EP17 今だけは俺の願いを
っと夕星(ゆうせい)は運が良かったのだ。陽真里(ひまり)の住んでいる階が二階だったことも、飛び降りた先の駐車スペースに偶然にも車が止まっていたことも。
おかげで随分と落下距離を誤魔化せた。
「ッッ……!!」
しかし、それは麗華(れいか)にとっても同条件だ。同じように飛び降りてしまえばいいだけのこと。それに彼女もエゴシエーターならば、空中浮遊のような真似ができたとしてもおかしくはない。
だから夕星は、ありったけの力で着地した車の天井を踏みつけた。立て続けに二度の衝撃を感知した車の防犯アラートがけたたましい音を立て、近隣住民の注意を集約させる。
「こんなので時間稼ぎになるかも分からねぇけど……」
彼女が無関係な人物を巻き込むことに躊躇いがないことも、十悟の件でハッキリしている。だから、このアラート音がどれだけの牽制になるかはわからない。
「いったい、何なのッ⁉」
抱き抱かえた陽真里が、怒りと困惑が入り混じったような視線を向ける。
だが、先にも言った通り、今は説明している余裕がない。夕星は焦燥に微動する唇を噛み締めながら彼女を立たせ、その手をがっちりと掴んだ。
「とにかく今はアイツから逃げるぞッ!」
陽真里は何かを言い返そうするも、それよりも速く夕星は走り出していた。半ば彼女を引き摺って走るような絵面になりながらも、胸から口元へとネクタイピンを手繰り寄せて、声を張る。
「聞こえてますか、先生! 最悪なんです、あの魔女とブッキングしたんです!」
ジジッ、というノイズの後に未那月(みなつき)からの声が返ってくる。
『落ち着くんだ、神室(かむろ)くん。その様子から察するに、今は藤森(ふじもり)委員長と逃走中といったところか?』
「そうですよッ! そこまで状況が分かってるなら、せめてヒバチだけでも回収することはできませんかッ!」
未那月は以前に〈エクステンド〉ごと夕星たちを基地へとワープさせたことがある。ARAs(エリアズ)の基地には、かつて組織に所属していたエゴシエーターの能力を元に開発された転送装置が設置されているのだ。
それを作動させれば自分たちを回収することも簡単だと考えて、夕星は救助を急かしのだが、
『……すまないが、それは無理なお願いなんだ』
「はぁっ⁉ 出来ないって……いまはそんな冗談を聞きたいわけじゃ、」
一緒にいるのがエゴシーターの疑いをかけられたままの陽真里だから、出来ないというのか?
だったら、今の夕星の手の中には去り際に持ち出した「スターレター・プロジェクト」のカードがある。
「ヒバチはそもそもエゴシエーターじゃなかったんです! だから、」
『そうじゃないんだ。装置の使用には膨大な電力を消費すると話したことは覚えているだろう』
ARAsでは常に転送装置を利用できるように、大型のバッテリーをストックしている。だが、以前の使用の際にそのストックを使い果たしてしまったのだった。
〈エクステンド〉、夕星、十悟(じゅうご)のそれぞれを対象とした三度の連続使用はARAs側にとっても想定外だったと、未那月は歯痒そうに続ける。
『バッテリーの再充電には半月の期間を要する。だから、転送装置で君たちを回収することは、』
「だったら、〈エクステンド〉だけでもこっちに寄越して下さい! そうしたら俺が時間を稼ぎますから、その間にヒバチだけで保護を!」
「それも不可能だ」
〈エクステンド〉は現在、修理の真っ最中だ。辛うじて使えるような状態にするにも相応の時間はかかる。
『とにかく、私たちも君たちを助け出すためにプランを全力で考える。だから、そのネクタイピンだけは手放すなよ』
連絡手段なのは勿論のこと。ネクタイピンには夕星の居場所を知らせるためのGPS機能も仕込まれている。だから、この胸元に留められた金属片は、ARAsと自分たちを繋ぐ最後の命綱と言えた。
だが、現状が最悪であるという事実にも変わりがない。
絶対絶命。万事休す。
そんな言葉たちが次々に夕星の脳裏を掠めていく。
「────夕星ッッ!!」
不意に、ありたっけの力で腕を引かれた。
「ねぇ……ちゃんと、説明しなさいよ……」
掴んでいた彼女の手首は痛々しく真っ赤に腫れて、息は切れ切らになりながらも瞳には堪えるようにジッと涙を溜めている。
「何がどうなってるの! どうして、ネクタイピンから未那月先生の声がするの!」
陽真里からしてみれば、いきなり理不尽な「非日常」へと投げ込まれたのだ。今、何が起きているのかも分からなければ、これからどうなるかもわからない。だと言うのに彼女は───
「夕星は……貴方は大丈夫なのよね?」
彼女はこの状況で他の誰でもない夕星のことをずっと案じていたのだ。
「ヒバチ……」
「待って、答えなくていいから! 大丈夫なわけがないもんね……けど安心して。私も一緒に打開策を考えてあげるから!」
小刻みな震えを誤魔化すように、彼女は強がってみせる。
お人好しで生真面目で、それでいて強がりな幼馴染はこんな場面でさえも健在だった。
「ごめん、いつも余計な心配かけてばっかりで……けど今は本当に、いろんなことを説明してる余裕がないんだ」
夕星はキツく締めたネクタイをいつものように緩める。そして、ピンを外すし、それを陽真里に握らせた。
これ以上、彼女を「非日常」の側に立たせたくはなかった。彼女には、いつものように何も変わらない「日常」を過ごして欲しいと思うからこそ、静かに決心を定めたのだ。
「それにあの魔女は俺たちを素直に逃がしてくれるほど甘いヤツじゃない。────だから、コイツを持って逃げてくれ。コイツに仕込んだGPSがあれば、俺の仲間がお前を保護してくれるはずだから」
二人が咄嗟に逃げ込んだのは廃墟と化したビル内だった。無関係な人間を巻き込まないよう、人目に付かないルートを選択した結果だ。
だが、それを嘲るように背後では足音が反響する。
魔女はすぐ後ろまで迫ってるのだ。
「これって……さっき先生に手放すなって言われてた奴じゃ⁉」
「貴重品なんだから、予備くらい持たされてるに決まってんだろ」
勿論、嘘だ。いつも簡単にバレてしまうから、彼女に嘘を吐くのは苦手な筈だったというのに。夕星の口元は自分でも驚くほどスラスラと嘘の言葉を紡いでみせた。
「けど、夕星……」
彼女は明らかに逡巡しているようだった。だから、その肩を弾き、力任せに突き放す。
「頼む、ヒバチ。今だけでいいから、俺の願いを聞いてくれ」
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