【 一 】(16 / 25)

 君は勢いそのままに、ルスティの背後に降り立つ。

 何度となく聞いた短い破砕音。頬を流れる汗の感触。木々の香り。口の中に広がる血の味。

 視覚以外の感覚が戻ってきた。それは、君が世界の流れに戻った証。

 超越した代償は、今のところ何もない。

 強いて言えば、軽い目眩と吐き気を催しているくらいだろうか。


 かくして、瘴気に呑まれた魔獣──ルスティの瘴石は砕かれた。

 君がルスティに向き直る。制御を失った瘴気が身体から放出されているところだった。


「ちょっと貴方‼ 一体何をしたの⁉」


 頭や体に葉っぱが付いた状態のヴィズが君に駆け寄って来る。


「い、いやぁ、なんと説明したものか……。それよりも、突き飛ばして悪かったっすね。怪我、してないっすか?」

「…………。青い顔して何言ってんのよ。自分の心配をしなさい」


 妙な間を挟んだ後、ヴィズはそっぽを向きながら口を尖らせた。

 その行動の意図を君は理解できなかったが、確かに格好はつけられないなと肩を落とす。


 ふと、背後で何かが落ちる音がした。


 君は上体を戻しながら振り返る。

 大量の瘴気は完全に霧散し、白く小さい物体だけが地面に残されていた。


「──っ⁉︎ ルスティ様‼︎」


 ヴィズが白い物体に駆け寄り、抱き上げる。

 それはよく見ると、白く美しい体毛のウリ坊だった。

 両腕の中に簡単に収まるくらい小さい──産まれたばかりの幼獣のような──体格で、額には縦にまっすぐ伸びた傷ができている。


「……え? このが『ルスティさま』?」

「不敬っ‼」

「す、すんません!」


 短くも鋭い怒りの抗議。

 前髪の隙間から除く憎悪の視線を感じ取った君は素直に恐怖した。


「……言っておくけど、本来のルスティ様は成体の猪よりも数倍大きい、それはそれは御立派なお体なのよ! 貴方なんか簡単に踏みつぶせるんだかね!」

「そ、そっすか……」


「ふふっ、にぎやかじゃの」


 若干、幼さを感じさせる声が君の耳に届く。

 声の主は、ヴィズの腕の中で小さい体を僅かに動かしながら君に顔を向けた。

 つぶらな紅い瞳が君を真っ直ぐ君の姿を捉える。


「ルスティ様! すみません、騒々しくて……。お体の調子は如何ですか?」

「ふふっ、そうかしこまらなくてもよい。こんなナリだが、なにもししょうはないぞ」


 『白いウリ坊』改め、ルスティは得意げに鼻を鳴らすと、ヴィズの腕から飛び上がって地面に降り立つ。

 君は体高が脛の半ばくらいまでしかない小さな神猪様にひざまづくように腰を下ろす。


「ルスティ様。わたくし、名をウェイクと申します。森に居を構えておきながら、直接の御挨拶が遅れてしまい、大変申し訳ございません。改めてお見知り置き頂ければ幸いです」


 うやうやしく口上を述べて、君はこうべを垂れた。

 かつて世話になっていた職場で培ったハリボテの礼儀作法だが、それっぽくは見える。

 視界の端でヴィズが怪訝そうに口元を歪ませているのが見えるが、今はそっとしておこう。


「うむ、ウェイクか。よろしくの。というか、そんなかしこまらんでよいぞ?」


 小さな神猪様は、嬉しそうに鼻を鳴らした。

 様子からして、もう君が気に掛ける要素は何もなさそうだ。


「そっすか? じゃあ遠慮なく。あと、慌ただしくて申し訳ないんすけど──」

「……いくのか?」


 ルスティの問い掛けに、君はゆっくりと頷いてから答える。

 背後で鬼の形相になっているヴィズは、ひとまず見なかったことにした。


「はい。結果的に森や禊池を巻き込んでしまった姐さ──主人・レヴィの暴走を止めないといけないんで」


 真っ直ぐルスティを見て、己の揺るぎない意志を伝える。

 ルスティは少しの間、君の瞳を静かに見据えた後、数回頷きながら口を開いた。


「……そうか。──なら、ワシもついていこう」

「え?」

「ル、ルスティ様⁉」


 ルスティの発言にヴィズが声を上げる。

 驚いたのは君も同じだ。


「……良いんすか?」


 冗談や酔狂で言っているのではない事は、君でも容易に理解できた。

 だからこそ、君はルスティの真意を掴みかねる。


「むろんだ。せわになったしの」

「いやいや、暴走したのはそもそも──」

「ちょっと、貴方! ルスティ様が『同行する』と仰っているのよ? 口調はこの際、許容するけど……、不敬も度が過ぎればどうなるか、


 やんわりお断りしようとした君の言葉を遮って、ヴィズがやじりをチラつかせて威圧してきた。


「え? ワシ、そんなぶっそうなことせんけど?」

「私自身は納得してないけど、ルスティ様の決定は『絶対』よ? 神に意見するとか愚の骨頂! ……『神罰』、体験しとく?」

「え、なにそれ? ワシ、そんなこわいことしないよ?」

「……は、ははは。じゃ、すんませんが、よろしくお願いします」

「そうよ! 心の底から感謝しなさい!」

「そういうの、もうよいから。……したらばウェイクよ、あたまのうえをかりるぞ?」


 ヴィズの態度に溜め息を吐いた後、ルスティはウェイクの膝や背中を飛び移り、

ウェイクの頭の上に鎮座する。

 納まりが良いのか、君が立ち上がっても落ちそうな素振りがない。


「そんな、ルスティ様! 『船』の代わりなら私が──」

「ほれ、さっさとゆくぞウェイク。ほうがくは……あっちだ」

「……り、了解っす」


 役目を与えられず、大げさに絶望しているヴィズを放っておいてよいのか一瞬迷う君だったが、ルスティの心情を察して移動を開始した。

 その後、しばらくの間、背後からいわれのない殺意を向けられ続けたのは言うまでもない。

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