正義のクズ (旧リアルライフヒーロー(仮))

@nanashi9601

12月19日~2月1日

 現在、介護のクズの作者nanashi9601こと、河ヰ弌緒かわいかずおと音信不通になっていますので、経緯をご説明します。


 まず、これを書いているのは誰なのか?

 便宜上、御鍵小夜みかぎさよと名乗っておきます。


 昨年の12月19日に酒席の誘いのラインを送信して、友人が働いている居酒屋が裏路地の入り組んだ場所にあったので、21日19時に居酒屋近くのコンビニで待ち合わせの約束をしました。

彼は、約束の時間を過ぎても来ませんでした。最初は遅れてるのかなくらいに思い『こっちは着いてます』とラインしましたが未読のまま、十五分が経過。

 寒空の下、灰皿の前で震えながら電話をかけましたが、呼び出し音が鳴るばかりでした。空っ風が身体の芯まで冷やし、予約の時間も迫っていたので居酒屋に行ってみました。

居酒屋で友人に聞くも、それらしい人物は来ていない、とのこと。再度、ラインを確認しても未読のままでした。

 わたしが知る限り、先輩はマメな性格でラインもすぐに返信するし、人との約束を無断で破るような人間ではありません。

 友人には申し訳ないけど予約をキャンセルすると、年末の繁忙期ということでキャンセル料を支払い店を出ました。

ビルに反響して歪み、尾を引いて聞こえるパトカーや救急車のサイレンが、不穏な妄想を掻き立て、払拭するために電話をかけました。永遠とも思える時間、呼び出し音がするだけ。

 仕事終わりらしいスーツの集団が、どこかで喧嘩をしていたと物騒なことを言いながら横を通り過ぎて居酒屋に入っていった。


『先輩、どうしたんですか? 

 帰りますね。

 キャンセル料、あとで下さいね(╬▔皿▔)╯』


 ラインの画面に、一方的にわたしの文章だけが書き足されていく。

 彼の気分を害するような文章でも送ったのだろうか。ネガティブなスイッチを押すような言葉を書いただろうか。

 一番上までスクロールして、やり取りを見ていく。特に、これといって不穏に受け取れる言葉はない。少々、失礼な発言はあるが、お互いに冗談と断定できるものばかりだ。

 自分を見捨てたことに対する意趣返しではないか。

 さすがに性格悪すぎ。底冷えのする寒さに、心まで荒んできた。まったく、気が滅入る。

 また、どこからかサイレンの音がした。

 彼の寂しそうな横顔が浮かぶ。

白いシャツにコーヒーを溢したみたいに、拭おうとすればするほど、不安は厭な妄想に形を変え、染みになって心の隅にこびり付いた。



1月28日。

仕事と結婚式の準備に忙殺され、夜勤が唯一の休息時間になっていた。起床介助までの時間、煙草をくゆらせながらスマホを見ると、一件の通知に息を呑む。


『結婚おめでとう。フゥゥゥゥゥゥゥ!!o(*////▽////*)q

 中島と幸せにな。

 あと、覚えていてくれて嬉しかった。

 さよなら』


 別れの挨拶のようだった。こっちはまだ、キャンセル料ももらってない。

 電話をかけても、無機質な呼び出し音が連続する。


『どうしたんですか?

 先輩、大丈夫ですか?』


 ラインの返事を待つまでもなく、起床介助の時間になった。

 


 築五年の2LDKのアパートは、二人暮らしにはちょうどよく、家賃も田舎なりにお手頃だった。旦那(言い慣れてないせいか、ムズムズする)は、今日が夜勤入りなので自室でまだ寝ていた。

シャワーを浴び、ベッドに横になるが、寝付けない。身体は疲れているが、脳は覚醒している。何度か寝返りを打つと、コートラックにかけた色気のないチェストバッグから一枚の紙がはみ出していた。あの日、渡しそびれた結婚式の招待状。参列予定の人物には、すべて発送が終わっていたが、先輩に渡す分だけ残っていた。住所がわからなかったから、直接渡そうと思っていた。

住所さえわかれば、……あっ、行ったことあるじゃん。

思いついたらいても立ってもいられず、手早く着替えると、家を駆け出した。



土佐市は、わたしの自宅から三十分ほどの距離にあった。

ナビに従い、東から県道23号線を走ると、左手には太陽に輝く海が見渡せた。大きな鯨の親子の模型があり、その脇にしおかぜ公園に降りる坂道があった。数年前、飲み会の帰りに、ここで少し話したことがあった。話した内容は覚えていない。

 眼下には、日曜日とあって午前中にも関わらず、親子連れやカップルの姿があった。駐車場では、自前らしい傾斜のついた板やコーンを置いて、スケボーをしている若者の姿があった。

 右手に山があり、沿うように道路は大きくカーブしていた。そこを過ぎると、県道の脇に下道に降りる坂が見えた。右折の指示器を出して下ると、車一台分程度の幅しかなかった。

 また右折。辺りは、農家のハウスや田んぼの一本道。突き当りまで直進する。やがて、四方を山に囲まれた公営団地が見えてきた。団地の向かいに倉庫があった。その裏には、駐輪場と駐車場があり、住民たちの所有する車両で埋まっていた。

あのときは気付かなかったが、団地の敷地の入口に鉄製のゴミ箱があり、後ろには山沿いに登り坂があり、切り開かれた懐にはたくさんの墓石が並んでいた。まさに、墓地を見下ろす家だ。

ハスラーを坂の入口に停車する。チェストバッグを袈裟懸けに、外に出る。

少なく見積もっても築四十年は経っているだろう団地は地上四階建て、白い外壁は、長年の風雨による汚れが肝斑かんぱんのように浮き出ていた。

 しわがれた甲高い女性の声が聞こえる。団地の前に行くと、倉庫前で二人の高齢の女性と目があった。突然の闖入者に、話し声は止み、値踏みする視線を向けられた。

「こんにちは」

ビジネススマイルを貼りつける。

「こんにちは」

 表面上は好意的な反応だが、目が笑っていない。

この女は誰だ? どの家庭に用がある? 

好奇の視線を躱して、三ヵ所ある入り口の右端に入る。たしか、彼はここから入っていた。

アルミ製の郵便ポストが二×四で並んでいた。防犯意識は皆無で、誰でも簡単に開けられてしまう。人心で鍵をかける時代は終わっている。ポストの天井は土埃がべったりと付着して、二匹のカメムシの死骸が放置されていた。山に囲まれているせいか、この時期にも虫には事欠かないらしい。


 『7号 河ヰ』

 名札のないポストもある中、ご丁寧に書いてくれていたのはありがたい。

 日が差さない階段は暗く、手摺は元の色が判別できないほど錆び付いていた。玄関前に盆栽や、猫除けのペットボトルが置かれていた。

 白い壁は塗装が落ち、血糊ちのりのような錆がべったりと壁や床に尾を引いていた。

四階に至る階段の踊り場の隅に種類のわからない蛾の死骸が放置されていて、いずれも陰鬱な気分になる。誰も処理しないのだろうか。

7の標識がある扉の前に立った。手摺同様、錆び付いて、褐色に染まった扉は老人の皮膚を思わせた。扉の横、胸のあたりの位置にインターホンがあった。どうやら、後付けされたものらしく、配線が扉の角に消えていた。

 扉の横には、足場が二点固定された壁付けの梯子があり、天井にはマンホールを下から見上げたような丸い穴が蓋で閉じられていた。不要な侵入を避けるためか、蓋と足場を鎖で繋ぎ、四桁のダイヤル式南京錠で施錠され、余った鎖が垂れさがっていた。

 先輩は父親と二人暮らしだと聞いていた。在宅していてほしい。

 深呼吸をして扉をノックする。反応はない。

 インターホンを押してみる。中からドタドタと足音がする。

 扉が開くと、父親だろう坊主頭の老人が顔を出した。恰幅が良く、上下に黒いジャージを着ていた。

「はじめまして」

 頭を下げると、音量調節が壊れたラジオみたいにけたたましい笑い声をあげ、同じく頭を下げた。

「あの、弌緒さんはいますか?」

 困ったような表情をする。

 インターホンで思い出した。手話で自己紹介をする。

「はじめまして。以前、職場でお世話になった御鍵と申します。河ヰさんはいらっしゃいますか?」

 老人は驚いた様子で、

「あんた、手話できるの?」

「学校で習いました」

「そうか、そうか」

 納得すると、またひと際大きい笑い声が階段に反響する。多分、自分の声量がわかっていないのだろう。

「あの、弌緒さんは?」

「あぁ、今は、いない。仕事だってどっかに行った」

「仕事に行かれたのは、いつ頃ですか?」

「三日くらい前かな」

 表情豊かに思い出している様子に、認知症とは無縁のようだ。

「職場はどちらですか?」

「わからん」

「心配じゃないんですか?」

困ったような表情をする。

「心配? 大丈夫。前にもあった。一年くらいして戻ってきた。今度も、きっとそう」

 先輩の親子関係は、かなりドライなのだろう。

「そうですか。河ヰさんに貸してた物を返して欲しかったんですけど。部屋に上がってもいいですか?」

「いや、どうだろう。勝手なことすると、あいつ、怒るから」

「わたしが先輩に、あとで連絡しますから」

「そっか。うん、どうぞ」

咄嗟についた嘘を信じてくれた。まったく警戒心のない父親は、笑顔で招き入れてくれた。

 玄関には靴が整理されていた。クロックス、革靴、スニーカー。先輩が履いていたものだろう。靴を脱ごうとしたとき、目の前の引き戸が開いたままになっていた。引き出しタイプの収納ボックスがあり、奥にも同じタイプのものがあった。そこに手に乗るサイズの人形が座っていた。西洋の女の子の人形でフリルの付いたワンピースに麦わら帽子をかぶっていた。愛らしい見た目とは裏腹に、薄っぺらい微笑みが気味悪かった。男二人の住まいに、なぜこんな物があるのか不思議だった。

「恥ずかしい」

 父親は口元を手で隠して、引き戸を閉めた。右手にある開き戸を指した。

「なんかわからんけど、好きに見て」

 そう言うと、廊下の奥の部屋に消えた。

 扉を開けるとカビ臭く、六畳一間は、畳敷きの和室だった。遮光カーテンが閉まっていて、暗かった。明かりを求めて、カーテンを引こうと進むと、足の裏にグリっと異物感があった。とりあえずカーテンを両側に引く。日当たりは最悪だが、まだマシだった。窓ガラスには温度差から水滴が付着していた。脇には窓用エアコンが設置されていて、埃やカビがこびり付いていた。足元を見ると、タコ足コンセントや配線が乱雑に置かれていて、踏んでしまっていた。配線はルーターに繋がっていた。

 窓際に一人掛けの回転式のソファと脛くらいの高さの脚の低い木製のテーブルがあり、カーテンはテーブルの上で長い裾をだらしなく垂らしていた。一台のノートパソコンと小さなカメラがあった。キーボードに、ノートが置かれていた。

 テーブルの下には、ティッシュボックスがあった。他意はないが、これだけは触らないでおこうと思う。後ろを振り返ると、襖があったであろうレールには何もなく、二段になった押し入れの中身が丸見えになっていた。下段には布団とコピー機があり、上段にはヘッドフォンや文房具、ノート、鞄が雑にごちゃ混ぜになっていた。味気ない無機質な部屋。

 どこにも財布やスマホがないことから、わたしの考えすぎでお父さんの言う通り、本当にただ県外に出稼ぎにでも行っているのだろうか。

 ノートを手に取ると、表紙には手書きで『リアルライフヒーロー(仮)』とあった。直訳すると、実在するヒーローだろうか。パラパラと捲ると、折り目がついていたのか最後の方のページが開く。

『俺を殺してくれ』

 赤いマジックペンで殴り書きされた文字は、間違いなく先輩の文字だった。不穏な言葉に、警察の二文字が浮かぶ。しかし、父親に仕事だと言っているから、失踪届を仮に提出しても受理はされないだろう。

 最初のページに戻る。


『12月11日

介護のクズを書き終えた。マジで疲れた。しんどい。ここまで熱を持って書いたことはない。こんなに辛い思いをして書いたこともない。誰の役にも立たない作品に何の意味がある。過去を振り返ると、鬼畜の所業に嫌気がさしてくる。醜態を晒してでも、自分が生きてきた痕跡を刻みつけたかった。

武田君や東山は元気にしてるだろうか。彼らの子供は、今は高校生くらいになってるはずだ。俺も年を取った。坂口は無事に結婚したんだろうか。柳さんは、最後に会ったときに、妊活の末に子供ができたと聞いた。

みんな、どうしてるだろう。

池田は、幸せだろうか』


 まとまりのないただの日記だった。

 そもそも、介護のクズとは? 

文章を書き上げたということは、ファイルが残っている。パソコンを起動しようと電源ボタンを押す指が止まる。あくまでも他意はないが、素手で触るのに抵抗がある。ショルダーバックからウェットティッシュを二枚取って、本体とマウスを拭き、ティッシュ越しに電源ボタンを押して、マウスにかぶせた。

 すぐに起動したパソコンのホーム画面は、初期化したのかと思うほど何もなかった。ファイルをクリックして、文章ファイルを探すが見つからなかった。代わりにかなりの数の動画ファイルがあった。カメラで撮影したものを取り込んだのだろうか。

 自分で書いたものを消去したとは考えにくかった。日記にもあるように、そんな熱量を持って書いたものなら、どこかに残しているはずだ。

 わたしはインターネットブラウザを立ち上げる。幸いにも、ネットに繋がっている。グーグルの検索窓に『介護のクズ』と入力してみる。

『介護職員はクズばかり』

『介護職はブラック』

『介護職は底辺』

 耳に痛い検索結果だった。

 画面をスクロールさせると、あるサイトに目が留まった。

『カクヨム 介護のクズ』

 そこだけクリックされたことがあるのか赤く表示されていた。

 ページを開いてみると、介護のクズと太文字で表示されていた。タイトルの下に、@nanashi9601と作者名があった。右には、章ごとの一覧が表示されていた。

 少し調べてみると、角川書店が運営する無料の小説投稿サイトで、新人発掘の意味合いも含まれていて書籍化された作品もあるようだ。

 作者名をクリックすると、他にも『誕生日』というタイトルの作品があった。こちらは一話完結でジャンルはホラー。昨年の七月に投稿されていた。

 介護のクズは、その三ヵ月後、十月から連載開始して十二月十一日に完結していた。

最終話をアップしてから、日記を書いたのだろう。

 十四万文字とあるが、四百字詰め原稿用紙で三百五十枚分。小説一冊分の分量があった。先輩の足跡をたどるためにも、介護のクズを読まないといけない気がする。

 押し入れの鞄にノートパソコンとノート、カメラを入れる。

「先輩、借りていきますね」

 窓を叩いて隙間風が唸りをあげ部屋の中を疾走する。部屋の扉が勢いよく開き、お父さんが閉めた部屋の扉にぶつかって派手な音を立てた。

 あれ? 部屋の扉って、閉めたっけ?

 今さっきのことなのに、覚えていない。

 寒風に身震いして部屋を出て、開き戸を閉める。左から視線を感じる。明確に誰かがいる気配はないけど、こめかみにくすぐったい感触がある。

 顔を巡らせると、隣の部屋の引き戸が身体を横にしたら通り抜けられるくらいに開いていた。

 お父さんが、さっき閉めてなかったっけ。

 自分の記憶が定かではない。そっと覗いてみると、あの人形と目が合った。人形には口がなく無表情だった。

 さっき、微笑んでいるように思ったけど。口もないのに、どうしてだろう。

 現在、自身が直面している問題と関連付けてしまう。

 首筋にふぅっと息を吹きかけられた気がした。思わず首を竦めて振り返る。誰もいない。風もない。肌が粟立ち首を手でさする。

 台所の隣の部屋で、お父さんはテーブルに腰掛け、音のしないテレビを見ていた。肩を軽く叩いて、辞去した。

 

倉庫前にはまだ二人の高齢の女性がいた。瞬時に笑顔を作る。

「あんた、河ヰ君の家から出てきたけど、なんかあったが?」

「いえ、別に。どうしてです?」

「こないだ、すれ違ったから、挨拶したら、怖い顔して父を頼みますって。それだけ言うて、行ってしもうたけど。弌緒君をこんまい(小さい)頃から知っちゅうけど、人当たりのいい子じゃなかったけど、あんな顔初めてで、おばちゃん、ちょっと怖かった」

シルバーカーを後ろ向きにして座っていた隣のご婦人に「ねぇ」と同意を求めていた。

「なんかあったがやろうかねって話しよったら、あんたが河ヰ君の家に入っていくのが見えたから。お父さん一人にして……」

「先輩、しばらく仕事で遠くに行くんで、わたしがお父さんの様子をみるように頼まれたんですよ」

適当な嘘に納得したのか、大仰なリアクションだった。

「では、急ぎますので」

 そういって足早に立ち去った。

 自分で言ってから、それもいいかもしれないと思った。

 先輩の父親は終戦生まれだと、以前聞かされたことがある。今年で、七九歳。後期高齢者の独居暮らし。四階まで上がれる身体能力は、単純にすごい。あの様子だと、買い物も自分で行っているのだろう。

 ハスラーの後部座席に鞄を置くと、助手席にショルダーバックを放った。蓋が開きっぱなしになっていたのか、渡しそびれた結婚式の招待状が顔を出した。

 先輩、どこにいるんです? 

 煙草に火を点ける。問いかけは紫煙とともに消え、ハスラーを発進させた。



 作品を読み終えた頃には、あたりは暗くなっていた。煙草休憩と旦那の夕食の準備をして、そこそこ時間がかかった。旦那は隣で、テレビを見ながら夕食を摂っていた。

介護のクズは、河ヰ弌緒の介護の体験記だった。

 この作品は事実に基いて書かれていますが、実在の人物・施設とは一切関係ありません。そう明記するべきだろう。

 登場人物や施設名はすべて仮名ではあるが、わたしが知る範囲でもモデルになった人物が数人頭に浮かんだ。

 カッコつけてんなぁ。

それが第一印象だった。まず、先輩の一人称は『俺』と常日頃言っていた。間違っても、『私』だなんて言わない。

 彼はこの作品を一気呵成に書き、そのままアップしたのだろう。『不安』で誤字をhekiseiさんに指摘されている。また、ルビの振り方もわかってなかったのか、そのまま出している。

 ダサいのが、逆に先輩らしかった。

 『おわりに』で蜂谷さんに、よく覚えているとコメントされていた。とても詳細に記載されていたが、登場人物が多すぎて混乱するし、読ませる気がない。多分、この頃には、書くのが辛かったのだろう。

 『煉獄』に出てきた御鍵小夜は、わたしをモデルにしている、と思う。自分で言ってて恥ずかしいけど。もちろん、本名は違う。珍しい苗字であることに変わりはないけど、御鍵なんて苗字はどこから出てきたのか。

 しおかぜ公園で話した内容を読んでいて、あの日のことを思い出した。

彼が春月荘を退職してから二年弱。施設で名前が話のネタに上がることはない。

 当時、話しかけることすらもためらわれる殺伐とした空気を放ち、口を開けば憎悪の言葉に、聞かされるこちらの体力と精神が削り取られる。完璧主義ゆえに、自縄自縛に陥り、そして自滅した。

 この二年―先輩を見捨てたことが、心残りだった。毎日、精神を擦り減らす人間に、どんな言葉をかけても無力だと知った。根気強く話をすれば、いつかわかってくれるかもしれない。まだ入社したばかりで、主任から少し褒められ慢心していた。甘えだと知った。上滑りした言葉は、利用者にも届かない。

「先輩は、介護をやっちゃいけない人だと思います」

 突き放されたように感じたのかもしれない。ただ、黙って同調することはできない。

 彼の罪の告白には言葉もない。介護士による虐待。そこまで追い詰められていた。懸念はしていたが、まさか本当にしているとは思わなかった。

 彼を追い詰めた一端は、わたしにもある。彼の怨言を聞いていたのに、都合の悪いことは見ないふりをした。やがて、毒気にあてられ、話を聞くことが苦痛になった。

 煎じ詰めれば、結局、どうしようもない。

 先輩も、わたしも、どうしようもなかった。

 どうして、ここまで執着するのか。多分、謝りたいのかもしれない。ただの、自己満足。

 気になるのは、この一文。

『私は、おもいきって新しいことにチャレンジしてみようと考えている。取材対象者に会えるかもわからないけど』

 仮題のリアルライフヒーローと関係のある人物なのだろうか。連絡先は知らずに、突撃取材でもするつもりなのか。取材していく過程でなにがしかの事件に巻き込まれたのだろうか。

 気になる点は、もう一つあった。『おわりに』に投稿されたコメント。


 @onakasuitane 2023年12月31日 17:06


 完結おめでとうございます。

 

 あの時、読んでみてって連絡くださってありがとうございました。

 演奏会もありがとうございました。


 今度、飲み行きましょうね。

 感想はぜひその時に。


 オナカスイタネさんは、明らかにリアルの先輩を知っている。

 演奏会の件に触れていることから、『おわりに』で出てきたカラオケの後輩かもしれない。

 それにしても、オナカスイタネさんには読んでみてって、自分から誘っている。わたしには、一言もないことに寂しさを感じた。

 介護を知らない人に読んでもらって感想が欲しかったのか。それとも登場人物の一人には、読ませられないか。

 先輩の情報として十二月時点では、パチンコ店で働いていた。父親にも嘘をついているくらいだから、今も働いているとは思えない。個人的なやり取りがあった分、彼女は何か知っているかもしれない。

 どうにかして、彼女とコンタクトが取れないだろうか。

 『おわりに』をもう一度読んでみる。

 彼女は、大学生で、吹奏楽団に所属している。

 カラオケで大学生が働いてそうな立地条件は二軒ある。先輩の家から近い、土佐道路の方が正解だろう。

 時計を見ると午後九時だった。大学生がバイトするには、ちょうどいい時間だ。一か八か行ってみるか。

「ちょっと、出てくる」

 旦那の返事を待たずに、上着を羽織って、玄関を出た。

 

 

 カラオケB朝倉店は、昔は別の名前で営業していたがいつの間にか買収されていた。駐車場には数台の車が駐まっていた。

 店の前に駐輪場があるが、自転車が置ききれずはみ出していて、空いてるスペースがあれば置くといったありさまだった。

 自転車の横には、重そうな鉄扉があるが、自転車が多くて開けれそうもない。

 店名のロゴが入ったガラス張りの両開き戸を手で押し開けた。

「いらっしゃいませ」

 小さな中学生くらいの女の子がフロントに立っていた。

「こちらで、受付をお願いします」

 差し出されたのはタブレットだった。カラオケに来るのは久しぶりだけど、知らぬ間に自動受付が採用されていた。すべての項目を入力すると、近くの機械から紙を取って戻ってきた。

「お時間は二時間、ドリンクバー付きでよろしいですか?」

 そう聞きながら、画面に入力していた。

「はい」

「アプリかラインでのご登録はございますか?」

 ラミネートされた説明書を提示する。

「いえ、ないです」

「ラインよりもアプリにご登録頂きますと、こちらの割引が適用されまして。お帰りの際でも大丈夫ですけど」

「あっ、じゃあ、そうします」

「28番のお部屋でございます。通路、右手側にございますので、ごゆっくりどうぞ」

 そう言って赤い手帳を渡された。

愛嬌のある笑顔がかわいい。この時間に働いているということは、大学生なのだろう。自分も年を取った。若い娘の年齢がわからない。

 フロント前にあるドリンクバーでブラックコーヒーをコップに入れて、右側通路を歩いていく。どこからか、大勢の騒ぐ声が漏れ聞こえてくる。

 左手にガラス張りの喫煙所があり、その向こうに中央通路があった。さらに奥に歩くと突き当り手前に28と表記された部屋があった。

 部屋の扉を開けると、縦長の部屋で、右側の壁伝いにL字型に黒革のソファが奥に続いていた。奥には、50インチ程度のモニターが棚の上にあった。その両脇には、充電器にささった紅白二本のマイクとデンモクが二個あり、棚の下段にはDAM本体とマイク受信機などの機械が設置されていた。

 チェストバッグと上着をソファに置いて、喫煙所で一服する。ガラス越しに、忙しそうに行き来する従業員や、大学生くらいの若者がはしゃぐ姿が見えた。

部屋に戻ると、メニュー表を取り出す。壁に備え付けられた電話で、フライドポテトを注文する。五分ほどで扉がノックされた。

「失礼します」

 入ってきたのは、あの受付にいた女の子だった。

「フライドポテトです」

 片膝を付き、フライドポテトとディップのケチャップが入った舟形の籠と箸をテーブルに置く。

「ありがとう。あの、変なこと聞きますけど、河ヰって人、前にここで働いてなかったですか?」

「えっ、あ、あぁ、河ヰさんですか」

 受付での機械的な印象はなく、ただ驚いていた。

「そう、そう。その河ヰ」

「はぁ、まぁ、いましたけど」

 彼女は困惑している様子だった。

「前に、ここで働いてるって聞いたから」

「去年の夏くらいに、辞めましたけど」

「原因はわかる?」

 彼女は首を横に振る。お盆を胸に抱いたまま不信感を露わに、ドアノブに手をかける。

「オナカスイタネ」

「なんですか?」

「なんでもないの。あの、ここに、吹奏楽に入ってる娘っているかな? 去年、演奏会に行ったって聞いたから。いたら、ちょっと話聞きたくて」

「河ヰさんと、直接連絡取ったらどうですか?」

「それができなくてね。ちょっと、軽い行方不明ってやつかな。あぁ、そんな大袈裟なヤツじゃなくて。だから、今、少しでも関わりのあった人に聞いて回ってるところなんだ」

「はぁ、そうなんですか」

 女の子はますます関わりたくない様子で、表情がこわばっていた。

「別に、いなかったらいいんだけど。ちょっと、聞いてくれるだけでいいからさ。ええと、このチョコレートパフェももらおうかな」

 指をさしてからメニュー表の値段を見て驚いた。ちと、高くないかな。

「わかりました」

 そう言うと、女の子は足早に出て行った。

「そりゃ、そうなるよね」

 見知らぬ他人に過去に在籍した従業員の話をいきなり聞かせろと言われても困るだろうし、現在行方不明とあっては関わりたくないだろう。

 陰鬱な気分を払拭するために、せっかくカラオケに来たんだからとマイクとデンモクを取る。なにを歌おうか。

 デンモクから曲目を送信する。マイクに『消毒済み』と印刷されたプラスチックの袋を取ると、スイッチを入れる。

「アマザラシ、ボクガシノウトオモッタノハ」

 突然の電子音声にドキッとした。

不謹慎かもしれないけど、どうしても先輩の姿と重なってしまう。

 歌い終わると、92点と派手な音で表示された。点数には満足したが、気分は晴れなかった。

 もう一曲入力する。

「マキシマムザホルモン、ブッイキカエス」

 一人なのをいいことに、伸び伸びとヘドバンをしながらデスボをシャウトした。腹の底から声を出して、日頃の鬱憤もすべて吐き出した。

 95点と表示され、今度こそ満足した。

 アイスコーヒーを啜っていると、扉がノックされた。

「失礼します」

 高身長の女性従業員が入ってきて、片膝をつく。

「チョコレートパフェでございます」

 テーブルにパフェと箱に入った柄の長いスプーンを置く。

「ありがとう。オナカスイタネ」

 こうなれば、総当たりで聞いていくつもりだった。

「はい。まだ、なにか頼まれますか?」

「いえ、結構です」

 ロイド眼鏡から眠そうな生気のない目が覗いていた。

「あの、河ヰさんのことですけど」

 えっ? ビンゴ?

「もしかして、吹奏楽やってる?」

 彼女は頷いた。胸元のネームプレートに『大林』と表記されていた。

 手でソファに座るように示した。わたしが奥に行き、彼女は手前に座った。

「えぇと、大林さんでいいのかな。去年、吹奏楽のコンサートに河ヰを呼んだんだよね?」

「はい。コンサートの後に、感想をラインで下さって。嬉しかったです」

「直接、会ったの?」

「会ってはないです。そのラインで本当に来てくれたんだって思って。あの本当なんですか? 行方不明って」

 大林さんは、前のめりになっていた。

「そんな大袈裟なもんじゃないんだけど。ちょっと、連絡が取れなくてね。どんな些細なことでもいいの。ラインのやり取りで変なとことかなかった?」

「特には…。あっ、でも、ラインで、『最後に聞きたいんだけど』って連絡が来ましたね」

「最後に?」

 先輩はすべての人間と連絡を絶つつもりだったのだろうか。そうなると、事件に巻き込まれたというより、計画的な失踪なのか。まだ、わからない。

「あの、カクヨムってサイトをご存じですか?」

「介護のクズ?」

「そうです、そうです。作品の感想を聞かせてほしいって。正直、私もレポートとか忙しかったんで、最後まで読めてなくて。全部、読んだらラインしますねって。それが最後になりました」

 感想を聞かずに、どういうつもりだろう。

「最後まで読んだんだよね? コメントに書き込んでたよね?」

「さっきのって、そういう意味ですか」

 彼女は、はじめて微笑を浮かべた。

「どう思った?」

「なんか、ここで見てた河ヰさんっていう人間の根っこの部分が、介護の職場で確立されたんだなぁって思って。ここの環境と介護の環境が重なるものが多いように感じて」

伏し目がちな視線の先で、左腕に付けた時計を弄っていた。

「どうして、辞めたの?」

「店長と折り合いつかなくなって。とてもじゃない仕事量押し付けられたり、後輩の指導ができてないって怒られたり。最後の方は、かなり病んでて。突然、辞めました」

 ここでも、悪癖を発症していた。

「あの人、ネガティブな状態になると、話しかけにくいでしょ。というか、話す前に一旦、深呼吸したくなるよね」

「私の場合、愚痴とか長文のラインできてましたけど」

 自分の年齢の半分しか生きてないような子にも、怨言を撒き散らすのは大人としてどうなのだろうか。

「それは、迷惑だったね。ごめんね。長々と。店長に怒られちゃうね」

「今日は、出張中なんで大丈夫です」

「そっか。あのさ、『おわりに』で最後の方に書いてた取材するみたいな話って、詳細聞いてない?」

「聞いてないです」

 ノートの最後のページの文言を思い出すが、大林さんには伝えない方がいいだろう。わたしは大林さんに一方的にラインのIDを押し付けた。

「わかったことがあったら、連絡してほしい」

「はい。こっちも、連絡してみます。それと、あなたは? 介護のクズに出てた方ですか?」

「ええ、まあ。無断使用で訴えてやろうかと思ってるけど。多分、御鍵ってキャラクターのモデルだと思う。知らんけど」

「あぁ、原作どおり……」

 わたしは礼もそこそこに、フライドポテトとパフェをアイスコーヒーで流し込んだ。



 2月1日 23:34

 大林さんから連絡があった。

『既読付かないですね』

『あのあと、バイト先で話題になったときに、最初に注文を持って行った子、覚えてます?』

『背の低い娘?』

『そうです。彼女が思い出したことがあるって。去年のクリスマスに彼氏と五台山に行ったらしいんですけど、あそこってカップルの聖地ってなってるじゃないですか?』

 高知市五台山。誰が始めたのか不明だが、五台山には展望デッキに『愛鍵』と呼ばれる錠前を展望テラスにかけると、恋が成就する、もしくは末永く幸せになると伝えられていた。お膝元には、朝の連続テレビ小説でも取り上げられた、牧野富太郎植物園があった。

『でも、その建物が取り壊されてたらしくて。夜景はキレイだったけど、ちょっと残念だったって。でも、鍵は別のフェンスにかけることができたみたいで。それで、帰ろうとしたら、怒鳴り声が聞こえたらしいです。めちゃくちゃ、怖かったって』

『それが、どう繋がるの?』

『彼氏もヤバいと思ったみたいで急いで帰ろうとしたら、急に振り返って。それが河ヰさんだったみたいで。隣に、中年のオジサンがいたって』

『最初は、誰かわかんなかったらしいけど、兼良かねよしさんって呼ばれて。それで、河ヰさんだってわかったみたいで。ちょっと、怒鳴ってるとか、普通じゃないですよね』



 ここまでが、これまでの経緯です。

 あのときは気付かなかったけど、カクヨムのページ内に近況ノートなるものがあった。


 2023年12月20日 03:42

 『眠れない』


まだ整理できない。

頭がおかしくなったのか。

何度見てもうつってない。どうして。わかるわけない。

腕がいたい。現実か。

会って確かめないと


 不穏な文面からは、なにもわからないが、切迫した事実は伝わる。

 すべての答えは、ノートとパソコンの映像ファイルにある。

 いろいろ迷ったけど、これを書かなくてはいけない、と思う。たった四行の別れの言葉で済ませられるような、関係ではない。

 ラインも未読、電話も取らないとなると、ここで公開するしかない。先輩は、きっとどこかで見ている。

本名を晒したのも、これを読んだ方や先輩の知り合いの方が連絡をしてくれるかもしれない。もしくは、本人が連絡をくれるかもしれない。


お願いです。河ヰ先輩、これを読んでいたら連絡下さい。

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