第13話 頭皮。
『まぁ、その長さで、そう見えるなら』
「筆と同じで、ある程度端が揃っていれば大丈夫だ、と既にウチの職人には確認を取っております。と言うか実際に母が作りましたので、はい。結局は自分達で端を揃えるので、飾りのバリエーションが少し減る可能性さえ呑んで頂けるなら、問題有りません、と聞いています」
『僕が洗うのは不満かい?』
「差し出がましいのを承知で申し上げますが、結構、髪が抜けますけど気にしませんか?」
『そこまで?』
「はい、父はショックを受けたり他の者に相談したりと、そこも気になって母は頼み辛かったそうです。もう良いから仕事をしろ、と、お互いに余裕が無くなるのが1番嫌だったそうですし。髪はほっといても伸びますけど、子は違う。抱っこや世話をして欲しかったそうです、怖がらずに抱け、と。それと体調を崩して欲しく無かった事も重なったそうです、今は平気でも、後々になって響く事は沢山有りますから」
本当に良かったわ、アニエスが居てくれて。
コレは、呑むわね。
『分かったよ、けれど次が出来てもこの長さまで、良いね?』
《はい。ありがとうアニエス》
「この方法が広まれば皆さん楽が出来ますから、お役に立てて何よりです」
けれど、本当に残念だわ。
直ぐにベルナルドの事が頭から外れてしまうんだもの。
《それで、アニエスも同じ長さにするのかしら》
「んー、あ、どうですかねシャルドン様」
アニエス、そっちじゃないわ。
《僕は女性が楽なのが1番だと思いますけど、お兄様はどうですか?》
『僕も産んで頂ける方を最優先にはしたいけれど、あまり短いと男の様に思えてしまったり、不憫にも思えてしまうからね』
《不憫》
『庶民は髪を売るんだ、良い資材になるからね、だからこそ他人の髪を切って売る悪人も居る。その場合、どちらにしても真っ直ぐな切り口になるんだよ』
《自分で伸ばせば良いのに》
「残念ですが毛量が少ない方もいらっしゃいますし、面倒だからと男性はあまり伸ばしません。ですが女性は喜んで髪を伸ばします、お洒落の幅が広がりますから。となると狙われるのは女性が多い、幾ら1人にならなくても、同じ数の男性には勝てませんから」
《怪我もしてしまうのですね》
「そこは殆ど報告は無いそうです、素直に渡せば大概は奪って逃げて行くそうですから」
『ですけど更なる被害に遭わないとも限らない、だからこそ庶民でもコアフを身に付ける女性が多い、だからこそ髪を下ろして出歩く等もってのほかなんです』
《でも、暑いのよねぇ》
「そうなんです、結って纏めて更にコアフは蒸れます、ですから薄く織られたシルクや綿のコアフか麦わら帽子を被るんですけど。それでも暑いんです、髪の保温性って凄いんですよ、実質帽子です帽子、帽子に帽子の重ね着。今度、指を突っ込んでみますか?」
《良いんですか?》
「はい、何事も経験です、是非暑さと蒸れを体験して下さい」
このアニエスの善意が、まさかの出来事に繋がるだなんて。
シリル様は、分かってらしたのかしら。
《失礼しますね》
シャルドン様がルージュ様の頭に、髪に指を突っ込み。
《ちょ、あ、嗅がないで下さいまし》
《どうして?良い匂いだよ?》
嗅ぐなと言われると嗅ぎたくなるのは良く分かるのですが。
《ぅう》
子供の無垢さを舐めていました、ウチの妹は大人しく控え目で、ココまで破天荒な事は。
いえ、有りましたね。
ふと気が付くと琥珀そっくりのガラス細工を舐めていて、一同で絶叫を我慢し、ゆっくり吐き出させた事が有りました。
「申し訳御座いません、全ては私の不手際のせいであり、決してシャルドン様に悪意は無かったとご理解頂けませんでしょうか」
《これだから、これだから成り上がり男爵令嬢は!》
《ごめんね、してはいけない事だったなら謝るから、アニエスを怒らないで》
《一体!何なんですの!》
「夏場の女性が如何に暑いかの話題になり、今日にでも私で体験して頂こうかと」
《ごめんね、失礼な事だったんだね》
《当たり前ですわ!触るだけならまだしも!匂いを》
《うん、もう許さなくて良いよ、婚約者の事も無しにして貰うから。じゃあねルージュ嬢》
「あ、シャルドン様」
《もう良いんだ、行こうアニエス》
「あぁ、はい」
婚約者候補だったとは言えど、半ば婚約破棄の片棒を担いでしまい。
コレこそ、悪役令嬢なのでは、と。
《父上は体調管理には匂いも重要だって、僕や母上の頭の匂いを嬉しそうに嗅ぐから、ごめんね、でも、そんなに悪い事なの?》
体調管理に匂いは確かに重要ではありますが、寧ろ性癖と申しますか、半ばクセなのでは。
「私の知り合いですが、臭い匂いが逆にお好きな方もおりますので、その点に関しましては慣れているので問題は無いのですが。やはり婦女子と言うものは匂いに関しましては非常に敏感でして、はい、好みが分かれる対応でしたね」
《でも、匂いの好みは人其々だよね?それに、匂いが合わなかったら止めなさいって、結婚には大事だって》
「あぁ、まぁ、確かにそうですね。敏感な方ですと婚約破棄も有るそうですから」
辺境伯令嬢達が会話なさってた事ですが、庶民でも聞く事ですからね。
それこそマリアンヌさんはお相手の匂いに五月蠅い方で、お客さんの分類は顔と匂いで分けてましたし。
《アニエスも良い匂いだと思う》
「折角ですし、どうぞ」
女性に対して過度に幻想を抱かれても困りますし、臭いと思われても困りませんし。
《凄い汗》
「敢えてコアフにしましたからね、夏用でも暑いは暑いんですよ」
《うん、臭くないのに》
「直にいってみますか」
《うん》
お子様でらっしゃるから良いものを、コレは流石に異性は勿論、同年代や年上には恥ずかしいですね。
お父様って本当に嫌になる匂いですし。
枕を定期的に変えても、もう枕かお父様か嗅ぎ分けが不明になる位に匂う、臭い。
「臭くても仕方が無いので構いませんよ、ご感想をどうぞ」
《良い匂いだし、他に見知らぬ者が見てるワケでも無いのに、何が嫌だったんだろう》
「私には婚約者が居なかったので分かりませんが、婚約者候補だからこそ、嫌われるかも知れない要素を排除したかったのでは?」
《僕、信用されて無かったのかな》
「んー、寧ろ好んでらっしゃるからこそ、恥ずかしく感じたのかも知れません」
《好きなら知りたいし、知って欲しいんじゃないの?》
「その、両方がせめぎ合うのでは?」
《難しい》
「ですね」
私も結婚相手の事はお互いに知るべきだ、知ろうとすべきだとは思いますが。
同時に隠したい秘密についても分かりますし、難しいですね、ご説明するにしても何にしても。
『良いかな、ジュブワ令嬢』
「はい、メナート令息、ルージュ様の事ですか?」
『うん、すまないね、事情を聞かせて貰えるかな』
「はい」
《僕が悪かったらしいので、アニエスを叱らないであげて下さい》
『はい、ご事情を伺うだけですし、絶妙に誤解が有るだけでしょうからご安心下さい。少なくとも大人側は既に理解はしておりますから、お借りしますね』
《うん、はい》
ルージュ様に泣き付かれてらっしゃった、メナート様。
アーチュウ様の家の養子だそうですが、何処かで見た事が有る様な、無い様な。
何処で、でしょう。
接客させて頂いたお客様でしたら、忘れない様に店で復習しているのですが。
「あの、お店にいらして下さいましたか?」
『ぁあ、いえ、アナタがいらっしゃる時には行ってはいませんよ』
となると、何処で。
「失礼ですが、お会いした事が無かったでしょうか?」
『口説かれているんでしょうか?』
「あ、いえ、違います違います。勘違いでしたら失礼しました、何処かでお見掛けした事が有った気がして、単に商人として気になっただけですので」
『それは、もしかしたら似た者を見たのかも知れませんね、女性か男性かを』
あ、失神なさったご令嬢に似てらっしゃる。
でもコレ、不名誉ですし、ともすればとんでもない事実が更に奥に。
うん、止めておきましょう。
「んー、気のせいだったみたいです、失礼致しました」
『そうですか、では、コチラへ』
ミラ様用の女騎士さんだ、制服、暑そう。
「と、シャルドン様の方では、そうした事情から悪いと思ってはいらっしゃいません」
単なる興味本位だ。
そう前置きされ、もしアニエス嬢を落とすなら落とせるのか、と。
シリル様は本当に性格が悪い。
『確かに、体臭が合わない場合は非常に辛いそうですからね』
「本当に、父と同じ匂いがする方は流石に無理ですね、父を思い出しながら夜伽は嫌です」
『ふふふ、随分と具体的ですね』
「あ、いやとあるご令嬢からお伺いしたんです、大嫌いな叔父と同じ匂いがする方を紹介され、直ぐにお断りしたと」
『あぁ』
「男性はどうなのでしょうね?赤子と同じ香りでも抱けてしまうのでしょうか」
『赤子』
「あ、母乳の香りです、産後でも構わず盛る方も居ると聞くので」
『凄い情報網ですね』
「まぁ、女は良いも悪いも共有するものですし、そうした道具を親族が店で取り扱っておりますので」
『それは初耳ですね』
「あ、流石に貴族の方にはご紹介していませんし、困ってらっしゃる方にだけ内密に購入方法をお教えしておりますから。すみません、酷く脱線してしまいましたね、失礼しました」
成り上がりと言えど、そう思えない程の振る舞い。
けれども下世話な話もこなせ、切り返しも上手い。
本当にウブなのか少し怪しんでしまいますが。
『コチラから説明致しますので、裏で聞いておいて頂けますか?感触次第ではシャルドン様を説得頂きたいのですが』
「はい、承りました」
直ぐにも安直に安請け合いはしない。
今の所は全く問題は無いんですが。
水を向けられたせいなのか、何かが引っ掛かる。
コレは、何だろうか。
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