似合わないスーツ2

「という事だから、乃利子さんが死ぬ間際に遺した言葉の意味は、私にもわからない。すまないね」

 一通り話し終わると、久住さんはそう言って申し訳なさそうな顔をした。

「いえ、とんでもない。当時の事を話して頂き、ありがとうございます」

 私は、慌ててそう応えた。


「ところで、久住さんは乃利子さんと仲が良かったと伺ったのですが、どのようないきさつで交流するようになったんですか?」

 涼太君が質問した。久住さんは、視線を宙に向けながら答えてくれた。


 久住少年は東京で育ったが、家が貧しかった為、中学生の頃から新聞配達のアルバイトをしていた。なんとか高校に進学してからも、アルバイトは続けていた。

 そんなある日、久住少年が仕事の帰りに『パラディソ』の前を通りかかると、一人の女性が店から飛び出してきた。

「うわっ!!」

 自転車に乗っていた久住少年は、女性を避けようとして盛大に転んでしまった。女性は、慌てて久住少年に駆け寄る。

「ご、ごめんなさい。大丈夫?」

「はい、大丈夫……いてっ」

 右足を捻ったのか、久住少年はうまく歩けない。

「大変!うちの店に救急箱があったはずだから、どうぞ入って!手当てしてあげる」

 躊躇いながらも、久住少年は『パラディソ』で手当てを受ける事にした。


「はい、これで大丈夫のはず」

 そう言って、彼女は久住少年の足首をポンと叩いた。

「……ありがとうございました」

 久住少年は、おずおずと礼を言う。

「いいのよ、元はと言えば私が店を飛び出したせいなんだから」 

 彼女は、前田乃利子と名乗った。『パラディソ』の従業員で、東北の田舎から上京して半年以上経つと言う。久住少年より二歳年上だ。もうすぐ開店時間だが、買い忘れた備品があった為、慌てて買いに行こうとして飛び出したとの事だ。


「あら、あなた、探偵小説を読むの?」

 乃利子は、久住少年の鞄から覗いている本を見て言った。

「……はい、こういうの、好きなんです」

「私も探偵小説は好き。……ねえ、あなた、いつもこのくらいの時間にここを通るの?だったら、今度遊びにいらっしゃいよ。その小説、私はまだ読んでないから、読んだら感想を聞かせて」

「え、でも……」

「大丈夫。開店時間前に少し立ち寄るくらいなら、店長達も許してくれると思うし、あなたにお酒を飲ませないのなら合法よ」


 それから、久住少年はたびたび『パラディソ』を訪れるようになった。乃利子は、そのたびに久住少年にご飯を振舞うようになった。久住少年の身なりや痩せぎすの体を見て、経済的に苦しいとわかっていたのかもしれない。

 店長の上坂夫妻とも知り合いになった。二人共、乃利子と久住少年に優しく接してくれた。

 いつの間にか、久住少年にとって『パラディソ』で過ごす時間はかけがえのないものになっていた。特に、乃利子と小説の感想を述べ合う時間は幸せだった。乃利子の笑顔を見ると、胸が高鳴る。久住少年の初恋だった。

 しかし、乃利子は近い内に田舎に帰り、地元の婚約者と結婚する予定だと聞いた。久住少年は、恋心を胸に仕舞っておく事にした。


「そうだったんですね……」

 涼太君が誰と目を合わせる事もなく呟く。

「ああ、でも、心配な事もあった。彼女は、件の事件で亡くなった長岡和也さんに付き纏われていたんだ」

「付き纏われていた?」

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