに触れることができるらしい。といっても、めちゃくちゃ力む必要があるとのこと。


 だから結局、これ、とか、ここ、とか言って、その指示に従って、僕がカードやオセロを動かした。


 その間も、僕は失恋したことしか頭になかった。嫉妬か、怒りか。そんな自分が嫌だ。


 午後七時半頃、母が帰ってきた。

 彼女は「本当にありがとう! また明日!」と言って、窓から夜空へ飛び立った。

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