第22話 ネルの狂気

 もう見慣れた古臭い教会。


 最初と変わった所と言えば、生き物の気配すらしなかった教会には、多くの人が訪れていることだけ。


 根本的には今も変わらず、聖教会に見つかってしまえば有無を言わさず潰されるはずの邪教の教会だ。



 俺はそんな教会を歩きながら、どうせ奥の方で眠っているネルの方へ歩く。


「少しいいか? ネル?」


 案の定、教会の奥の椅子で眠っていたネルの肩を軽く揺らす。


「ふにゃ……? 使徒様……?」


 ふやけた寝言と共に、ネルが目を覚ます。


「突然で悪いけど、俺は王都に行くことにしたんだ。一応、伝えておこうと思って」


 俺は眠そうなネルを見つめながら、そう言った。


「え”!? 王都に行くんですか!? どうしてですか!? 私と離れ離れになっちゃうじゃないですか!?」


 すると、ネルは急に目を大きくかっ開いて、そう叫んだ。


 周りの信者達の視線が俺とネルに集まり、辺りに微妙な雰囲気が流れる。


「い、いや、別に離れ離れになるのは問題じゃないだろ……」


「あ、確かにそうですね。別に問題なかったです」


 俺の言葉を聞いた途端、ポンっと手を叩き納得するネル。


 やっぱり、ネルと話しているとリズムを狂わせられる。


 何を考えているか分からないし、何をしでかすか分からない。


 まぁ、それは最近のリヴィアも同じことなんだけど……。


 俺は目の前のネルを見つめながら、改めてそんなことを思った。


「まぁ、そう言うことだから……」


 俺はそう大事なことだけを伝えて、ネルの元を去ろうとする。


「ま、待ってください! 最後に! 最後に会わせて下さい!」


 すると、そんな俺の裾を引っ張り、ネルは俺を引き止めた。


「会わせて下さい……? 誰に……?」


「そんなの決まってますよ! リヴィア様ですよ! リヴィア様に会わせて下さいよ!」


 ネルの口から飛び出してきた名前は、意外なものだった。


 リヴィア? リヴィアって、あのリヴィアだよな?


 リヴィアの話をネルに何度かしたことはあるけど、別に会いたいと思わせるほどの話はしてないはずだ。


 どうして、リヴィアに会うのをそんなに望んでいるんだ……?


「……まぁ、分かったよ」


 俺は違和感を感じつつも、ネルの要望を飲み込んだ。





 *********





「これがリヴィア様の住んでおられる建物ですか? 警備はつけてるんですか? 結界は? せめて隠蔽魔法は使ってますよね?」


 山奥にある家までネルを案内すると、ネルは心配そうな表情で周りをキョロキョロし始める。


「いや、そんな過保護に守らなくても別に良いだろ……」


「そ、そんなって! リヴィア様は世界で最も尊い存在なんですよ!? 何かあったらと思うと……耐えられません!」


 ネルはソワソワと落ち着かない様子だった。


 うーん、ネルはリヴィアをどうしてそんなに大切に思っているのだろうか。


 ネルとリヴィアは会ったこともないはずだし……。


 俺は疑問に思いつつも、山小屋の扉を開ける。


「あ、おかえりなさい! 今日は早かったですね!」


 扉を開けると、すぐ目の前には当たり前かのようにリヴィアが立っていた。


 もう数ヶ月もリヴィアと過ごすうちに、そんな違和感も消えてしまった。


 しかし、普通に考えてみれば少しおかしいよな……。


「リヴィア。今日はちょっとお客さんが来てて……」


 俺はそんなことを思いつつも、後ろにいるネルをリヴィアに見せた。


「はぁはぁ……り、リヴィア様……なんと美しい……」


 ネルは興奮したように息を荒くしながら、リヴィアに触ろうと手を伸ばす。


「ひっ! な、なんですか!? キースさん! この人、怖いです!」


 すると、そんなネルを見て、リヴィアはあからさまに拒絶反応を示してしまう。


「そ、そんなっ! 私はリヴィア様の為だけに!!」


 俺の背を盾にして隠れてしまったリヴィアを見て、ネルは絶望の表情を浮かべる。


「あ、ああああああ……リヴィア……様ぁ……」


 そして、ネルはその場で膝から崩れ落ちてしまった。


 うっ……なんかちょっと可哀想になってきた。


 こんな狂ってるシスターでも、見た目はリヴィアと同じくらいの幼い少女だ。


 まぁ中身はちょっとおかしいけど……。


「リヴィア……? この人が可哀想だから握手くらいは……」


「い、いやです! この人は生理的に受け付けません!」


 ネルに情けをかけて俺がそう言うと、リヴィアの口からは想像を超える拒絶の言葉が飛び出てしまった。


「り、リヴィア様……私は……私は生きる価値のないゴミってことですね……?」


 ネルはその言葉に大ダメージを負い、その場で大粒の涙を零してしまう。


 こ、これは……ネルが流石に可哀想な気がする。


 いくら狂った頭のおかしい狂信者だからって、こんな仕打ちは……。


「ふふっ! やはり! それでこそリヴィア様! 懐かしい感覚がします!! 既に嫌われていて安心しました!」


 すると、ネルは涙を垂れ流したまま、恍惚とした表情でリヴィアを見つめそう言った。


「え……? ね、ネル……? 大丈夫か?」


 俺はあまりのショックでおかしくなってしまったネルに、言葉をかけた。


「大丈夫です。私はとても満足しました。リヴィア様に会わせてくれて、ありがとうございます。使徒様」


 ネルは涙を未だ垂れ流したまま、満面の笑みでそう答えた。


 え……? これで良いのか……?


「え? ま、まぁ……ネルがそう言うなら良かったんだけど……」


 俺は困惑しつつも、小さく頷いた。


「リヴィア様と使徒様は、王都に行かれるんでしたよね? 王都には女神教の支部があります。そこに行けば、いろいろ手助けをしてくれると思います」


 すると、満足しきった顔のネルが急に有益な情報を喋り始めた。


「ふふっ、では……」


 まるで賢者のような表情で、ネルは踵を返し、帰ろうと歩き始めた。


「お、おい。本当にもう良いのか? もっとリヴィアと話しても……」


「……私はリヴィア様に会えたただけでも幸せです」


 ネルは俺の方に振り返り、そう言った。


 ネルの改まった態度に少し困惑しながらも、俺はネルの小さくなっていく背中を見送った。


「生理的には無理ですけど……悪い人ではないのかもしれませんね……」


 ずっと俺の背に隠れていたリヴィアが、ネルの方を覗き込みながらそう言った。


「そ、そうか……?」


 俺はリヴィアの言葉に首を傾げざるをえなかった。

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