第二章: メモリア・ヴォヤージュ
アマリア・レーン博士の研究室は、静かな緊張感で満ちていた。白く光る壁に囲まれたこの部屋では、彼女の野望である「メモリア・ヴォヤージュ」プロジェクトが、いよいよ現実のものとなろうとしていた。
「メモリア・ヴォヤージュ」は、終末期患者に再び生きる希望を与えるプログラムだった。
最先端の技術の力で、彼らは若き日の記憶の中を旅することができる。
アマリアはこのプログラムを通じて、人々が自身の歴史を見つめ直し、死を迎える際に内面的な平和を得られるよう願っていた。
しかし、アマリアが直面していたのは、自分自身が徐々に記憶を失いつつあるという切実な闘いだった。
彼女の脳は、若年性アルツハイマー病によって少しずつ侵されていた。
彼女は、自らもこのプログラムの対象者となることを決意していた。
彼女自身の記憶をデジタル化し、実験の成果を自分の体で証明しようとしていたのだ。
勿論この野心的なプロジェクトは、多くの倫理的な問題を引き起こした。
記憶をデジタル化し、それを編集することが果たして人間の尊厳にかなっているのか。
アマリアと彼女のチームは、患者の自己決定権と記憶の真実性を守るために、細心の注意を払っていた。
ある日、先端神経科学研究所の静かな会議室で、アマリア・レーン博士とジョナサン・ミルズは重要な議論に臨んでいた。
窓の外には落ち着いた夕暮れが広がり、部屋には緊迫感が漂っていた。
「記憶の編集は、ある意味人間の尊厳に対する侵害だわ、ジョナサン。我々は神の領域に踏み込んでいるのではないかしら?」
アマリアは慎重に言葉を選びながら、自らの倫理的な懸念を表明した。
ジョナサンは腕を組み、考え込むように眉をひそめた。
「でも博士、記憶の編集によって、患者たちは苦痛な記憶から解放され、平穏を得ることができる。それは彼らの尊厳を逆に高めることにも繋がると思うんです」
「でも記憶とは我々のアイデンティティの根幹をなすもの。それを変えてしまえば、我々は一体何をもって自己と呼べるのかしら?」
アマリアは深い哲学的問いを投げかけた。彼女の眼差しは窓の外の遠くを捉え、過去の自分と対話しているかのようだった。
ジョナサンは慎重に言葉を選びながら反論した。
「記憶を編集することで、我々は新たな自己を構築することができます。患者が選ぶ記憶の形、それが彼らの新しいアイデンティティです。過去を変えることはできないけれど、その解釈を変えることはできる。それが人間の進化なのではないでしょうか」
アマリアは一瞬言葉を失ったが、すぐに立ち直り、深く息を吸い込んでから静かに語り始めた。
「我々は科学者だわ、ジョナサン。可能な限り客観的であるべきですが、それでも倫理は無視できないわ。記憶を編集することの長期的な影響を真剣に考えなくてはならない。それが我々の責任よ」
ジョナサンは頷いた。
「その通りです。だからこそ、この技術の使用には厳しい倫理基準を設ける必要がある。博士、私たちは新しい時代の扉を開いたのです。後戻りはできませんが、前進する方法を慎重に選ぶことはできます」
二人の間に流れる空気は、少し和らいだようだった。
記憶という未知の領域への一歩を踏み出す勇気と、それを取り巻く倫理的な葛藤。
アマリアとジョナサンは、その狭間でバランスを取りながら、人類にとって最善の道を探り続けていた。
「わかったわ。では予定通り、私の記憶のアーカイブと編集をあなたにお願いするわ、ジョナサン。私に遺された時間はもう少ないのだから……」
助手のジョナサンは、アマリアがこの道を選んだ理由を理解していたが、彼女が直面しているリスクには非常に心を痛めていた。
アマリアの研究室には、高度なスキャン技術で記憶をデータベースにアーカイブするための装置が揃っていた。
彼女の記憶は、彼女が選んだ幸せな瞬間に焦点を当ててデジタル化された。
そこには、彼女が初めて学会で論文を発表した瞬間や、恋人と過ごした甘い同棲生活も含まれていた。
ジョナサンは、彼女の記憶を編集し、仮想現実体験として再現するプロセスを監督した。
アマリアが目を閉じれば、彼女は過去の世界に没入することができた。
この体験は、心理療法士の監督のもとで行われ、アマリアは感情的なサポートを受けながら、自己の過去と向き合った。
アマリアの記憶の中で、彼女は再び新進気鋭の神経科学者として研究に没頭していた。
しかし、現実の彼女は病院のベッドに横たわり、現実と記憶の間の境界線がどんどん曖昧になっていた。
彼女は、自らのプロジェクトがもたらす影響を全身で感じることになったのだ。
ジョナサンは、アマリアがデジタルの記憶の中で迷い込んでしまったことに気づき、彼女を現実に戻す方法を模索し始めた。
彼は、アマリアの記憶のデータを修正し、「現実への帰還」という新しい記憶を植え込むことを試みた。
彼女が目覚めるとき、彼女は自分の成し遂げたことと、彼女の記憶が人類にとってどれほど価値があるかを理解するだろう。
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