願いと炎
現状が非常に不味いということを帳は身にしみて理解していた。
「そんなにまずいのか?」
その表情を見て、緩み始めていた兜の緒を締めた京は帳に問う。
二人でも駄目なのかと。
返ってきた返答は、帳の厳しい表情一つだけだった。
しかしそれだけでどれだけ不味い相手なのかは京にもよくわかった。
相賀は魔術師だ。
先程のとんでもない数のスキルを同時に行使されれば今度こそ助かりはしないだろう。
しかし、怖いのはそれだけだと京は思っていた。
この不気味な少女の些細な行動一つで豹変した相賀は所詮は後衛。
前衛のいない状態なら勝機はいくらでもあると。
帳と肩を並べることができるなら尚更に。
(それもこの
相賀を見る。
まるでゾンビだ。
少女が手をかざして以降、相賀に自我のようなものは見受けられない。
ただ、少女に言われるがままに指さされた相手を襲う傀儡のゾンビ。
「笑えないな」
その標的である京からしたら面白くない冗談だった。
「さぁ、差し出しなさい」
少女のその言葉とともに相賀が京目掛けて駆ける。
「お前は魔術師クラスの筈だろうが!?」
ぶつかる聖剣と相賀の細腕。
しかし、衝突の音も、受ける衝撃もその絵からは想像もできないものだった。
あまりの重さに京は今日初めて力負けして後退した。
「やはり、そういうことなのか……」
何か考えに辿り着いたのか、帳が声を震わせて相賀を見る。
少し剣が震えていた。
京が『
「おい、あいつまじでどうなっているんだ。心当たりがあるんだろう」
何かを思い詰める帳の様子に京はその正体を問い詰めた。
「あぁ、つい先日、似たような奴と……いや、違うっそんな筈が……!」
認め難い事実を前に、葛藤を抱く帳はそれ以上に口にしようとしたしなかった。
そんな状態の帳にアレがなんなのか聞いても今は満足いく返答は返ってきそうになかった。
ならしょうがないと京も意識を完全に戦いへと切り替えた。
これはもう、決闘ではない。
目の前の少年は完全に己のコントロールを失い、少女に手綱を握られている。
こちらを害す気でいっぱいだ。
殺す勢いでいかなければこちらが殺される。
人を殺すという現実を前に京は息を呑む。
決して踏み越えてはならないはずの一線を越えなければおそらく命はない。
それは自分だけでなく、自分を慕ってくれる後ろの少女達も、そして想いを寄せるその人も。
剣に震えはない。
天秤が傾いてしまえば、自然と覺悟も決まる。
あの少年の友達である、灰の連れの偉助とかいう奴には悪いが、最悪、相賀を殺すことを腹に決めた。
ならばと。
京が駆ける。
積極的に戦うことを決め、こちらが戦いをメイクすると。
相手は魔術師、こちらは剣士二人。
どちらが優位かは歴然だった。
「
京の聖剣が相賀に振るわれる。
剛剣が鋭く風を斬る。
必殺の一撃。
「足りないんじゃない?」
少女の言葉の通り、瞬時に現れた魔法陣が盾となって京の聖剣を受け止めた。
それは相賀が何度も使用した『
しかしその効力は比べ物にならないほどに高く、強化された筈の京のアクティブスキルを受けても微動だにしなかった。
マナシールドの消失後、すぐにその場所に別の魔法陣が展開された。
『
風属性魔術スキルの初期スキルのひとつ。
威力は控えめではあるが発動の早さに優れる扱いやすい人気スキルだ。
しかし、出現した魔法陣の大きさも内包する魔力量も、初期スキルなんて優しいものではなかった。
「将暉!」
帳が横からの攻撃を相賀へと仕掛けた。
相賀がとっさに守りに入ったことで標準が僅かにずれて、京の真横を通り過ぎた。
背後から聞こえる轟音に、それがまともに当たれば致死性のものだと嫌でも理解できてしまった。
「凛!俺が奴の隙を作る!その内にアレを使え!」
その言葉に帳は瞠目すると共に、意味を理解し刀を構えた。
相賀のスキルが宙へ浮かんだ。
それを見て京が駆ける。
「
僅かでも時間を稼ぐため自分一人で魔術の嵐を斬り伏せていく。
光が次々と迫りくるあらゆる形の風を裂き、霧散させていく。
絶え間ない風の猛威に剣の輝きが徐々に削がれていく。
風を切り抜け相賀の元へとたどり着く。
全ての力を出し切って、剣に乗る光もあと僅か。
輝きの乏しい聖剣を振り下ろした。
───ギィィイイイイン。
またも聖剣を阻止する魔方陣。
それが現れるのはわかっていた。
しかし今度こそは。
魔方陣に罅が入った。
しかし、京の聖剣に光はもうない。
「ハァァアアアアア!!!」
気勢をあげ全力を絞り出す。
全身のありったけの力を剣へ集約させた。
遂に、魔法陣は音を立てて、割れたガラスのようにきらきらと淡い色を瞬かせながら散っていく。
聖剣は既に普通の剣へと姿を戻していた。
相賀の身を守る魔方陣を砕くのに力を使い切った京の役割はここまでだ。
「任せた」
「任せろ」
まるでコマ送りのように京の隣に現れた帳。
普段と違った雰囲気に、帳のユニークスキルが正しく発動したことを理解。
頼もしい姿を見せる帳へ後を譲る。
姿が消えた。
「え?」
再び姿を現した場所で帳が相手を
────『異剣・燕返し』
一振りの下放たれる二刀の剣撃。
時空を捻じ曲げ、二つの結果を一つに纏めた力技。
時空を越えたことで、その刃にはそれだけの力が付与される。
故にそれは只の剣撃に非ず。
人の身では越える事の出来ない領域を踏破した刀身は、人知を超え、魔剣へ至る。
一刀二閃の魔剣が
回避不可の必殺剣を前に、不敵な笑みを浮かべる少女はもう居ない。
「くっ……!」
しかし、魔剣と少女の間に影が割り込んだ。
「イ"ィ"イ"ィイイイィイイィィィイイイイ」
少女の代わりに魔剣を受けた少年、相賀 周成の両腕が落とされた。
「相賀……!」
反応できてもそう簡単に詰められる距離ではなかったはずだ。
まるでわかっていたかのような反応の良さに帳は少女を睨みつける。
「分かってたよ。私を狙うだろうって事は。でもまさか剣聖もいるなんて思わなかったよ。奇遇だね?」
そう語る少女の笑顔は帳の胸へと向けられている。
京に向けた笑顔同様に、それは決して京や帳本人に向けられたものではない。
その事実に帳はまるで誰かに憑かれているかのような怖気が背中に走った。
「そいつを盾にしやがったのか……見た目の割に糞みたいな性根してんな」
京は苛立ちを込める。
京は元凶である少女をどうにか叩いて、相賀が元に戻るのかどうかを試したかったのだ。
その思惑を汲み取った帳が、ユニークスキルの特殊な歩法で少女の虚を突いた。
しかし、それもどうやら相手にはお見通しだったらしく、早い段階で相賀を自分の元へと呼び寄せていたようだ。
今の相賀のでたらめな膂力がそれを可能にしていた。
「汚い言葉喋らないでくれる?醜い器如きが」
汚物を見るような少女の視線。
京は厄介な事になったとぼやく。
少女の守りは非常に堅い。
あの空気の層は聖剣をもってしても破れる気がしなかった。
帳の持つ『異剣・燕返し』なら突破ができると思ったが、それすら対策されてしまっている。
本気で、相賀をどうにかしなければならないかもしれない。
決めたことだ。
再び、人を殺める覚悟を、同級生を殺める覚悟を決めて剣を構えた。
帳も歯を食いしばって標的を銀髪の少女からゾンビのようになった相賀へと向けられる。
「ま、待ってくれ!」
相賀と京たちの間に少年が割って入る。
困惑と焦りと不安にごちゃまぜにしたような表情のその少年、春日 偉助はこの現状を受け入れられない。
「周成はもうこんな状態なんだ!これ以上どうするって言うんだよ!」
悲痛な叫びが木霊した。
「わかるだろ」
「わかるかよ!動けない人間にこれ以上なんて……それじゃまるで……」
そこから先の言葉は出てこない。
「殺すって言ってるんだ」
淡々と告げられる事実に目を見開く偉助。
信じられないとそうありありと貼り付けられた表情だ。
「あり得ないだろう!同じ人間だぞ!同級生だろう!」
「あれが同じ人間に見えるのか」
京の言葉に偉助は詰まってしまう。
あの様子。
あの呻き。
そしてでたらめなその強さ。
偉助にだって心当たりがある。
そう、無いはずがないのだ。
偉助は帳の表情を見る。
同じだ。
その信じ難い事実を前に苦悶する表情。
帳は偉助よりも早くそれに気付き、飲み込もうとしている。
「……そ、そんなわけ」
あの日の記憶と合致しないように否定材料を必死に探した。
姿が違う。
あれは魔物だ。
周成は人間だ。
同じはずがない。
それを幾度と頭に巡らせても、不安は拭えない。
否定したい事実がより一層真実味を帯びていく。
「春日!」
「おい!」
帳と京の声で偉助は振り返る。
そこには
「がっ……」
両腕で振り払われた偉助が壁に叩きつけられる。
意識は無事だが、体へのダメージが大きく動けそうにない。
「……それじゃあ、お前……まじで」
どろりとくっつく腕を見て、確信してしまう。
あぁ、親友が化け物になってしまった。
「来るぞ!」
帳が相賀の動きを捉える。
速さ自体は以前の蝋人間の方が早かった。
しかし、
「凛!」
突進しながら発動される風の魔術までは帳には捌ききれなかった。
大砲のような風が帳を大きく吹き飛ばす。
「くそ……!」
もう一度聖剣に……。
「がっ……」
「ふふっ。私がただの魔獣使いに見えた?」
いつの間にか背後に立っていた少女。
背中に短刀を突き立てられた。
倒れ伏せる京。
傷は深いが、致命傷ではない。
探索者の体は異常に頑丈だ。
『
しかし、この状況は詰みだ。
「さぁ、止めを刺してあげなさい。早くこの方をここから出して」
相賀が京へと近寄る。
────やめろ。
為す術のない偉助は、変わり果てた親友の凶行を止める事ができない。
行方不明から無事に帰還した相賀は傲慢な所を見せることが多くなっていたが、以前はもっと優しい少年だった。気弱で繊細で、誰かの為に泣けるような少年だったのだ。
人が変わってしまったが、それだって一時の後遺症かなにかのはずだ。力に浮かれているだけかもしれない。
ただそれだけなんだ。
だからどうか。
そいつに誰かを殺す様な真似なんてさせないでくれ。
願う。
悲劇を起こさないでくれと。
悲劇の中心にそいつを立たせないでくれと。
霞む視界の中、白いもやが薄く広がっていく。
思考が乱れる。
帰ったらどうしよう。
どんな練習をしよう。
嫌、違う。
そんな事じゃない。
目の前の出来事が。
どうして誰も来ないのだろうか。
これだけ派手な音を何度もさせて、常駐の探索者や教師どころか、生徒すら。
思考が乱されたからか、ふと単純な疑問が偉助には浮かんだ。
京の根回しが悪い方へと転んでしまったのだろうか。
しかし、それにしても限度があるはずだ。
通常ではあり得ない爆音がしたならばそれは非常事態として捉えるのが当然だ。いくら根回しをしていたとしてもだ。
それが生徒同士のいざこざなら殊更に。
相賀の頭上に魔法陣が現れる。
人を一人殺すには十分だ。
────やめてくれ。
「くっ……そ」
目に見える程の可視化された魔力の風が槍となって相賀を睨みつける京へと放たれようとしていた。
まるで時が渋滞したように偉助の瞳には無惨な光景がゆっくりと流れていく。
歯を食いしばり、睨みつける京。
魔法陣から離れ、降る風の槍。
免れぬ死の場面を前に、不思議と遅く感じるこの世界に、偉助は思うように体を動かせなかった。
重たい体は持ち上がらず、速さの違う思考と体は上手く噛み合わない。
悲惨な現実を前に、目をそらしたくなったその時────
偉助の世界に赤が降り注いだ。
それは余りに紅く、ゆらゆらと揺れるそれは空気をも焦がす程に熱い。
離れた場所にいる偉助にもその熱が伝播するほどに。
まるで火をつけられたティッシュペーパーのように燃え上がった風の槍は、瞬く間に宙へと溶けていく。
「だれ!」
怒りを込めた少女の誰何。
見上げたその視線の先には仮面の男が見下ろしていた。
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