第10話

「お身体の調子が………?」


びっくりして、思わずレグラス様の身体のあちこちに視線を向けてしまった。

だって襟元を緩めたシャツの隙間から見えるしっかりとした首周りも、浴室で見た逞しい腕も、細身のスラックスに包まれた長い脚も、バランスよく筋肉がついていて素晴らしいスタイルを形成しているだもの。

とても病を得ているようには見えなかったけど……。


でもダレン様は魔法医師だ。魔法に関わる病気なら、見ただけでは分からない。


心配のあまり、眉を下げてじっと凝視していると、レグラス様は目を細めて僕の髪をクシャっと撫でた。


「心配するな。命に関わるものではない」

「……でも」


僕が心配したところで何の足しにもならないだろうけど。

それでも知り合って間もない、この短い期間に沢山親切にしてくれたレグラス様に、何かできることはないんだろうか……。


小首を傾げて見上げていると、レグラス様はそれに気付いて撫でていた手を止めた。


「……私の身体は、魔管不一致症なんだ」

「魔管不一致?」


初めて聞く。何だろう?


「そう。通常、魔管の大きさで使える魔力の量は決まるのは知ってるな?」


その言葉にコクンと頷くと、レグラス様は頭を撫でていた手を自分の胸に当てた。


「魔管のサイズは、自身が一日かけて大気から取り込める魔力の量と一致する。だから涸渇するまで魔力を使っても、一日もすれば回復するんだ。だが私の魔管はサイズが大きすぎて、いくら大気から取り込んでも半分も満たる事はない」


思わずレグラス様の胸に当てられた手に目を向けると、その手はゆったりと動いて僕の頬を包みこんだ。


「だから私は魔力欠乏症と同じように、常に怠さ微熱、飢餓感を抱えて生きている。魔力欠乏症と違うのは、生命を維持するのに必要となる魔力自体はたっぷりとあるから、自分の命を削って身体を保たせている訳じゃない事くらいか。そんな特異な体質を補うためか、こうして……」


すりっと掌を動かして頬をゆるりと撫でる。

意外に硬い皮膚で覆われた掌は、冷たく整っている顔と違ってとても温かい。


「接触することで、相手の魔力を奪う力を持って生まれた」


もう一度頬を撫でられた時、チリッとした刺すような痛みが皮膚を襲った。その痛みにビクッと肩が揺れる。


浴室で魔力を奪われた時にはこんな痛みはなかったよね……?


僕はレグラス様の手を見て、もう一度顔を見上げた。


「ーー痛い、ですね?」

「そうだ。皮膚を介して魔力を奪う時は、かなり激しく痛む。私は皇帝陛下より、必要な時、独自の判断で相手の魔力を奪う許可を頂いている。どんな屈強な男でも、大抵痛みのあまり泣き叫ぶか意識を失くすな」


淡々とした表情で淡々と説明するレグラス様を見つめていた僕は、ある事に気が付いてハッと我に返った。

今、「皇帝陛下の許可」って言った?

この話って、もしかして国家機密なんじゃ………………。


サァっと青褪めてしまった僕に気付いたレグラス様は、頬に当ててた手をずらして、ヨシヨシとばかりに顎下を擽るように撫でた。


「大丈夫だ。帝国の貴族であれば、漠然とだが知っている内容だからな。だからそうやって相手から魔力を奪う私の事を『冷酷無残な公爵』と呼んでるぞ」

「そんな………っ!」


冷酷無残だなんて、酷い。

レグラス様はこんな僕すらも気遣って下さる、優しい方なのに。

萎々しおしおと眉を下げていると、彼は「ふむ」と僅かに頭を傾げた。


「有象無象な奴らがどう思おうと何ら痛痒を感じんな。私としては家族も同然のフェアルに恐れ嫌われる方が辛い」

「嫌いません!」


レグラス様の言葉に被せるように叫んでしまう。

確かに魔力を奪われた事に関しては、初めての事でびっくりしたし、正直に言うと怖くも感じた。

でも、僕から魔力を奪ったのにも、絶対理由があったんだと思うし!

魔力を奪って……レグラス様、が、奪…………………………………。


アイスブルーの綺麗な瞳が、僕を窺うように見ている。

その眼差しから、視線をずらして形の良い唇に向けてしまった。

無意識に見ちゃったんだ……。

すると唇が薄っすらと弧を描き、微かに覗かせた赤い舌がその唇の端をペロリと舐めた。


瞬間、僕の顔は一気にかぁっと熱を持つ。

絶対、僕の顔赤くなってる!

口付けを意識しちゃったのバレちゃう……っ!

レグラス様にとっては、ただ魔力を奪うための手段なのに、変に意識しちゃったのバレたら恥ずかしいんだけど!


「…………ん、今はここまでが限界か」


小さく呟く声が耳には届いたけど、内容を理解するだけの頭の余力はない。

僕はあわあわと冷や汗をかきながら、真っ赤になっているだろう自分の顔を隠そうと俯こうとした。


と、その時ふと一つの疑問がポン!と浮かんだ。

するとあれだけ熱かった顔の火照りが、あっという間に吹き飛んでいく。


ーーあれ………?接触した皮膚から魔力が奪えるなら、何でレグラス様は唇にキスしたの……?


ぱっと顔を上げて、涼しい顔をしている彼を見る。


「どうした、フェアル?」

「……あの、あの…………。何故僕から魔力を奪う時はキ………唇……からだったんですか?」


言葉を選び選び問うと、レグラス様は「おや?」って顔になった。そして少し考える素振りを見せると、徐ろに口を開いた。


「本来魔力は相手の呼吸で奪うんだ。口からの方が痛みもなく大量に奪える。だが私も誰彼問わずに口付ける趣味はない。だから皮膚の接触を介して奪う。皮膚も呼吸しているからね」

「そ……うなんですね」


……ということは、やっぱり僕に痛みを与えないように配慮して下さった結果がキスだったのか。

ほっとしたような、ほんの少しだけ残念なような……。表現しにくい感情が浮かぶ。


ざ……残念って、僕は、別に、えっと……………。

再び脳内が混乱し始める。

折角治まった顔の火照りが再燃して、もうどうして良いか分からなくなってしまった。

そんな僕に、鼻の頭がくっつきそうなくらい顔を近付けたレグラス様は艶然と微笑んでみせたんだ。


「やはり口付けるなら、好きな相手が良い」


初めて見たその微笑みは、目が潰れそうになるくらい艶かしくて、もう本当に心臓に悪いくらいに美しかった。


「…………………」


思わず火照った顔を隠す事も忘れて見惚れていると、彼はすりっと鼻の頭を擦り合わせて目を細めた。


「まぁ、今日はここまでにしておこう」


何が『ここまで』なのかは分からないけど、本当に本当に心臓に悪いので、レグラス様の微笑みは暫く見なくてもいいかな、と僕は思った。

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