いじめっ子のけじめ(part5)
「……………………」
優奈は、ひどく怯えていた。いつものようにベッドに座っていて、壁を背にし、枕をぎゅっと抱いていた。
だけど、前回と違って部屋がキチンと片付いていた。漫画本はちゃんと本棚に整理されていて、優奈もパジャマではなく、Tシャツにズボンという簡単な格好ではあるけど、ちゃんとした部屋着を着てる。
「……えーと、優奈。電話で前もって伝えてはいたけど、もう一度話すわね」
私は部屋の入り口に立って、両隣にいる二人を優奈に紹介しようとした。
「この二人は、ミユとメグミ。私の……」
──友だち、と言おうとして、一瞬言い淀んでしまった。
いや、今さら何を躊躇う必要があるんだろうと思っていたけれど、なんとなく私は……怖くなってしまった。
あれだけ酷いことをたくさんしてきた私が、軽々しく友だちなどと優奈に伝えてしまっていいものか……?私にたくさん嫌な想いをさせられたミユやメグミは、不快な気持ちにならないだろうか?
一度は片付けたはずの無意味な不安が、また風邪をぶり返したかのように、心の中に巣くってくる。
「……………………」
そんな私の様子を見ていたミユとメグミは、それぞれ優奈に向かってこう告げた。
「優奈さん、初めまして。私は舞の友だちの美結って言います」
「私も同じく、湯水の友だちの平田 恵実です。どうぞよろしく」
「……………………」
二人の挨拶を受けて、優奈はぺこっと頭を下げた。
(……本当に良かったわ、この二人が優しい人たちで)
友人に恵まれたことを感謝しつつ、私は優奈に視線を向けた。
彼女はじっと押し黙りながら、私たち三人を見つめていた。
「……………………」
少しの間、四人の間に会話はなかった。会ったばかりの気まずさゆえに、咳払いさえも躊躇われた。
(とりあえず……自己紹介も終えたことだし、私がこの二人を連れてきた目的を優奈へ話すべきかしら……?)
初めにその当たりの段取りも決めておくんだったなと思いながら、口を開こうとしたその時。
「あ、この漫画!懐かしい!」
ミユが、優奈の本棚にある少女漫画を指差して言った。それを受けて、優奈がおそるおそる言葉を発した。
「『スイート・ハイスクール』……知ってるんですか?」
「うん、中学生の時好きだった!メグもよく、この漫画のキャラ描いてたよね?」
「あー!うんうん!よく模写してた!」
ミユとメグミが、その漫画の話題に踏み込んでいく。それに、だんだんと優奈も飲まれていった。
「この漫画、あんまり知られていないけど、面白いよねメグ!」
「うん!私もめっちゃキュンキュンしてた!特に川島くんが美咲と花火デートするところでさ!」
「分かる~!あそこホントにいいよねー!川島くんカッコいいよね!」
「うん!カッコいい!」
「優奈さん、好きなキャラっている?」
「あ……え、えっと、私も川島くんは好きだけど……一番推し……っていうか、好きなキャラは、淀川くん、です」
「淀川くんなんだ!あれだよね?ヤンキーでちょっと無愛想な」
「は、はい……。でも本当は優しくて、強くて、それがいいなって……」
「「分かる~!」」
ミユとメグミの明るい笑顔に連られて、ちょっとずつ優奈も緊張が薄れてきたように見えた。
最初は自分の身を守るようにして抱いていた枕が、いつの間にか彼女の横に置かれている。
「あの…………ふ、二人はなんで、この漫画……知ってるんですか?アニメ化されてもないし、全5巻で短いのに……」
「なんでだったかな~?確かメグから教えてもらったような気が……」
「うん、私も結構漫画とか読むの好きで、よく絵も描いてるの。少女漫画だけじゃなくて、普通に少年漫画とかも好きだし、小説とか読むのも好きかな~」
「そ、そうなんですね……」
「そうそう!だから、スイートハイスクールの話できるの、嬉しいな!」
「は、はい……。わ、私も……はい、驚きましたし、う、嬉しいです……」
……優奈は少しだけ、頬を綻ばせた。それは本当に小さくて、よく凝視しないとわからないくらいの些細な微笑みだったが……それでも、間違いなく彼女に変化があった。
会ってわずか十分もしない内に、たとたどしくも「嬉しい」という言葉を優奈から引き出した二人の手腕を、さすがだなと思う一方で……三人の漫画の話についていけないのが、少しだけ寂しかった。
「ねえねえ舞」
ふいに、ミユから声をかけられた。私はパッと彼女へ顔を向けた。
「舞は、この漫画知ってる?スイートハイスクール」
「……いいえ、申し訳ないけど未読だわ。私ミーハーだから……流行りのものしか知らないのよ」
そう……私は元来、大衆から目立って評価されている作品以外には興味がなかった。
評価されている作品意外に価値なんてないと思っていたし……どうでもいいと思ってた。
「でも……そうね、三人がそれほど好きなんだったら、私も読んでみようかしら」
「ほんと!?」
「ええ」
「なら、私が貸したげるよ湯水!」
「すまないわねメグミ」
「……………………」
……私が話に参加してきたことに、優奈はひどく驚いていた。当然よね、彼女からすれば……こんな私は見たことがないでしょうから。
「……お二人は」
優奈がミユとメグミに目を向けて、こう話しかけた。
「本当に、湯水さんのお友だちなんですね」
「「……………………」」
優奈の言葉を受けて、ミユとメグミは眼を合わせた。そして、互いに苦笑を浮かべると、優奈にこう告げた。
「私たちもね、優奈さんと同じく……湯水には困らされた口なんだけどね」
「……え?」
「うん。私なんか、舞にバリカンで丸坊主にされたんだから」
「────!」
「それに、私の大事な人を監禁したり、襲ったりして……大変だった時もあったよ」
優奈が画面蒼白になった。ごくりと息を飲んで、ミユと……そして私のことを見つめていた。
「……その、あの時は……本当にごめんなさい、ミユ」
「気にしないで、もう過ぎたことだから」
「……………………」
「な、なんでそこまでされたのに、湯水さんのこと……許せるんですか?友だちに……なれるんですか?」
「………許すとか、許さないとかでいうなら、正直……今でも許せないよ?でも……」
「……………………」
「……許さないことと、優しくしないことは別なの。私にとってはね」
「!」
「舞は舞で、ずっと親から無視されて育ってきた。優しい想いを知らないままに生きてきて……。そんな舞は今、頑張って優しくなろうとしてる。それは応援したいなって思ってるの」
「……………………」
「私もね、昔は結構ヤなやつで……舞ほどではないにしても、他人のことを省みない人間だった。そんな私も、お兄ちゃんやメグや……いろんな人に優しくしてもらえたから、優しい気持ちを知れたの。そういう意味でも、湯水は私とダブるところがあって……」
「……………………」
「……ねえ、優奈さん。良かったら隣、座ってもいい?」
「え?あ……はい」
ミユは優奈に一言許可を取ってから、彼女のベッドに腰かけた。
「私はね、優奈さんの気持ちと、湯水の気持ちが共感できる位置にいると思うの」
「……………………」
「だからね?……何て言うのかな、優奈さんの味方になれたらいいなと思って、今日ここに来たの」
「味方……」
「……深くはまだ知らないんだけど、優奈さん、今……辛い想いをしてるって聞いて」
「………なんで、見ず知らずの私のために……?」
「……………………」
「湯水さんから頼まれたからですか?」
「……それもある。でも、優奈さんはもう……友だちじゃない?」
「!」
「同じ漫画が好きな友だち……。それに、私も親といざこざがあったりしたから、なんだか他人事に思えなくて」
「……………………」
優奈は私の方へ眼を向けた。
「優奈、少しだけ……あなたのことを、ミユとメグミに話させてもらったわ」
「……………………」
「あなたが、あなたが本当に父親を殺したいくらい憎んでいて……もう、どうしようもなく追い詰められているその境遇から……私は、どうにかあなたを助けたい」
「湯水さん……」
「私のことは、許さなくてもいい。自己満足だと罵ってくれていい。いくらでも私のことを顎で使ってくれていいわ。それで、あなたが救われるならね……」
「………なんで、なんでそこまで……」
「……罪を償いに……いや、違うわね」
「……………………」
「ミユたちのように、私も優しくなりたくて……」
「───!」
「ごめんなさい、そんな風に言っておきながらなんだけど、私一人じゃあなたを助けるのは困難だと思ってしまって……。だから、二人に来てもらったのよ」
「……………………」
優奈は静かに、膝を曲げた。そして、ぐっと眉をひそめてから……しばらく黙っていた。
「………もし」
そして、ようやく口を開いたその時……彼女からついに、この言葉が発せられた。
「もし良かったら、私の話を……聞いてもらえますか?」
「「……………………」」
私とミユとメグミは、みんなそれぞれ眼を合わせた。そして、一言も言葉を出さずに、お互いにうなずきあった。
……彼女の話が終わったのは、話し始めてから一時間後のことだった。
その間に語られたのは……彼女の父親による、壮絶な強姦の数々。
一番最初はお風呂場だったと彼女は語った。
優奈がお風呂に入っていたところに、父親がやってきて……。そこで初めて、犯されたらしい。
それから度々、彼女の部屋にやってきては、夜這いの如く優奈を襲った。
母親は看護婦で、夜勤のため家にいないこともしばしばある。その時を狙われるらしい。
「だからいつも……お母さんが夜勤の日になると、本当に怖くて怖くて……」
「優奈さん……」
「でも、でも私にあんなことしておきながら、次の日にはなに食わぬ顔で……『おはよう優奈』って笑うお父さんが……本当に気持ち悪くって……」
ぶるぶると震える優奈の肩を、ミユが優しく抱き締めた。
メグミも涙ぐんで、彼女の話を聞いている。
「……………………」
私は……私はその時、なんだかズレたことを思ってしまっていた。
いや、ズレてるというよりは……どちらかというと、“冷めていた”。
(襲う日がわかってるなら、逃げればいいじゃない)
そう、母親が夜勤の日しか来ないなら、その日はどこか別のところへ行くか、あるいはその日は部屋に監視カメラを置いて、証拠を映すとか、いくらでもやりようがあるじゃない。少なくとも、アキラだったらそのくらいやって、私と戦うはずだわ。
─何をそんなに嘆いてるのよ?─
「……………………」
私は、自分の左手の甲を、右手の指でぎゅっとつねった。
最低ね、私って本当に。こんな状況でも、彼女へ共感することができず……あまつさえ逃げればいいなどと軽々しく思うなんて。
そうよ、彼女は私のせいで引きこもりになって……簡単に家から出られなくなってる。すぐ逃げ出せる状況じゃないのは、容易に想像できるはずよ。
なんで私ってこんななの?どうしてこんな時でさえ、優しく共感できないの?
……ねえアキラ。私って、やっぱり酷い女なのかしら。
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