5-7 ずっと友達
「重いよね。正直、キモいよね。ホント、ごめんね」
少しして、春日部さんはそうやって苦笑いをした。
自分の気持ちに自信を持ちながらも、けれどそれが相手から見たらどう映るのか、自覚している。
でも私はやっぱり、そんな彼女を否定することはできなかった。
ちゃんと、肯定してあげることもできなかったけれど。
「……じゃあ、春日部さんは、もうやり直しを続けたくないってこと? 何度やっても上手くいかないことを、繰り返すのが、もう辛くなって……?」
「それもあるんだけどね。でもアタシの今の迷いは、そこじゃないかな」
彼女の気持ちにどう応えてあげるべきわからず、私は話を続けた。
春日部さんは少し難しい顔をする。
「確かにね、今まで何度も挫けそうになったんだ。どうしようもなくって、もう無理だよって思って、諦めようと何度もした。今回でおしまいにしようと思って、でもカンちゃんを見てたらもう少しだけ頑張らなきゃって思い直して。そんなふうに、諦めたりまた頑張ったりを繰り返してたら、ずるずると半年前の制約が前に倒れてきちゃってね。今はこの、八月十四日がデッドライン」
自分の弱さを責めるように、申し訳なさそうに、春日部さんは言う。
そんなこと、彼女が責任を感じることじゃないのに。
「ここまできちゃってからは、迷わず頑張ってきたよ。でも今になってこんなに悩んでるのはね、今回のルートがあまりにも、今までのルートと違ったから」
「どういうこと?」
「アタシが
アタシも虐められなくなったしね、と春日部さんは付け加えた。
大筋を変えることはできなくても、細部なら変えられるし、変わってしまうことがある。
それもまた、ループ物にはよくある展開だ。
「じゃあ、一体何が違ったの?」
「カンちゃんがね、違うんだよ。アタシが今まで何十回と過ごしてきたこの半年間の中で、カンちゃんは今まで一度も、ガールズ・ドロップ・シンドロームの活動を再開させたことはなかったんだ」
「え……?」
キョトンとする私に、春日部さんは眉を落とした。
「今までのカンちゃんは、香葡先輩が死んじゃってから、本当に抜け殻みたいで。心ここに在らずで、いつ壊れてもおかしくないみたいに、弱り切ってた。今回も、四月の頭まではそうだったんだけど……」
「私は森秋さんに出会って、彼女の悩みを聞いた……」
「うん。それは、今まで一度もなかったことだった」
私の今までの姿はよっぽど悲惨だったのか、春日部さんの面持ちは暗い。
でもそれをなんとか振り払って、言葉を続ける。
「今までと何が違うかわからなかったけど、でもきっときっかけはちょっとしたことなんじゃないかな。時間の大枠から見たら、あんまり大した違いじゃないのかな。なんにしても、カンちゃんが活動を再開して、少しずつ明るくなっていったのは、今回が初めてだったんだ」
今までと何が違うのか。それを経験していない私には検討がつかない。
でも些細な違いが原因なんだとすれば。
もしかしたら今までは、階段で自らを突き落とさせた森秋さんの手が、私を掠めなかったのかもしれない。
そんなことを、ふと思った。
「カンちゃんが少し元気になってくれて、嬉しかった。でもさっきも言ったけど、ちょっと変だとも思ってたから心配もしてた。けどやっぱりアタシは、今みたいに前を向こうとしているカンちゃん、いいと思うんだ」
確かに私は、以前に比べると人と関わろうとしているかもしれない。
香葡先輩のことを全力で引きずって、今でも縋り付いているけれど。
前よりは、マシになっていると、自分でも少し思う。
「でも、アタシが次ループした時、またカンちゃんが今みたいになるのか、わからなくて。理由がわかれば誘導できるかもだけど、それもわからないしね。だから、今回は過去に戻るのが怖かった。でも、そうしないともう、香葡先輩を助けらんないんだよっ……!」
胸元で両手を握り締め、春日部さんは絞り出すようにそう言った。
ようやく、ようやく彼女が思い悩む苦しみを理解することができた。
マシになった私を取るか、いつか成功するかもしれない挑戦をし続けるか。
私にとってどの未来がいいのか、春日部さんは迷っているんだ。
「ねぇカンちゃん、アタシどうすればいいんだろう。今のカンちゃんを、この未来を続けていくべきかな。それとも諦めずに、香葡先輩を助けようとするべきかな」
「そ、それは……」
縋るように問いかけてくる春日部さんに、私は口籠る。
そんなこと、私に答えられるわけがなかった。
今の日々を私は、決して望ましいとは思わない。
香葡先輩が戻ってくるのなら、方法があるのなら、その選択肢をとりたい。
けれどそれは、春日部さんを終わりの見えない苦行に突き進ませるということだ。
私にそんなことをお願いする権利はない。
でもだからといって、彼女を止め、この未来を進んでいくとして。
私は春日部さんの気持ちに応えることはできない。
彼女は、結局望んでいる私の姿を取り戻せず、しかし私を手に入れることもできず、何も得られない。
どっちにしたって彼女は苦しみ続ける。
そんな選択を、私がすることはできない。
「ごめん、カンちゃん。こんなの酷いってわかってる。
情けなくただオロオロとする私に、春日部さんは噛み締めるように言った。
「カンちゃんに、決めてほしい」
嫌だと、無理だと、この場から逃げ出したいのに。
春日部さんのまっすぐな瞳が、私のことを捉えて放さない。
「カンちゃんが選んで? 私の恋と能力を消して、この未来を進むか。恋も能力もそのままに、香葡先輩を助けようとし続けるのか。アタシは、カンちゃんの望む通りにするよ。だからお願い。アタシを、助けて」
「そん、な……」
二つに一つ。ゼロか百。
中途半端な答えは許されない、明確な選択肢。
正直に言えば、私の気持ちだけを言うならば。
私は、香葡先輩を助けて欲しい。何度でも何度でも挑戦して、助けて欲しい。
私がお願いをすることで春日部さんがこれからもそれをし続けてくれるのなら、頼りたくなってしまう。
でもそれは、あまりにも残酷な選択だ。あまりにも、自己中心的で、狡猾で残忍な考えだ。
春日部さんのことを思うならば、もうそんな無謀な行為をさせないようにするべきだ。
私なんかのために心をすり減らして、自分の時間も思い出も投げ捨てて、頑張る必要なんてないんだから。
でもそれは私の勝手な考えで。彼女にしてみれば、私のために行動することが愛を示すことなのかもしれない。
だとすれば、ループを止めることが春日部さんのためになるとも限らない。
何が正解かなんてわからない。彼女にわからないことは、私にだってわからない。
私には答えなんて出せない。相談したい。香葡先輩に、相談したい。
でも私は今、一人で決めないといけなかった。
ふと、気づく。いや思い出す。
春日部さんが言っていたこと。今回のルートは、この今は、これまでと違う。
このルートでだけ私は、ガールズ・ドロップ・シンドロームの活動を再開した。
つまりそれは、私に相談してきた彼女たちは、このルートでしかその悩みを解消できなかったということだ。
実の姉に恋をして、人の心を操ってしまう能力に苦しんだ、
大人なびた小学生に恋をして、体が縮んでいく能力に苦しんだ、
既婚の先生に恋をして、過剰なパワーを扱いきれずに苦しんだ、
憧れのアイドルに恋をして、誰にも気づかれない能力に苦しんだ、
彼女たちの悩みの、その全てをなんとかしてあげられたわけじゃない。
抱える恋を、成就させられたわけでもない。
でも彼女たちが迎えた結末は、それぞれの前進があったものだと私は思っている。
けれどそうできたのは、このルートだけだったんだ。
もし春日部さんがやり直しをして、このルートが次の時間に塗りつぶされてしまった時。
果たして彼女たちは、また同じような、もしくはもっといい結末にたどり着けるんだろうか。
それは、私がまた今のようになれるのかわからないのと同じくらい、保証できないこと。
確かに私たちは、私は、自分のためにガールズ・ドロップ・シンドロームに関わってきたけれど。
でもやっぱりそれでも、恋の悩みや異能力に苦しむ人たちの力になりたい、寄り添いたいという気持ちは確かにあった。
彼女たちがまた振り出しに戻って同じ苦しみを味わい、しかもそれが解消されない未来なんて、嫌だ。
目の前で不安げな表情を浮かべる春日部さんを見る。
彼女だってそうだ。彼女だって、私に助けを求めてきた。私が寄り添うべき人だ。
私にとって香葡先輩は全てで、何よりも大切で、一生この心は先輩で埋まり続けるだろうけれど。
でも、今目の前で悩み苦しんでいる人を見捨てて、不確実な幻想に手を伸ばすことを、先輩はきっと許さない。
もし私がこのことを相談したのなら、きっと香葡先輩は優しく私の頭を撫でながら諭すだろう。
私が、春日部さんにしてあげられる一番のことはなんなのかと。
なんだかんだと私は、春日部さんに色々と助けられてきた。
今度は、私が彼女を助ける番だ。
私は、春日部さんに対して責任を果たさないといけない。
こんな私のことを想ってくれて、永遠にも思える時間を費やしてくれて、それでもまだ愛してくれる人に。
私は、自分の気持ちをはっきりと伝えて、彼女の恋を終わらせてあげなきゃいけないんだ。
「春日部さん」
大きく息を吸ってから、私は名前を呼ぶ。
決断したはずなのに、頭の中では反対意見が騒いでいる。
これを逃せば、もう香葡先輩を取り戻すことはできなくなると。
今日過去に戻らせれば、まだ間に合うんだと。
でも私はその声に同意しながら、けれど正反対の言葉を口にした。
「もう、戻らなくていい。春日部さんは、香葡先輩を助けようとしなくていいよ」
「で、でも……」
春日部さんは大きく息を飲んでから、反論する。
「そうしたらカンちゃんは、もう香葡先輩に会えないんだよ? それでも本当に、いいの?」
「よくない。また香葡先輩に会いたい。先輩を失ったことを、なかったことにしたい。でもそれは春日部さんが頑張ることじゃないから」
私は拳を強く握りめながら、歯を食いしばりながら、言う。
「それは、私が向き合うべきことだから。春日部さんの好意に甘えることはできない。それに私には、それだけの想いに返せるものがないから」
「カンちゃん……」
万が一春日部さんが成功したとして、私は彼女の頑張りに報いることができない。
これから何百回、何千回と挑戦するかもしれない彼女に、見合うものが私にはない。
私の責任に、私の後悔に、私の悲しみに、私の恋に、春日部さんを巻き込めない。
そして何より、春日部さんにはもう、自分の時間を生きて欲しいんだ。
「だから春日部さん。もう、過去には戻らないで。このルートで、この時間で、このまま。生きていこう」
「…………はい」
春日部さんは静かに、小さく、頷いた。
唇をギュッと結んで、体を小さく縮こめて自分を抱きしめる。
それは解放された安堵か、それとも諦めることへの苦悩か。
わからない。でもきっと彼女は、その両方なんじゃないかと思った。
「春日部さんの能力は、その恋は。私が責任を持って、消すから」
残酷だ。自分で言っていて思う。
けれど春日部さんはとても素直に頷いた。
私に選択を委ねた時点で、私に助けを求めた時点で、すでに覚悟は決まっていたのかもしれない。
「ねぇ、カンちゃん。ごめん、最後に悪あがき、したい」
正面で向き合い、机を挟んで私が身を乗り出した時、春日部さんはポツリと言った。
切なげなその表情に、私はただ頷く。
「カンちゃん。アタシ、カンちゃんのことが好き。大好き。だから、アタシのことを選んで欲しい。アタシと、付き合ってください」
弱々しく、けれどはっきりした声で、春日部さんは言った。
机の腕で二つの拳をギュッと握って、か細く振るわせながら。
私の目をまっすぐに見据えて、春日部さんはそう告白をしてくれた。
切実でまっすぐな想い。とても嬉しい。
でも私の答えは決まっている。ずっと前から。遠い、昔から。
「ごめんなさい。私、好きな人がいるから。春日部さんの気持ちには応えられない」
逃げず、反らさず、ハッキリと私は返事をした。
春日部さんの震える目を、しっかりと見て。
「うん、知ってた……」
言って、春日部さんは俯いた。
ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちて、机を濡らす。
わかりきっていた答え。でもそれを、私たちは確かめ合う必要があった。
静かに涙を流す春日部さんの肩に触れる。
俯いた頭を持ち上げて、その間近へと顔を寄せる。
震える唇からは、嗚咽が漏れ始めていて。
涙が溢れる瞳は、私に縋り付くように揺れていた。
「うぅ……やっとカンちゃんとちゅーできるのに、かなしいよ……つらいよぉ……」
嗚咽混じりのそんな言葉に、私は申し訳なさでいっぱいになって。
でもそんな彼女の気持ちを喰らうのは、私の責任だから。
甘んじて受け止めた。
「ごめん、春日部さん。私たちはこれまでも、これからもずっと、ただの友達なんだ」
涙で濡れた唇に、口付けをする。
私を愛してくれた人に、愛を返せない私がキスをする。
ごめんと謝りながら、その恋を喰らって、消す。
もう戻らない、香葡先輩を想いながら。
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