第6話 先生、嘘ですよね?

 ここが、現場となる場所か……。


 車を止めると、先生はドアポケットから手袋を取り出して、手に嵌めた。

 そして先生は、僕にも手袋を嵌めるように促す。


「そっちのドアポケットに、手袋入ってるわ……使って」



 覚悟はしているが、現状……先生を止められるのは、もう…僕しかいないだろう。



 これが縁によるものならば、無駄な足掻きではあろうが……、一応の制止は試みてみようと思った。




 僕はともかく、先生に───罪を背負ってほしくは無い……




 ───学校を出てから、ここに来るまで……

 見聞きして、感じたことが、そのえにしが───




 全力で、

 「先生を止めろ」と叫んでいた……!




「……先生、他に方法は無いんでしょうか?」

「え……?」


 僕の、真剣な言葉に……先生は少し驚いたような雰囲気を感じた。


「僕は、先生の事はよく知りません……。ですが、僕と違って……親類縁者が、多いんじゃないんでしょうか?」


「……何よ、いきなり?」


 先生は不機嫌そうに、「親類縁者」の部分に過剰に反応した。

 ……原因は、どうやらその辺にありそうだ。


「知ってるなら、分かるでしょ……? 大企業の一族なんて……、周りが思うほど良いものじゃないのよ……!」


 先生は、明らかに苛立っていた。

 僕は、少し牽制を入れる。


「すみません。……僕には、言ってはいけないことでしたね。……家族のいない僕には……その苦労は……確かに、実感できません」


 そう……すまなそうに、落ち込んだように言ってみる。

 自分の弱み──他者からすれば「不幸」と認識される部分をあえて提示して、相手の攻撃性を削いでおく。


「……そ、それは……」


 ───怯んだ。

 ある程度、予想通りだ。


「けどこれは……誰かがやらなきゃ、ならないの……! 親類が……会社が、あたしに押し付けたことでもあるのよ……!」


 ……根が、悪い人ではないのだろう。

 自分の主張をしながらも、罪悪感が隠せていない。迷いも感じられる……。


 何より、僕の対話に乗ってきた──。

 話したがってる相手なら、切り込む余地がある……!


「先生。……先生が、生徒たちみんなに、なんて噂されてるか、知ってますか?」


「………はぁ?!」

 彼女は、苛立ちと不信を混ぜたような表情を浮かべる。


 そして、自虐的に、

「どうせ……! ろくなもんじゃないんでしょ!?……いい歳して、派手でエロい格好して、生徒に色目使って……金があってワガママで………っ!」

 彼女は捲し立てた。


「と、歳の事は…言われてませんでしたけど……」


 随分、自分を卑下したことを言う……。

 あまりにネガティブな感情が吹き出してきたので、思わず僕の方が怯んでしまい、年齢に関してはフォローしてしまう。

 正直、そこまで酷いことは言われていないのだが……。


「はっ!……じゃあ、他の事は言われてるわけね!?」


 ……そうなっちゃうよね。


 噂のニュアンスとしては、そこまで酷くはないんだけど。でも陰口だし、本人からすれば腹が立つだろう。


 だが、これはあくまで、前フリだ───。


「それ、……してんですよね?」


「……?」


 先生は、僕の顔を伺っている。


「確かに、先生の事はよく知りません。でも、先生の素性は……さっき見てから、少し分かってきたんです」


 ───僕は、すっと指差す。

 先生の足下を。


 反射的に、先生は自分の身を庇うように腕を縮めた。


「……それ、安全靴ですよね?」


 僕に言われて、先生の肩が一瞬ぴくん、と持ち上がる。


「……それが、どうしたのよ」


 先生は、校内でハイヒールを履いていたが、それは上履きとして下駄箱に置いてきていた。

 運転するときに見た靴は、爪先に補強の入っている、──スニーカーに見えるが……安全靴だったのだ。それも、そこそこ使い込まれている……。


「他にも、……先生は、指輪もネックレスも着けていません。服装との組み合わせで考えれば、少し…ちぐはぐです」


「………」

 先生の眉が少し持ち上がる。


「何より、付け爪もマニキュアもせず……その………。」


 そこまで言って、つい…言い淀む。

 さすがに、これを女性にストレートに言うのは、憚られるが……。


「……言ってみなさいよ」

 しかし、先生は続きを促した。

 どこか、諦めのような雰囲気を滲ませながら……。


「……指先が、荒れています」


 僕の言葉で、先生の唇が一文字に結ばれた……。

 ……僕は続けた。


「先生の手は、……普段から手作業を欠かさない人の手なんです。……僕がずっと見てきた、お寺のみんなや、バイト先の先輩たちの手も……同じでした」


「…………」

 先生は、黙って聞いていたが……少し肩を落としたように見えた。


「僕は、自ら身体を動かし「事に仕える」事は尊いことだと教わりました……。そして、僕自身も、そう思っています」


 事に仕える、

 それが仕事である、と。


 僕は、真っ直ぐに立ち

 先生を見つめた。


「そんな人が、こんな…ことを進んでするなんて……信じられ……」


 いや、

 僕は首を振る。


「信じたく……ないんです…!」

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