花も実もある1
* * *
朝から雨が降っていた。
眠れない夜を過ごし朝方に少しだけうとうとしていると、純が弾く『雨の庭』が聴こえてきた。曲は重苦しく不安を煽るような前半を何度も繰り返す。いつまでたっても明るい晴れ間にたどりつかない。もう嫌だと結斗が思った瞬間スマホのアラームが起きる時間を知らせた。
ふと窓の外を見れば夢の中と同じ光景が広がっていた。
関西地方の十二月に雪は期待出来ないし、冬の雨は結斗の気分を暗くするだけだった。
いっその事このまま引きこもってしまおうかと思ったが、それも幼稚に思えて出来なかった。
純と喧嘩してからも変わらず毎日大学には行って今年の残りすくない講義を表面上は真面目に受けていた。
どうする? どうしたい? 周りは自分に希望ばかり訊いてくる。
何も答えなんて無い。
このままがいい。
これは答えなんだろうか?
瀬川とは月曜日にと約束していたが学部が違うのをいいことに、週明けから逃げ回っていた。
それに対して逃げ回るまでもなく、純とは、お互いに会おうとしないとこんなに接点がなかったのだと改めて気づいた。親同士が仲よくても子供の縁なんていとも簡単に切れる。二人とも会いたいって思わなければ、この先も……ずっと。
――良かった。
これで、大丈夫だと結斗は思った。もっと早く。こんな喧嘩なんかする前に幸せな日々のまま、ゆるやかに離れるべきだった。高校は離れられたのだから。
あのまま、もっと遠くに行けば良かった。けれど、ずっと変わらず足繁く会いに行って縁を繋いだのは他でもない結斗だった。
純は、ちゃんと自分から離れたのに。
(なんで、また一緒になるんだよ!)
そのまま十二月の後半も、師走らしくあっという間に時間は進み。予定通りに両親は純の親と遊ぶためにアメリカへ向かい結斗は家に一人になった。
暗い顔をわざと明るくして取り繕うのも、そろそろ面倒だったから親が遠くへ出かけてくれたのは正直なところありがたかった。
そんなふうに周りと一切関わらずに過ごしていた。バイト先が同じ瀬川には今年最後の授業の日に捕まってしまった。
――十二月二十四日。
「やっと会えた! 桃谷、俺なんかした? いや、まぁ動画の件だよな、分かるけど」
あの手この手でわざとらしくメッセージをかわし続けたのだから、瀬川が不審に思うのはもっともだった。
「……えぇと」
バイト終わりにカフェテリアの入り口で手を掴まれて近くの席まで連行される。
「とりあえず、お前が「歌手とかプロ」とか言われるの嫌だったのは、よーっく、わかったから逃げるなよ。もう言わないから、そんなことで友達やめられたら困る!」
「いや、そこまで、深刻なことじゃなくて」
「……あのあと峰たちと話しててさ、他人が褒め言葉でも「プロ」とか「職業」に結びつけるのは、よくないなって反省した。無責任に聞こえるしウザかったなって。考えてみれば軽音の奴らだって、楽しくて楽器やってるだけだし」
「ち、ちが、ホント、瀬川たちが気にするようなことじゃ」
「じゃあ、もしかして、動画のことで『純』と喧嘩した?」
「え? それ、どうして」
瀬川から急に純の名前が出て驚く。結斗が何も言わないうちに、それで瀬川は勝手に納得したので余計に訳がわからなかった。
「なるほど、そっちか」
「え?」
「たしかにいつも一緒にいる相方に黙って動画上げたなら感じ悪かったかも。いまランキング荒らしみたいにMOMOの動画が一位になってるし」
「べ、別に純は動画のランキングとかは、気にしてなかったけど」
「そうなの? だって、この前の日曜日から『純』動画上げてないし、毎週何か上げてたからさ、動画主同士でバチバチになって喧嘩してたらどうしようかって」
「いや、まぁ、純と喧嘩はしたんだけど、別のことで、だから瀬川はホント関係なくて、峰くんには、また遊ぼうって言うつもりだったから」
「そっか、良かった峰も喜ぶと思う」
「うん」
「じゃあ『純』はお前と喧嘩して、機嫌悪くてピアノ弾く気になれないのかな」
「いや、俺は関係ないけど」
「でも、喧嘩はしたんだろ?」
瀬川の言葉で急に喧嘩の原因がわからなくなった。純は結斗が勝手に一人で動画を上げたことを怒っていたわけじゃなかったし、ましてや順位にこだわっていたわけでもない。
(あれ、純、何で怒ってたんだっけ)
後半の怒っている純の声が怖くて、あれから、なるべく思い出さないようにしていた。
純、なんて言ってた? 荒れたピアノの後に純が言った言葉。
――なんで、昨日、俺じゃなくて瀬川くんのところに行ったの?
――俺、先に約束したのに。
(あれ? 約束、破ったから? 嘘、ついた、から?)
そもそも瀬川じゃなくて、会ってたのは軽音サークルの峰たちとだった。
「純は……あいつピアノは、楽しくて弾いてるだけだって……」
「へぇ、そうなんだ」
「俺と、遊びたいからとか言ってたし……」
――え、俺と同じじゃね?
瀬川に言い訳のように言った言葉に自分で驚いていた。楽しくて弾いている。
結斗だって同じだ。
昔から変わらない。他の誰と遊んだって、純以上に一緒に音楽をして楽しい人なんていないと思っている。
ふいに、母親がからかうように言った言葉を思い出した。
――同じだけ一緒にいたんだから思考回路も同じよ。なんで分からないかなぁ君は。
(マジで純、拗ねてたの? 俺が他のやつと遊んでたから?)
あの完璧人間な純が? にわかには信じられなかった。一人で音楽している純を見て、寂しかった。
お前も同じ?
確かに、純は、あの日「寂しい」って言っていた。自分は本気で取らなかった。嘘つけって茶化した。
お前も、俺と同じように腹たったの?
「そんなら関係あるんじゃねーの? 遊び相手いないからつまらない、弾かない立派な理由じゃん」
「マジでか」
「しっかし、お前ら、ほんと似てんのな、会うたびにカラオケ行こうって口癖のお前が、急に静かになるし」
拗ねている純なんて想像したことがなかった。いつも笑っているから。完璧だから。
「な、なんか、歌う気にならなかっただけで……」
これ以上言い訳しても、さらに幼馴染との幼稚な喧嘩が露呈するだけの気がした
「そうそう。この前さ、ここで俺『純』と話してただろ。その時にプロのピアニスト目指しているんですか? って訊いたんだよ。まぁ、今思えば、お前と同じで鬱陶しい質問だったかもしれないけど」
「……純、なんて」
ニヤニヤと楽しそうに笑う瀬川を見て、答えは想像出来た。
「プロにならなくても、結斗が一生隣で聴いてくれるらしいから、音楽はそれで十分ってさ」
「何言ってんだよアイツ」
恥ずかしげもなく言葉にしたのだろう。
「結斗が怒るから、秘密にしてねって言われたし、言うつもりなかったけど」
「あ……うん。――なんか、ごめん俺の幼馴染が」
「つか、お前もだろ? バレバレなんだよ。俺が『純』と楽しく喋ってるとき、カウンターからずっと怖い顔して睨んでるの『純』それ見て笑ってたぞ。うちの相方がヤキモチやきですみませんって、砂糖吐くかと思ったわ」
相方って芸人かよ。そもそも結斗が悩んでいた「変」を純は、隠す気がない。
純の覚悟の意味をを知った。
「……とりあえず俺、純に謝ってくるわ、約束破ってごめんって」
約束したのに。行けなくてごめん。寂しいときに、そばにいなくてごめんって。
「お、クリスマスイブにドラマチックに、駆け出しちゃう?」
「うるせー。なぁ、瀬川このピアノってどこにあんの?」
茶化して笑う瀬川を無視して、結斗はスマホを取り出して初めて純のSNSアカウントを探した。別に知らなくても、純のことなんて全部知ってるからと見たことがなかった。予想通り、連絡と最低限のお礼以外個人情報を何も書いていないツマラナイ内容だった。安心した。純は、数時間前にバイトでピアノの調律に行くと書いていた。
「多分、今日から使える、福岡の駅にあるピアノだと思うけど」
「ふぅん、福岡、ね。じゃあ行ってくる」
「え! 今から? 行くなら、連絡してからいけよ。入れ違いになるかもよ」
「入れ違ったら、迎えにこいって言うからいい」
「なに女王様なの?」
――多分、王様だと思う。
瀬川と別れ、その足で新大阪の駅に向かっていた。
親に渡されていた一週間分の生活費と自分のバイト代で片道分の電車賃しかない。
それでも何とかなると根拠のない自信があった。それに純と一緒に帰ってくる未来しか考えていない。違っても、ここまで迎えにきてって言うつもりだった。きっと、結斗は同じことを純に言われたら嬉しくてヒッチハイクしてでも会いに行く。そんな傲慢を嬉しいって思う。
(赤ちゃんで、王様なんだよ、悪いか。お前だって同じじゃん)
一緒の部分に気づいたら嬉しくてたまらなかった。
純が本当の意味で一緒なら、もう仕方ないと思った。自分たちは、変で、バカみたいだ。けれど、だからこそ諦めにも似た覚悟が出来た。
――純が嫌だって言ってもずっと聴く。
約束したもんな。小さな子供のときに言ったプロポーズのような言葉。それを未だに信じている純が可哀想で可愛いと思う。
大好きだった。
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