第14話

『頑張らせてもらう』って、何を頑張るんだろ?

レグラス様を見上げて見れば、彼はそれ以上語ることなく僕の腰に手を添えて進むように促してきた。


コツコツと足音を鳴らしながら石畳の通路を歩く。

ふとレグラス様が呟くように言葉を洩らした。


「ああ、そうだ、文具も揃えておこう。ファアル、疲れていないか?」


「大丈夫です」


「ではこのまま移動しよう」


そう言うと、待機していた御者に行き先を告げ馬車へと乗り込んだ。

ここ一帯は服飾関係のお店が集まっているのだって。

文具や本なんかの紙製品を扱うのは、また別の場所にあるんだそうだ。


ゴトゴトと石畳の上を走る馬車は、その性能が素晴らしいのか揺れも少なく、ふかふかの座席のお陰で腰やお尻が痛むこともない。

お陰でゆったりとした気分で、馬車の窓の外を流れる景色を堪能できた。

さすがは帝都だけあって、瀟洒な建物が建ち並ぶ。

赤煉瓦の屋根、淡いクリーム色の建物、時々ブルーグレーの建物も混ざっていて、見ていて楽しくて仕方ない。


アステル王国は力が強い獣族の国というのもあり、強度最優先で無骨な建物ばかりだったから、美しく建ち並ぶ建物はそれだけで芸術品のようだった。


「ーー楽しいか、フェアル」


夢中で眺めていると、不意にレグラス様が声をかけてきた。

「あ……」と気付いて、窓に齧り付くようにしていた姿勢をぱっと戻し、膝を揃えて手を乗せた。


ーー公爵家の馬車なのに、物珍しげな顔を晒してた……。


どんな田舎者を乗せているんだと嗤われてしまう。

恥ずかしくなって顔を俯かせていると、レグラス様にもう一度名前を呼ばれた。


「フェアル、顔を上げるんだ」


命じられれば、僕は従うしかない。

恐る恐る顔を上げると、彼は髪を掻き上げ、首元のクラヴァットを少し緩めてため息をついた。


「フェアル、君はこの帝国において私の庇護を受ける身だ。どんな行動をしたところで、このライト公爵に異議を唱える者はいない」


「でも屋敷の中ならともかく、外ではきちんとした振る舞いも必要かと……」


モゴモゴと答えると、レグラス様はキッパリと言った。


「私が居る場所が即ちライト公爵家だ。気にするな」


凄いことを言う……。

唖然としてしまったけど、これはレグラス様なりの気遣いなんだって分かって、くすっと笑いが洩れ出た。


「ありがとうございます、レグラス様」


礼を告げると、アイスブルーの瞳をゆるりと緩めて頭を撫でてくれた。

その後は、レグラス様の説明を聞きながら遠慮なく街並みを堪能してしまった。

程なくして一つの建物前で馬車が止まった。

淡いブルーの建物の前には立て看板が置いてあり、そこにはインク壺の絵と『エンシャ』の文字。


「お店の名前ですか?」


「そうだ。店の名前であり、店主の名前でもある。ガラガント・エンシャ、覚えておくといい」


頷く僕を横目に見てお店の前へと進むと、従業員が恭しく扉を開けてくれた。

レグラス様に続いて扉を潜ると、ふわりとインクの香りが漂ってきた。その香りの方に顔を向けてみると、店には繊細な細工が施されたインク壺が沢山並べてあった。

インク壺は硝子製や水晶製、陶器、ブロンズなど色んな物がある。


僕はわくわくした気持ちが押さえきれなくて、その棚へと近付いた。


正直に言うと、僕はアステル王国では学園に通うことも家庭教師が付くこともなかった。

勉強は全て独学。

独学とは言っても、実家であるネヴィ公爵家の図書室に夜中にこっそり忍び込んで色々な本を読むのが精一杯だったけど。


母様がまだ居てくださった頃、基本的な読み書きをこの図書室で隠れるようにしながら教えてもらった。

インクの匂いは、その少ない母様との思い出や、知識を得ることのできる喜びを思い出させる。


懐かしさに目を細めていたら、いつの間にか背後にレグラス様が立っていた。


「インクが好きなのか?」


ぱっと顔を上げると、全く表情の変らないレグラス様がブロンズ製のインク壺を手に取っていた。


「はい。インクで綴られる文字は沢山の事を教えてくれるから、心が弾んでくる気がします」


母様のことは敢えて口にしない。

今は幸せに生きている彼女を、話の種としてでも今の僕に関わらせたくなかったんだ。


「フェアルにとってはそんな印象なのか」


「レグラス様にとってはどんな印象なんですか?」


その言葉に、レグラス様は手にしたインク壺から視線を外して僕を見下ろした。


「捌いても捌いても終わらない書類」


凄く真面目な顔だった。だいぶんお疲れみたいだ……。


「これはナイト公爵様、ようこそお出で下さいました」


背後から声がかけられる。レグラス様がゆっくりと振り返るのを見て、僕も頭を巡らせた。

そこには黒のツーピースのスーツを着たスリムな男性が立っていた。

艷やかな真っ黒な髪を一つに結んで横に垂らしていたけど、顕になっている額には淡い青緑色に輝く鱗があった。

よく見ると、首や手首にも部分的に鱗が見える。


ーー爬虫類の獣人?


じっと見つめていると、レグラス様と話をしていたその人が僕へと目を向けた。


「可愛らしいヘテロクロミア様、ようこそエンシャ文具店へ。私はガラガント・エンシャ、この店の店主です」


目を細めて微笑むと、瞳孔が縦にキュっと絞られていた。


「あ、初めてまして。フェアル・ネヴィです」


慌てて挨拶をすると、ガラガントさんはふふっと笑った。


「本当に可愛らしい。猫の獣人の方は久々です。ああ、私は蛇の獣人です。文具は湿気で性質が変化する物が多くて、湿度に敏感な蛇の私は重宝されてるんですよ」


パチンとウインクしてくる。

そしてレグラス様を見て営業スマイルを浮かべた。


「では早速彼をお借りしても?」


「早急に片付け、速やかに返せ」


「勿論ですとも。ささ、フェアル様、こちらに」


いきなり別室に連れて行かれそうになり、思わずレグラス様の袖を掴んだ。


「ガラガント、フェアルを怖がらせるな」


鋭い視線を向けて言うと、レグラス様はポンと僕の頭に手を乗せた。


「フェアル、獣人は力の個人差が激しいんだ。合わないペンを持つと、握力に負けてすぐに折れる。だからガラガントのチェックを受けて、合うやつを探そう」


その説明に、確かに……と思う。

ゴリラの獣人は力が強くてよく扉の蝶番を弾き飛ばしてたし、鳥の獣人は力が弱すぎて瓶の蓋が開けられなかったりしてた。


でも僕は普通の人族と同じくらいだとおもうけど?

その思考を感じ取ったのか、ガラガント様は苦笑いしながらおいでおいでと手招いた。


「猫の爪は鋭いでしょう?驚いた時などにペン軸に引っ掛けて削ってしまう時があるんですよ」


成る程。

獣人の国で暮らしていたからあまり気にもしなかったけど、人族の物を使うなら壊さないように注意が必要だ。

獣人の僕を気遣ってくれてこの店に連れて来たんだろうけど、それ以外の意図も僕は何となく気付き始めていた。


服飾店のトーマさん、文具店のガラガントさん。

お二人とも獣人だ。

初めての土地で暮らす僕では気付けないことを、獣人の視点からアドバイスをくれる相手として紹介して下さったんじゃないかな。


現にトーマさんはナイト公爵邸にある服のサイズ合わせに来てくれるし、文具も学園に通う以上絶対に必要な物だもの。


レグラス様の細やかな気配りを嬉しく思いながら、僕はガラガントさんと別室へと移動したのだった。

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