アナタしかミエナイ

マネキ・猫二郎

【第一話】ボクにはミエタ

 僕は先輩が好きである。


 先輩の名を坂本 美琴という。坂本さんは僕と同じ弓道部の先輩で、二つ上の高三だ。彼女は僕より少し背が高く、およそ百七十センチくらい。差にして三センチほどだと思う。


 練習中の凛と的を射る姿と、休憩時間や普段渡り廊下で見かけた際の無邪気な笑顔とのギャップに、何時しか心惹かれていたのである。


 対する僕は、名を芦名 日々斗という。特筆するほどの個性もない。唯一挙げるとするなら、それはヘタレであることだ。ときたま彼女と会話することもあった。しかしそんなチャンスは、実ることなく、枯れて落ちてゆくばかりであった。


 僕は去年の四月に弓道部へ入部した。それからはや十ヶ月。


 無論、大した進展はなく、「友達」にもなれないまま、つい昨日。二月一日に彼女は引退した。


〇 〇 〇


 二月三日。土曜日。


 負け戦な恋愛中の休日というのは、とても虚しい気分になる。第一、僕は戦にすら参加してないも同然だが。彼女の頭に僕はいないだろうから。


 午前八時、目が覚めているにも関わらず、僕は締め付けられる胸の痛みを誤魔化そうと、眠りへ逃避するべく、ひたすら布団にくるまって目を瞑っていた。目の裏にも彼女はずっといた。


 ピコン。スマホの通知音が鳴る。

 僕はやっと目を開け、布団から顔を出す。カーテンで遮られた日光が部屋を薄暗く照らしていた。


 枕元で充電していたスマホを手に取り、ホームボタンを押すと、ロック画面が表示される。壁紙は白一色の素朴なものだ。


 友達伝いで入っていた部活グループLINEへ、ある一件のメッセージが入ったらしく、画面中央部にはそのバナーが出ていた。送り主は、いつも坂本先輩と親しくしている富山 莉子先輩だった。


 【弓道部】T.riko

 昨日の夕方、送迎の車で、坂本と、坂本のお母さん、妹さんが、交通事故にあい亡くなったそうです。学校から連絡がありました。昨今のコロナ事情により、お葬式はご親族の方々のみで執り行うそうです。


 そこに友人としての莉子先輩の気持ちは書いておらず、ただ事を説明しているだけだった。


 僕はやっと肩の荷が降りた気がした。諦めがついたのだ。また、誰かに彼女を奪われる心配もなくなった。あぁ、醜いなぁ。


 その醜さに、僕は息が出来なくなるほど、枕に顔を埋めた。


 人は死ぬ。人は死ぬ。人は死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。


──狂ったように言い聞かせて、僕は立ち上がる。もう、彼女はどうにもならない。


 朝ごはんを食べようと、リビングへ向かう。枕にはシミができていた。


○ ○ ○


 リビングに入る。

 「おはよう!」

 母が元気よく僕に挨拶をする。

 「おはよう…」

 暗い声色で僕は返事をする。


 それから、台所の戸棚から食パンの入った袋と、アルミホイルを取り出す。アルミホイルを食卓に広げ、その上に一枚パンを置く。


 そして、焼かず何も塗らずの食パンを口に運ぼうとした時だった。


 「えぇ〜、せめてなんか塗ろうよ~」横から母が口を出す。


 それから、冷蔵庫を開け、掌サイズの瓶を出したかと思うと、ドンと僕の目の前に置いた。「ほい、母特製イチゴジャム!」それから母は、僕の向かいの椅子に着いた。


 「あぁ、うん…」僕は不可抗力的にソレをパンに塗る。鮮やかに紅く紅く染められてゆくパン。フルーティなイチゴの芳香がふんわりと鼻に香ってくる。塗り終えた僕は、早速パンにかぶりついた。


 サクッ!


 美味しい。

 「美味いでしょ」

 「うまい…」

 「あったりまえだぁ!」

 誇らしげに母は笑う。


 僕の心は、少しだけ温度を取り戻した気がした。


 「さ、私は仕事に行きましょうかね〜」


○ ○ ○


 二月五日。


 その日は曇りであった。


 学校は休もうとも考えた。実際、母に自身の抱えている問題を話せば、休ませてくれそうだとも思った。


 しかし、僕にそんな度胸はなかった。母はパートがあるから、僕はその間一人になる。一人だと、一層イヤな考えばかりしてしまう気がしたのだ。それはそう軽いもんじゃない。僕の生死に関わる。


 だからといって母を僕の都合で休ませるのは、なんだかバカバカしかった。


 だから僕は、学校に行って友達と話すことにした。それが一番気が紛れて楽になると思った。実際、友達と話している間は少し楽だった。


 しかしそれは、心の堀が埋まったのではなく、ただ覆いをして隠しているだけなのだ。


 授業中はイヤなことを考えてしまう。

 自分で思う。バカバカしい。死にたくなんかないくせに。


 曇天の空を背景に、僕は隣の校舎の屋上を見ていた。そこに自分の姿を投影して、屋上から地面へと視線を移す。窓の縁で区切られて、視線は校舎の二階くらいで止まる。


 それを何度も繰り返していた。痛いのか、怖いのか、走馬灯は見えるか、そんな事を考えていた。


ふと、隣校舎の二階くらいから再び屋上へ視線を移した時だった。そこには──


そこには、死んだはずの彼女がいた。

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