第15話

 

 全てが下らない。

 上辺だけ取り繕って馴れ合う周りの人間も、いい歳こいて男漁りに勤しむ馬鹿な母親も。

 ……そして、そいつらを見下しておきながら、しょーもない喧嘩ばかりしている私自身も。

 全て消えてなくなってしまえばいい。

 地球に巨大な隕石でも落ちてぐちゃぐちゃに滅びてしまえばいい。

 この世界は下らないもので溢れかえっているのだから。

 そんな事ばかり考えていたある日。


「貴女、楠森くすもりひなさんですよね……私と一緒に野球をやりませんか?甲子園優勝を目指して、共に練習に励みましょう!」


 世界で1番馬鹿な女に、私は出会った。



「先発投手である竜田たつたはこれといった弱点のない速球派で、追い込んだ時にドロップカーブを投げがちです。これを投げられると打つ手がないので、追い込まれる前にストレートを……」


 大川がつらつらと話す内容を脳みそにぶち込みながら、チラリと観客席の様子を伺う。

 人がずらりと並んでいて、一回戦の時とは別の場所のよう。

 全く無名の弱小ながら神皇帝ゴッドエンペラー学園を下したウチの野球部のデータを収集しにきている高校の奴らが殆どだと、大川は言っていた。

 それが本当ならば、私達は注目されている。

 一挙手一投足を値踏みするような目で見られているという事だ。

 ……だが、不思議と恐怖は覚えない。

 むしろ、高揚感すら感じる。

 一年ほど前に始めた野球。

 最初は嫌々練習していたが、時間が経つ毎に自分の成長が感じられて、決して口には出さないが、今では楽しいとすら思っている。

 多くの人が見ているこの試合で、自分の力を試してみたいと思うくらいには愛着を抱いていた。

 それに、ウチのチームは強い。

 馬鹿な私には到底理解できない作戦を立てる大川に、何でウチに来たのか分からないほどの野球エリートの脇谷わきや

 初心者の癖に私の何倍も上手い佐々海ささみに、常日頃から野球の事しか考えてない野球馬鹿の時雨しぐれと、強豪のレギュラーに引けを取らない実力者ばかり。

 私を始めとした他の部員も足を引っ張らない程度の実力はあるし、大勢の観客に見られていようが、強豪の地大末じだいまつが相手だろうが、絶対に負ける事はないと、心の底から信じていた。

  

「ばっちこーい……なのです」


 語尾の声は抑え気味。

 流石の私も沢山の観客の前で、こんな恥ずかしい語尾を大声で発する気概は無かった。

 試合が始まり、初回の表は地大末じだいまつ学院の攻撃。

 1番、2番と順調に打ち取ったものの、3番打者には際どいボールを見逃されてフォアボール。

 ツーアウト1塁の局面で、バッターボックスに立つのは4番バッター。

 大川は随分と警戒しているみたいだったが……正直に言って、全く強そうに見えない。

 女の子らしい華奢な体躯に、覇気のないダウナー系の顔立ち。

 こんな奴に時雨は打たれない……と、思った次の瞬間。

 金属バットが鋭く空を切る。

 時雨が投じた初球は呆気なく弾き返されて、物凄い速度でバックスクリーンに突き刺さった。

 誰が見ても明らかなツーランホームラン。


「あーあ、今日はこれでおしまいやなぁ」


 一塁ベースを回る際に4番の女がそう呟く。

 怪しげな笑みを口元に携えて。

 ……何故かとても、嫌な予感がした。



 試合はダラダラと進んでいく。

 相手の作戦はこちらが予想していた正統派な作戦とは真逆だった。

 ひたすらに上位打線との勝負を避けて、下位打線と絡めてアウトを取っていく。

 魔球を多投せずにここぞという時に使う。

 配球パターンをイニング毎に変更して、こちらに狙い球を絞らせない。

 そのため、こちらの行動は必ず後手に回り、どうにもチャンスを広げる事ができない。

 徹底的にリスクを排して機械的に野球を行うスタイルは、実力差があるウチの野球部に対して、これ以上ないほどに有効に作用した。

 今は7回の裏。

 前の回でリリーフとして登板したピッチャーを大川と脇谷が叩いて一点を取ったものの、佐々海と時雨は歩かされた。

 現在は1-2なので、一打同点の場面。

 ノーアウト満塁で次の打者は私。


「舐めやがって……後悔させてやるのです」


 奴らは私をカモだと思っている。

 ノーアウト満塁でも、私が相手なら点が取られる事は無いと高を括っているのだ。

 沸々と怒りが湧いてくる。

 だが、それと同時に全く別の感情が心の奥底が生まれつつあるのを、確かに感じていた。


「ストライク!バッターアウト!」


 無様にも三振した私は俯きながら歩みを進める。

 何もできなかった。

 インハイのストレートから真ん中から落ちるドロップカーブ。

 そして、最後はボールゾーンに逃げるスライダーで三球三振。

 気合いも怒りも虚しく空回って、相手の掌の上で転がされた。

 不意に一塁側から視線を感じる。

 じっとりと全身に絡みつくような気持ちの悪い視線を。

 見なければいいのに、愚かな私は好奇心に駆られて一塁側を見てしまう。


「ふっ、ふふっ。ふふふふふっ」


 ……相手の4番の女が私を見て、笑っていた。

 馬鹿にするように、嘲るように。

 底知れぬ悪意を込めて。

 そうして私は打席に立つ前に、心の中で生まれつつあった感情の正体に気づく。

 これは、恐怖だ。

 勝つための作戦の一環として下位打線を狙っている訳ではなく、こちらの心をへし折るために下位打線潰しを行なっている相手への恐怖。

 喧嘩で刃物を持ち出された時も、母親に物を投げつけられた時もここまでの恐怖は感じなかった。

 刃物を持ちだした奴も母親も所詮は虚仮威し。

 私に危害を加えられたくないがために、防衛手段として暴力を振り翳しただけ。

 でも、あの女は違う。

 恐らく、この作戦を考えたのはあいつだと、本能的に理解した。

 多分、あいつは私の心が折れて再起不能になっても、全く心を痛めないだろう。

 仮に私があいつに危害を加えようとしたら、想像すら出来ない残酷な手段でやり返してくるだろう。

 仄暗いというにはドス黒過ぎる悪意。

 それを奴は心の内に秘めており、それを目の当たりにした故に私は恐怖を覚えているのだ。

 怒りや不甲斐なさなんて、もう感じない。

 ただただ怖くて、ひたすらに怯えてしまう。

 ……野球って、こんなスポーツだったんだ。

 その後のことはよく覚えていない。

 唯一記憶に残っているのは、一点差をひっくり返す事ができずに負けたという事実だけだった。



 ミーティングが終わり、学校に戻った私達は解散する運びになった。


「アキラくん。この後、時間あります?ちょっとだけ、自主練したいっす」


「いいね。もちろん、付き合うよ」


「よーやるなぁ、お前ら。俺は帰って寝るわ」


 各々が別々の方向へ歩き出す。

 それを見届けた私は呆然と帰路についた。

 ……はっきり言うが、私の中で野球への情熱が無くなりかけている。

 理由は怖いから。

 今日の試合を見ていた奴らはほぼ間違いなく、今回の地大末の作戦を真似する。

 私を始めとした塵芥の下位打線が穴だと認識して、絶対に狙い打ちしてくる。

 あの女のような明確な悪意を持って。

 それが、私は怖い。

 そんな事をされたら、惨めな姿を晒すことは分かりきっている。

 焦ってテンパって、積み重ねた練習の成果を出す事すら出来ずに凡退するのが目に見えている。

 その未来を想像してしまうと、試合が楽しいと……野球が楽しいとはもう思えなかった。


「……下らねーのです」


 野球がではなく、自分という人間が。

 1年間、一生懸命頑張ってきた野球の練習は全て無駄だった。

 こんな情けない気持ちになるくらいなら、最初から野球なんてやらなければ良かった……と、ほんの少しでも思ってしまう自分が本当にしょうもない。

 ……ああ、もう全て無くなってしまえばいい。

 地球に巨大な隕石でも落ちてぐちゃぐちゃに滅びてしまえばいい。

 そうすれば、こんなにも苦しい思いをせずに済むのだから。

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