第2話 幼馴染は冷徹な魔導士

 ジュリアは執務机で書類に筆を走らせていた。

 美しいブロンドに、抜けるような色白の肌。

 切れ長の双眸は海の深い青を思わせる。


 そんなジュリアがまとうのは、武骨な黒い軍服。左胸の略綬の数々が昨日今日戦場に出たばかりのひよっこではなく、歴戦の英雄であることを物語っていた。

 室内もまたジュリアの質実剛健さを反映して簡素である。


 壁を飾るのは敵の将軍から奪い取った名剣に、大陸地図。

 書棚に収まっているのは、愛読書である全二十巻におよぶ戦史叢書。


 同僚の将軍(と言っても、彼らは軒並み五十代、若くても四十代以上。二十六歳のジュリアは浮きまくっている)たちから、人間味がないと陰口を叩かれるゆえんであるが、そんな外野の声になどジュリアは惑わされない。

 確固たる矜持と信念が彼女にはあるからだ。


「将軍、失礼します」


 そこへ事務の女性が決済が必要な書類の束を運んでくる。

 この書類の束を見ると、さすがのジュリアも戦場が懐かしくなってしまう。

 戦場は分かりやすい。進むか引くか。生きるか死ぬか。二つに一つ。

 書類整理はそう簡単にはいかない。何か一つ決済するにも根回しやら、確認やらが多すぎる。


 ――これも必要な苦労なのは分かってるんだけど。


「将軍、少し休憩されてはいかがですか? 今日はまだお昼を召し上がられてはいませんよね」

「そうなんだけど、今日は……」


 そこへさらにノックの音が聞こえた。


「どうぞ」


 ジュリアよりいくらか年上の男性の副官が現れる。


「失礼します。将軍、お時間です」


 懐中時計を確認する。間もなく十三時。


「ありがとう。じゃ行ってくるわね」

「はっ」

「どちらへ?」


 事務職の女性が聞いてくる。


「見合いよ」

「……お見合いはたしか一ヶ月前も……あ、失礼しました」


 慌てた事務員が深々と頭を下げるが、ジュリアは苦笑し、首を横に振る。


「今度は逃がさぬよう頑張るわ」

「いってらっしゃいませ」


 見送る部下に手を上げて建物を出ると、すでに待機している馬車に乗り込んだ。

 本当は馬に跨がるほうが早いのだが、さすがに見合い会場へ馬で乗り付けるのは良くないということくらい分かっている。


 ――これで、今年で三人目か。


 夏の足音が聞こえてくる季節。

 日に日に強くなる日射しに、瞳を細める。

 ジュリアの生家であるゼリス公爵家は帝国でも有数の旧家で、先祖は帝国の建国に遡る。

 公爵を名のるだけあって、その血統には皇室の血も含まれている。数代前の当主に、皇女が嫁ぎ、その際に公爵の位を賜った。


 初代の当主は、皇帝の親衛隊隊長を務めていた。

 以来、ゼリス家は帝国の軍事の名門として今の地位を築くに至っている。

 そんな家門に生まれたジュリアは女でありながら、軍の将軍だった父より子どもの頃から厳しい教えを受けていた。生まれさえ違えば、いや、ゼリスに男子が生まれていれば、侯爵家の令嬢として社交界の蝶よ花よと育てられた人生もあったかもしれないが、ジュリアは軍人として歩んだことを決して後悔はしていない。


 軍人の家門に生まれ、皇帝のため、国民のため、戦場で戦えることを誇りとしていた。 そんなジュリアだったが、使命があった。

 それは婿を取ること。


 ジュリアは一人娘。つまり家を残すためにも子をなさねばならぬ。子をなすには当然、伴侶が必要。それゆえ、父が選んだ相手との見合いを日々こなさなくてはならない。

 自分のせいでゼリス家を絶やすわけにはいかない。


 将軍である前に、ジュリアも女だ。小説に出てくるようなときめく恋愛や結婚に興味はあった。

 十代の頃は父に隠れて軍事教練の本を読んでいると見せかけ、ロマンス小説を読みふけり、自分も本に出てくる登場人物たちのような運命の恋をしたいと思い巡らせたことだってある。


 運命の恋。運命神キャスリアに守護されたウォルフリッツ帝国には、本当に運命の恋というものが存在する。運命の相手と出会えれば、それ以外の相手にはときめくことも、恋い焦がれることもない。

 相手が本当に自分の運命の相手か分かる方法も、簡単だ。

 運命神キャスリアの名を心の中で唱えながら手を握りあうだけでいい。

 それが運命の相手であれば、胸の中にあるその人への想いは変わらない。

 しかしもし違っていたら、その人の想いは消え去ってしまうのだ。


 運命の相手が分かると言うことは甘美な響きだが、実際はそれまで二人で育んできた愛が一瞬にして崩れるかもしれない危険なものでもあるのだ。

 だからこそ、人は余計に運命の相手というものへ憧れるのかもしれない。


 ――……見合いで結婚相手を決めようという私にとっては、運命の相手なんて縁のない話だけど。


 苦笑していると、御者が到着を知らせる。


「ありがとう」


 馬車の窓に自分の姿を映し、身だしなみのチェックをおこなう。

 問題なし。

 ジュリアは見合い場所である帝都で最も格式のあるホテルに入って行く。

 両親の姿はラウンジにあった。

 すでに軍を引退して悠々自適な生活を送っている小太りな父に、細身で楚々とした母。


 十分の一でも母に似ていれば、運命の相手に出会えるチャンスもあったかもしれない、と母の可愛らしい顔を見るたびに思う。


「ジュリア、あなた、軍服じゃない。せっかくドレスを送ったのに……」


 母が呆れ気味に溜息をつく。


「仕方ないわ。公務の途中に抜けてきたんですもの。ドレスに着替える時間なんてないわ」

「構わん構わん。ゼリス家の人間は常在戦場。ドレスでは、緊急時に動きが制限されてしまうからなぁ! あっはっはっはっは!」


 軍服姿の娘に頼もしさを感じている父を前に、ジュリアは苦笑する。

 ドレスを来てこなかった本当の理由は、肩幅が広く、がっちりとした体型でドレスを着るのに気後れしてしまうからだ。


 ジュリアだってオシャレに憧れる。

 しかし壊滅的に似合わないから、軍人の制服は軍服である、と言い訳をして、そういうものから遠ざかっていた


「いやあ、さすがは『黒き死神』。軍服がよく似合う!」

「あ、ありがとうございます、お父様」

「あなた、やめてください。これからお見合いなのにそんな不吉な……」

「不吉とはなんだ。二つ名がつくというのは英雄の証なんだぞ? まあ、あの家の小せがれと対になるような異名というのは許せんが」

「お父様……」

「晴れの日だ。あいつのことはいい。それより先方がお待ちだ」


 わざわざ見合いのためにスイートルームを取ったらしい。

 部屋に入ると、相手の男性も両親と共に来ていた。

 テーラーで仕立てたと一発で分かるスーツ姿に焦げ茶の髪を綺麗に整えた、清潔感のある青年。

 ジュリアは青年ではなく、その背後の人物にかすかに目を瞠った。


「……これは閣下」


 ジュリアは深々と頭を下げた。


「やめてくれたまえ。今日はプライベートだからねえ」


 ――今回の相手は、これまで以上の大物だわ……。


 ゴーティエ・フォン・ヴァーツラフ侯爵。

 総理大臣経験者。それも軍人とは日頃から対立している官僚派と呼ばれる集団のリーダー。

 帝国はその歴史を紐解くと、軍人の力が弱く、官僚が軍事にまで口を出していた。しかし近年、諸外国との戦争が続くようになると、軍人の影響力や存在感が官僚派をしのぐようになり、パワーバランスが変わってきた。


 しかしそのせいで軍人と官僚は常に水面下で対立するようになり、ジュリアのように前線の指揮を務める人間にとって頭の痛い問題になっていた。

 ジュリアの父は官僚派の頭目と繋がりを持ちたい、先方は軍人の中に味方を作りたい。

 今回の見合いは両者の利害が一致した結果だろう。


 そこにジュリアの意思を差し挟む余地はない。


「クリストフと言います」

「ジュリアです」


 相手の青年は爽やかな笑みを浮かべ握手を求めてくる。

 ジュリアは握手をする。


「互いの親の思惑はひとまずおいておいて、あなたのような素敵な方が相手だと知って、これほど光栄はことはありません」

「……そう言って頂けて嬉しいです」

「あらあら、若い二人はもう打ち解けあったのかしらねえ」

「若いっていうのは素敵だわぁ」


 両家の母親たちはオホホホホと微笑ましげに笑い会う。


「食事を頼んだのですが、お昼は?」

「まだ何も。直前まで仕事をしていたもので」

「では食べながら話しでもしませんか?」

「そうですね」


 互いの両親たちは「では私たちは席を外しましょう。あとはお若い人同士で……」と連れだって出ていこうとする。

 その時、窓の開いていない部屋に一陣の身も凍るような空気が流れるのを感じた。


 ――この感覚……!


「どうされました?」


 クリストフが、顔色を変えたジュリアに首を傾げる。


「とりあえず部屋を出ましょう」

「どうして」

「外の空気が……」

「――重要な会議を放り出して何をするかと思えば、乳繰り合っているのか。いい身分だな。それとも陸軍というのはそんなに規律が緩んでいるのか?」


 そんな嫌味ったらしい声がどこからともなく聞こえる。

 クリストフは「ひ!」と叫び、何もないところからとつぜん現れた青いオーラをまとう青年に腰を抜かす。


 ギルフォード・フォン・クリシィール。

 ジュリアと同じく軍人で、二十代で将軍の地位についている。

 青みがかった銀髪に、金色の眼差し。

 怖ろしいほど整っている顔立ちには何の表情もなく、それが威圧感を強く滲ませる。


 彼は大陸一と言っていい魔導士でもあった。

 戦場の比類のない強さから、『青い死神』と呼ばれる。

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