EP12 境界線を踏み越えて
現実改変能力という特別な力を使いこなす自信がないのも、十悟(じゅうご)を巻き込んでしまったという事実も変わることはない。
ただ、自分と、自分の願いから生まれた〈エクステンド〉にも出来ることがあるのなら────それと全力で向き合いたいというのが夕星(ゆうせい)の出した結論であった。
「よしっ!」
鏡の前で普段は緩めっぱなしのネクタイを締めなおし、「ARAs(エリアズ)」の文字が刻まれたピンを止めながらに自覚した。今から自分は「非日常」の側に立つエゴシーター神室(かむろ)夕星であると。
◇◇◇
ARAsの基地内は広大だ。地下空間にアリの巣上に広がる施設は、工作員たちの居住スペースから売店に、果ては娯楽用のダンスホールまで揃っていて、全部を見て回るだけでも一苦労である。
「……というか、完全に迷っちまったなぁ……」
支給品の確認を終えたならブリーフィング室に来るよう未那月(みなつき)に言われていたのだが、前にも後ろにもあるのは一本の通路だけ。
「こんなことなら、事前に基地の見取り図でも貰っとけばよかったんだ」
そんなことを呟きながら通路を進めば、厳重な鋼扉に突き当たった。
「エンジニアスタッフ以外危険立ち入り禁止」と張り紙をされた扉は、ここが目的地ではないことを暗に教えてくれている。だが、虎穴に入らずばなんとやらだ。仮に叱られることになってもてでも、スタッフに道を教えてもらおう。
「ええい! ビビったら負けなんだよ!」
思い鋼扉を押し開けて、夕星はその先へ飛び込んだ。
どうやらここは整備区画のようで。機材の行き交う騒音と、機械油の匂いが感覚を刺す。
そして、夕星の眼前にはハンガーへ固定される〈エクステンド〉の巨体があった。
整備のために各部の装甲を取り外され、内部骨格だけになった姿からは寒々しい印象を受けてしまう。さらに壊れた右腕部をエゴシエーター能力で無理やり補強し動かしたのが不味かったのだろう。〈エクステンド〉の右肩から先は取り外され、オーバーホールが始まる直前であった。
「まじか……」
巨大ロボットの整備に立ち会える機会なんて滅多にない。以前までのミーハーオタクの夕星ならば目をキラキラと輝かせていただろう。
ただ、今の夕星は少し違う。
「よし……少し、試してみるか!」
〈エクステンド〉の破損は全て、機体に搭乗していた自分の力不足が原因だ。ならば「元通りに直れ」と願いを込めてみた。
だが、その願いが破損した右腕に届くこともなければ、〈エクステンド〉が反応する様子もない。周辺の何かが砂塵に変わる気配もないままに、翡翠色のカメラアイは沈黙を貫き通す。
「やっぱりダメみたいだな……けど、それなら」
今度はポケットに手を突っ込んで、ハンカチの包みを取り出した。そして、両端を掴みながら「甘いものが食べたい」と願いを込める。
「これならどうだ」
ハンカチは端からサラサラとした砂塵に分解され、小さな球体を創り始めた。透き通るような色をしたそれは一粒のキャンディーだ。
この程度の能力行使であれば現実固定(メルマー)値の変動もごく僅かで、特に世界云々がという問題にもならないらしい。床に落ちる直前でキャンディーをキャッチした夕星はそれを口の中に放り込んだ。
「うげっ……俺、イチゴ味嫌いなんだけどな……」
口に広がるのは苺の甘ったるさだ。やはり、現実に干渉するのも一朝一夕にはいかないらしい。
未那月からはARAsに加入するにあたって様々な物品を支給された。小型通信機&GPS付き多機能ネクタイピンに、歯車状に変化した瞳を隠すための特殊コンタクト。そして何より重要だったのが、エゴシーター能力にまつわる調査資料だ。
資料には「フェイズⅢに覚醒したエゴシエーターは、メルマー値に干渉することで願いを叶えることができる。けれども、願いが叶うのはあくまでも〝結果〟であって、その結果に至るまでの〝過程〟は各エゴシエーターによって異なる」という旨の記載があった。
つまりだ。夕星の能力であれば、「物質Aを一度砂塵へと分解し、物質Bに再構築する」という過程を経て、願いが叶うという〝結果〟へ辿り着くのである。
ただ、そこにも幾つかの制約もあるようで。
「質量の小さいものから大きいものを作るのは無理なんだよな」
例えば、さっきのハンカチを握ったまま「〈エクステンド〉がもう一機欲しい」と願ったとしても、〈エクステンド〉に創られるわけじゃない。二五メートルを超える巨体を形作るには、それこそ基地の一画をまるごと砂に変える過程が不可欠なのだ。
さらに厄介なことに、この能力では同じ物質を複数回に亘って分解の対象にすることもできないらしい。
「えっと……俺は一度、『陽真里を守る力が欲しい』と願って、壊れた〈エクステンド〉を、動く状態の〈エクステンド〉に作り直したんだから」
だから、さっきみたく「直れ」と願ったとしても、現実が歪むこともないのだ。
他にも〈エクステンド〉を起点として、半径一〇メートル以内でなくては能力が発動できなかったり、能力の酷使には体力を消耗したりと、課せられたルールはかなり多いように思えた。
けれど、現実を歪める能力としては妥当なデメリットの範疇。寧ろ緩すぎる制約に思える。
「つまりは俺の工夫と、願い方次第なんだよな」
そこまで考えて、夕星はひとまず覚醒したエゴシエーターの力を前向きに捉えることにした。
それに驚くべきは、自分がベットで意識を失っている短期間でここまで能力を分析し、資料にまとめてくれたARAMsスタッフ達の手腕だ。正式名称の「対現実改変機構」は伊達ではないらしい。
そんな夕星の鼓膜に、よく聞き慣れた声が響く。
『ふーん……私を待たせた挙句、立ち入り禁止区画で油を売っているだなんて。いい度胸してるじゃない』
それは紛れもない、怒っているときの藤森(ふじもり)陽真里のものであった。
「ひ、ヒバチ⁉ な、なんでお前がこんな所に⁉」
背筋をなぞるような悪寒に慌てて振り返る夕星であったが、そこに生真面目な幼馴染の姿はない。代わりにあったのはこちらに向けられた拡声器と、腰から大太刀を吊り下げる未那月のニヤケ面だ。
「ふふん。見事に騙されてくれたね♪」
「なっ……⁉」
ずっと待たされていた彼女はついに痺れを切らして、夕星を迎いに来たのだろう。
この悪戯を思いついたのも突発的なのだろうが、それが妙にツボに気に入ったらしい。
『やーん、夕星のえっちー』『私ね、ずっと夕星のことがー』と、ブリーフィング室までの道順を案内される最中も彼女はずっと陽真理の声マネで弄ってくるのだった。
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