第32話 奪われた記憶

 ギルフォードに捕らえられていた人々が解放され、マクシミリアンと共に決起したクーデターの同調者は逃亡を計ったものの、軍の追求を受けて次々と捕まっていった。

 ゴーティエ侯爵をはじめとして大勢の上位貴族たちが今度の事件で爵位を失い、一般人として刑場送りになった。


 無茶をしたジュリアは、ギルフォードの屋敷で休んでいる。

 療養は自分の屋敷で大丈夫だと言ったのだが、ギルフォードが許してくれなかった。

 言うことを聞かないのであれば魔法で縛り付けると言われて、仕方なく従ったのだ。


 ジュリアは怪我そのものは大したことはなかったのだが、マッケナンがかけた魔法の副作用のせいでなかなか体力が戻らず、気持ちは元気なのにベッドから動けないという日々を過ごさざるをえなかった。


 捕らえられたジュリアの両親も解放され、まっさきにジュリアに会いに来ようとしたらしいが、ギルフォードが許可をしていないらしい。


 父から抗議は入っているようだが、ギルフォードは魔導士に屋敷を守らせ、実力行使にでようとするジュリアの父を遠ざけている、とセバスがこっそり教えてくれた。


 ――あれから半月、か。あっという間……。


 部屋に出る許可は出ていないが、体力はもう戻ってはいる。部屋の外に出るのに必要なのは、ギルフォードの許可だけ。

 しかし過保護な彼がそれを出してくれるかどうかはかなり怪しい。

 ジュリアはベッドから抜け出し、腕立て伏せをする。


「ジュリア、何をしている」

「ギル。仮にも恋人の部屋にノックもなしに入ってくるなんてマナー違反だとは想わない?」


 腕立て伏せの格好から立ち上がり、唇を尖らせる。

 それでもギルフォードが毎日こうして顔を見に来てくれるのは嬉しい。


「呼びかけたらどうせ、入ってくるな、と不満をぶちまけるだろう」

「閉じ込められてるんだから反発するのは当然でしょ」

「……分かってる。セバスにもいい加減にしないと、嫌われると言われたから……もう普通に過ごして構わない」

「本当に!?」

「ああ」


 その顔は本当に渋々、という感じだ。


 ――ギルの許可を待っていたら、一生ここにとじこめられそうだし。セバス、ありがとう!


「ありがとう」


 素っ気なかったギルフォードがここまで独占欲というか、執着心を見せてくれるのは困った点もある一方、嬉しくもあった。


 これまでギルフォードからはずっと嫌われていると思い悩んできたから尚更。

 ジュリアとギルフォードは一緒になってベッドの縁に腰かけた。


「だがその前に」


 いきなり押し倒されてしまう。


「ちょ、ちょっとまだ日が高いのに、何して……」

「夜ならいいのか?」


 ギルドーフォの満月のように瞳が、からかいの色を帯びる。


「揚げ足取らないでよ!」


 顔どころか、首まで火照り出す。

 ジュリアは魔法で拘束されたわけでもないのに緊張と混で身動きが取れなくなってしまう。


「どこに触れられた」

「え?」

「マクシミリアンに」

「髪とか手とか、それくらい。あの時のことはギルを煽って冷静さを奪おうとしただけで、変なことなんて何もされてないわ」

「本当か?」


 ギルフォードが当たり前のように体に優しく触れながら、唇を塞いでくる。


「まさか魅了魔法!?」

「……そうかもな。お前を休ませなければと、ずっと我慢していたからな。でももうお前は健康体で、俺たちは恋人なんだから」

「まさか、こんなことがしたくて部屋を出る許可をだしたんじゃ」

「俺をんだと想っている」

「ん……」


 ギルフォードはジュリアの唇を奪う。

 彼の唇を意識するだけで、頭が真っ白になり、何も考えられなくなってしまう。

 心地よさと甘さを前に、理性は脆い。

 彼の深く、慈しみながらも貪るような口づけに心を奪われようとする寸前、ノックの音が響く。


「は、はい!」


 我に返ったキス魔と化した恋人を押しのけて立ち上がった。

 不満たらたらなギルフォードを横目に髪を手櫛で整え、扉を開けると、セバスだった。


「ど、どうしたの?」

「ギルフォード様はこちらに?」

「ええ」

「何だ」


 ギルフォードは不機嫌さを隠さぬ表情で応えた。


「子どもじゃないんだから」

「はい?」

「こっちの話だ。それで、セバス、どうした」

「……ゼリス公爵家ご夫妻がいらっしゃっておりますが、いかがいたしましょうか」

「いつものように追い返せ。いちいち――」

「会うわ。いいわよね、ギル。私の親なんだから」

「かしこまりました。では応接間にお通しいたします」

「よろしくね」


 扉を閉める。


「そういうことだから……って、なにそれ」


 ギルフォードは胸ポケットから紙を取り出す。


「……これは何?」


 ギルフォードの口から聞かされた内容に、ジュリアは目を瞠った。


 ◇◇◇


 ジュリアとギルフォードが応接間に入ると、不満顔の父と心配そうな顔の母がいた。


「ジュリア!」

「お母様、ご心配おかけして……」

「良かった、良かったわ、無事で」


 母親は嗚咽する。そんな母をしっかりと抱きしめつつ、不満顔の父に目をやった。


「お父様、ご心配をおかけいたしました」

「お前はゼリア公爵家の嫡女! それがこれはどういうことだ! なぜこんな家で養生などしている! お前には屋敷も、私たちの家もあるのだぞ!?」

「私が引き留めたのです。恋人の身が心配だったので」


 ギルフォードが臆面もなく告げた。


「恋人? まあ。ジュリア、本当なの?」

「はい、お母様」


 母は恋仲と知って、純粋に喜んでくれているようだった。


「許さぬ! 許さぬぞ! クリシィールの若造と結ぶなど! お前たちがどれほど我が家を侮辱してきたか……!」


 父が唾を吐き、声を荒げる。

 ジュリアはそっと母と離れると、鋭い眼差しを父に向けた。


「な、なんだ、その目は! それが親に向ける目か!?」


 しかしジュリアは父の言葉を無視する。


「だから、私に薬を飲ませ、山荘に出かけた記憶……運命神の儀式を行ったことを忘れさせたのですか?」


 ジュリアの口から出た言葉に、父はぎょっとし、表情を強張らせた。

 母は何も知らないようで「く、薬? 儀式? 何を言って……」と困惑げに娘と夫とを交互に見る。


「不審に思い、調べさせていただきました。なぜジュリアが、私との思い出を失っていたのか、気になりまして」


 ギルフォードが言う。


「嘘だぞ、ジュリア! こいつは私とお前の間に楔を打ち込み、自分の思い通りにことを運ぼうとしているのだ!」

「お父様。全て思い出したの。あの時の記憶を」

「そんな馬鹿なことがあるか! あの薬は強力だと……」


 父親が感情に撒かされるあまり、自ら墓穴を掘った。


「おかしいと思ったわ。どうして幼い頃の記憶の中で、ギルとの一番大切な想い出だけがまるで計ったかのように、すっぽり抜け落ちていたのか……」

「あなた、どういうこと? この子に薬を盛った? 本当なのっ?」


 父は妻からの言葉に、力なく頷き、膝から崩れ落ちるようにソファーに座る。


「……よりにもよって我が家の嫡女が、クリシィールの嫡男と運命など、ありえん……」

「ですが、この子たちは子どもの頃から仲が良かったではありませんか」

「そんなことはあってならん! 二人が結婚するなど……だから、薬を飲ませた。仕方なかったのだ。あんな無邪気に、クリシィールの嫡男が運命の相手だと喜ぶジュリアを放ってはおけない……!」

「……呆れた」


 さすがのめちゃくちゃな言い分に、母も首を横に振った。

「お父様」


 顔を上げた父の横っ面を思いっきり殴り付けた。

 鼻血を足らし、父親が情けなく床に崩れ落ちる。


「あなたがそこまでするなんて思いもしませんでした。下らない家同士の争いのためだけに……説得するのならばまだしも、薬を盛るなんて。当分、顔を見せないでください。お母様、申し訳ありませんが」

「さあ、行きましょう」

「な、殴った? 親の私を? 父親の……公爵家当主の私を……? お前の幸せを考えてのことだ、この親不孝者めええ!」


 顔を真っ赤にして激昂した父親がジュリアに向かって殴りかかるが、「そこまでだ」とギルフォードが掌を、父に向け、警告の一言を発する。


「それ以上、近づけば、あんたを氷漬けにし、息の根を止める」


 ギルフォードは決して冗談ではない、殺意のこもった眼差しを向ける。

 そしてジュリアもまた、彼に負けず劣らずの敵意を、父に向けた。


「私の幸せのことを考えて? 白々しいことを言わないで。あなたの頭にあるのは家のことだけ。当主である以上、家のことを考えることまで否定したりはしない。でも今回のことはやりすぎよ。私にとって大切な記憶を、自分の都合で消すなんて最低の人間のやることよっ」

「ぐ……」


 まさか実の父に向かって、軽蔑を抱くことになろうとは想像だにしなかった。


「出ていって。それからもう来ないで。あなたに会いたくなれば、私から会いに行くわ。それ以外は決して近寄らないで。もし許可なく私の前に現れた場合は、今の事情を皇帝陛下に説明するわ。もしこれが公になれば、あなたは最早当主の座にはいられないでしょう。記憶の操作をする薬なんてまともな人間が作るはずがない」

「俺を脅すのか!? そんな男のために!?」

「そうよ。私にはあなたより、ギルが大切だから。それが気に入らなければ廃嫡でもなんでもすればいい。親戚の誰かを養子に取れば家名は残せるでしょう」

「…………」


 父は結局うなだれ、敗残兵のように部屋を出ていく。


「ギルフォード君。娘のこと、よろしくね」


 母が頭を下げる。


「任せて下さい」

「ふふ、こんな格好いい人を捕まえるなんてさすがは私の娘だわ。さっきの拳も最高だった。あの偉そうなへらず口が黙って、胸がスカッとした!」


 母はそんな呑気なことを言いながら、父のあとを追いかけていった。

「賑やかな母親だな」


 ギルフォードは口の端をかすかに持ち上げた。


「私に似てないって言いたいんでしょう。分かってる」

「しかし、これで晴れて親公認の仲になれたわけだ」


 目元を優しく細めたギルフォードがジュリアの腰に両腕を回して抱き寄せ、当然のように口づけをしようとして、ジュリアは両手を突っ張った。


「なんだ」


 ギルフォードが不満げに眉間に皺を寄せた。


「そろそろ魅了魔法の解呪をしにいきましょう」

「そんなものはもうどうでもいいだろ」

「いいわけないでしょ。あなたが、他の女性にいつ襲いかかるかハラハラするのはたくさんだわ。……あなたは、私の恋人なんでしょ」

「運命の相手以外には好きにならない」

「好きにならなければキスもなにもしないんだったら世の中からは不倫が消えるわ。それに魔法の効果は別でしょ。大佐に解呪をお願いに行きましょう」

「…………魔法の効果は永続じゃない。俺も優れた魔導士の一人だということを忘れてないか」

「どうして行きたがらないの。もしかして解呪するのが惜しいっていうこと?」


 ジュリアは声を低くし、猛禽類のように目を鋭くさせた。


「……行く。だが俺一人でだ」

「駄目よ。行ったふりをされても困るもの」

「……分かった」


 ――どうして渋々なの?


 それがかなり引っかかりつつも、ジュリアはセバスに馬車を出してもらうようお願いした。

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