3-4 貫き続ける想い
これから事に当たるに際して重要なのは、
そう
けれど流石に立て続けに押しかけると気分を害するかもしれなかったから、二度目の訪問には二日ほど間を空けた。
先日と同じように武道場の外側から空手部の部屋へと向かってみる。
今回は正面から行っても良かったんだけれど、なんとなくコソコソしたい気分だった。
武道場に私みたいなインドアな人間が出入りしていると目立つだろうし、ただでさえ問題が起きている空手部に余計な勘ぐりはないに越したことはない。
なので前回と同じように外扉から中を窺い見てみると、鳳梨先輩もまた同じように一人で練習に励んでいた。
しばらく眺めているとやがて先輩もこちらに気づいて、しかし今日は強襲をかけてくることなく、朗らかに微笑んだ。
「
「こんにちは、鳳梨先輩。あの、ちょっとお話をしたいなと、思いまして。お邪魔だったら出直しますが」
「いや、構わないよ。ちょうど休憩にしようと思っていたところだ」
汗をタオルで拭いながら、鳳梨先輩は気さくにそう言ってくれた。
促されるままに私はまた室内に上がり込んで、奥へと向かう先輩について行く。
そんな時、前を歩いていた鳳梨先輩が急につるんと足を滑らせて、盛大に尻餅をついた。
ミシッとなんだか不穏な音がして、私は突然のことに飛び上がった。
「だ、大丈夫ですか!?」
「ああ、全然問題ないよ。床に垂れた汗に滑ったみたいだ」
あははと気楽に笑って鳳梨先輩はひょいと起き上がった。
かなり大胆に転んでいたけれど、特に痛そうには見えないし、強がっている風もない。
体が頑丈だというのは本当のようだ。それよりもミシッと鳴った床の板の方がダメージを負ったかもしれない。
へっちゃらだと言う鳳梨先輩に安心しつつ、本当に大丈夫かとよく観察していた時。
私は違和感を発見した。
「あの、鳳梨先輩。道着って着物と同じで右前じゃなかったですか? 先日お会いした時はそうだったと思うんすが……」
「ん? おっと、これは恥ずかしい。うっかりしてた」
鳳梨先輩の道着は左前になっていた。つまり私から見て左側が、重なりの上側になっている。
朧げな知識だったけれど私が指摘すると、鳳梨先輩はハッとしてはにかんだ。
さっきのすっ転びっぷりといい、もしかして先輩はドジっ子、というかおっちょこちょいなんだろうか。
思わぬ一面に驚いている私の目の前で、鳳梨先輩はささっと道着を整える。
手つきを見るに着ること自体にはちゃんと慣れているようだし、やっぱりうっかりなんだろう。
「それで? 私と話たいことって? 君の助力はこの間断ったけれど」
先日と同じようにパイプ椅子を並べて、鳳梨先輩はそう切り出した。
私は腰を下ろしながら、一応考えておいた口実を口にする。
「あの、鳳梨先輩が嫌でなければ、ですが。先輩と恋バナをしたいなぁと」
「わ、私と!?」
自分でもらしくないことをと思いつつ言うと、鳳梨先輩は少し頬を赤らめた。
先輩もまた、積極的にそういう話をするタイプではないんだろう。
「この間お話をした時、鳳梨先輩は人にあまり話したことがなさそうでしたら。たまにはそういうことを人と話すものいいんじゃないかと。私でよければ、ですが」
「なんだかんだと気を使ってくれてるんだな。ありがとう、柑夏」
私の言い訳がましい理由を特に気にすることなく、鳳梨先輩はそう朗らかな笑みを浮かべた。
先輩の恋は教師相手という難しいものだし、先輩自身それを自覚して公にはしていない。
誰にも相談できないという状況は、気持ちを鬱屈させてしまうじゃないかと、そういう意図のある話題提起だ。
それで鳳梨先輩の心境や状況を知ることができるだろうし。
「そうだなぁ。確かに、誰かに言いたい気持ちがなかったわけじゃない。言いにくいことだけれど、やっぱりな。うん、いい機会かもしれない」
どう反応されるものかと内心ビクビクしていた私だけれど、鳳梨先輩の答えはとても好意的だった。
恥ずかしそうにはにかみつつも、爽やかな笑みを浮かべている。
「いい気分転換にもなるだろうし。私の話でよければ、聞いてくれるか?」
「は、はい。もちろん」
溢れ出る安堵を悟られないように気をつけながら、私はコクコクと頷く。
首を突っ込むなとか、余計なことをするなとか、そうドヤされる覚悟もかなりしていた。
でもやっぱり基本的に鳳梨先輩は親しみやすい人だ。
「じゃ、じゃあまずは。鳳梨先輩は、藤咲先生のどこが好きなんですか? どうして、好きになったんですか?」
「いきなり突っ込むなぁ」
鳳梨先輩はそう恥ずかしがりながら、けれど嫌な顔せずに答えた。
「藤咲先生には空手部に入ってからずっとお世話になってるんだ。一見適当そうに見えもするけれど、でも先生は生徒のことをよく見ている、とても面倒見のいい人なんだよ。私はこう、なんていうか、そそかっしいところがあるからな。先生には入部当初からかなり世話を焼いてもらって。そうこうしているうちに、そんな頼りになる姿に惹かれていったんだ」
頼りになる大人に惹かれる。
先日の児島さんと大野さんの関係もそうだけれど、大人に憧れるという気持ちが根底にあるみたいだ。
まぁ気持ちはわかる。頼りになる年上の存在は、心がとても温まるから。
あの適当そうな藤咲先生に面倒見のいい一面があるのは意外だけれど。
ただ鳳梨先輩は自分でも言っていた通り、そそっかしいというかおっちょこちょいというか、抜けている部分があるようだし。
その辺りが上手く噛み合っているのかもしれない。
「それじゃあ鳳梨先輩は、一年生のころからずっと藤咲先生が好きだったんですか?」
「いや、好意的には見ていたけれど、恋というわけではなかったと思う。ただ先生として良い人だと思っていただけだ」
鳳梨先輩はそう言ってまたはにかんだ。
「この気持ちが恋だと気が付いたのは最近のこと。ここ数ヶ月の話だよ。気付いてしまったからには、抑えることができなかった」
「それで、告白したんですね」
「ああ。生徒と教師、それに先生はご結婚されてる。無理だとはわかりつつ、想いを伝えずにはいられなかった。伝えなくてはならなかったんだ」
そう答える鳳梨先輩の表情は、何だか少し曇っていた。
既婚者に迫ることを後ろめたく思っているのか、自制の効かない自分を恥じているのか。
でも何だか、そのどちらでもないような気がした。
「何回も告白して、断られ続けてるって、そう言ってましたよね? どうしてそこまで……」
「いや、うーん」
眉間に皺を寄せって唸った鳳梨先輩に、余計なことを聞いてしまったかと焦る私。
けれど決して機嫌を損ねたわけではないようで、先輩はゆっくりと口を開く。
「しつこいと思われているのはわかってる。非常識だとも。でもどうしても諦めることができなくて、な。藤咲先生から目を逸らすことが、できなかったんだ」
鳳梨先輩は苦々しくそう口にして、そしてこちらにじっくりと視線を向けた。
「なぁ、柑夏。私を勝手なやつだと思うか? 恋に溺れた我儘なやつだと。相手の迷惑を考えない、嫌な女だと」
「い、いえ、そんなことは……」
正面からそう問いかけられて、はい思いますとは答えられない。
鳳梨先輩の事情はあるだろうけれど、はたから見れば、既婚者相手に求愛を続けるのは褒められた行いではない。
それを先輩自身自覚しているのに、やめられないという。その真意がまだ見えてこない。
「私は、甘えているんだろうか。告白する度に向き合ってくれる先生に。無下にせず、怒るわけでもなく、しっかりと断ってくれる先生に。でも私は……」
「あ、あの、鳳梨先輩」
表情がどんどん沈んでいく先輩に、私は話題を切り替えるため声を上げた。
「その、能力のことは、どうしようとしているんですか? この間は必要と言っていましたが……具体的には、どう?」
「ああ、それは……」
私の意図を感じ取ったのか、鳳梨先輩は表情を引き戻して答えた。
「勝つためだよ」
その瞳には、強い闘志のようなものが煌めいた。
「勝つ? それは、試合に?」
「いや、そうじゃない。私が、女の私が、子供の私が、誰にも負けない人間になるために。悪しきを打倒するために、この
何だか正義の味方みたいなことを言い出す鳳梨先輩。
突然のことに私はついていけず、ポカンとしてしまう。
「空手に限らず、武道は心身を鍛え、武の道をもって人の道を正すものだ。端くれとはいえその道に身を置くものとして、私は半端ではありたくない。いてはいけない」
静謐とした室内を見渡しながら鳳梨先輩は言う。
「だから私は、この場で曲がったことは許したくはないし、空手部に携わる者には歪んだ心であってはほしくない。それは私の元からの主義でもある」
「鳳梨先輩は、世の中の間違ったものと戦うために、強くなろうとしているってことですか?」
「そんな格好いいものではないが、ニュアンスはそうなるのかな。私は、正しくあるために強くありたい」
力強くそう口にする鳳梨先輩に、先程の柔らかい雰囲気はない。
どちらかといえば、先日私が襲われた時のような、獰猛な敵意のようなものが滲み出ていた。
「だから私にはこの能力が必要なんだ。弱い私には、未熟な私には、間違いを打倒するために、この力が」
そう言って鳳梨先輩はそっと立ち上がった。
私のことを悠然と見下ろし、確かな意思を持つ瞳を向けてくる。
「色々と気を揉んでくれているようだが、心配はない。私はどんな犠牲を払おうと、自らが正しいと思った道を突き進む。この能力を必ず使いこなして、誰にも負けない人間になる。そしていつかきっと、先生にもそれをわかってもらうんだ」
その不動の佇まいは、想いと共に決して揺るがない。そう思わされる。
生真面目で愚直で、信じた道に突き進む。そんな鳳梨先輩の意思を曲げられる人なんて、誰もいないように思えた。
藤咲先生に対する真っ直ぐ過ぎる気持ちもまた、簡単に折れるものではない。
強い、とても強いその決意を見せつけられて私は、ちょっと怖かった。
鳳梨先輩の気持ちは純粋で、きっと美しい。でもそれを貫く意志の強さは向こう見ずだ。
そこにどんな正しさがあるのかは、私では図れない。
その恋を貫くことは間違いなんじゃないかと、そんな正論を口にしたい。でも言えない。
それは鳳梨先輩が怖いからでもあるけど、先輩もまた貫くことに迷いを見せている部分もあるから。
その二律背反に苛まれながらも力強く立ち向かう姿に、私は口を挟むことができなかった。
心配ないという。助力はいらないと。確かにそのように見える。
その気持ちや意志を聞いて、より強くそう感じたけれど。
でもそれは、私がまだ何かを見落としているからなんだろうか。
けれど知れば知るほど、私には何もできないと思わされる。
私には何もできない。その気持ちに寄り添うことも、力を貸すことも、そして恋と能力を手放させることも。
何一つできない。それはとても、危険だと思った。
「これは私の問題だ。君は余計なことをしなくてもいいよ。先生は、私が幸せにするんだ」
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