第22話 お祭りの喧騒の中へ

 


 ミコトは甚平を着ていた。灰色のしじら織の甚平だ。毎年、奈緒には浴衣を、ミコトには甚平を、おじいちゃんとおばあちゃんが用意してくれるのだ。


「奈緒ちゃんもミコトくんも、毎年背が伸びてるもんね。毎年新しいのを新調しないと」


 奈緒の着付けを終えたおばあちゃんが、優しい声音で呟く。


「ねぇ、ミコト。今年の浴衣はどう?いい感じ?」


 奈緒がミコトの前でひらりと回った。赤と白のストライプ柄に大きな花が散りばめられた浴衣から、健康的な足が一瞬だけのぞく。


 浴衣に合わせて編み込まれた短めの髪にはピンク色のお花のかんざしが刺さっていた。


「……なんだか、奈緒ねぇっぽくない。いつもは紫とか青とか水色なのに、今年は赤いんだ」


「今年は可愛らしい感じのがいいっておばあちゃんに頼んだの。赤のグラデーションのこの帯も可愛いでしょ?お祭りは年に一度なんだもん。いろんな柄の浴衣が着たいの!……で、どうなの?似合ってると思う?」


 奈緒は浴衣を見せつけるように、もう一度その場で回る。


 正直、似合っているかどうかはわからない。いつも奈緒が着ているカジュアルな服とあまりにかけ離れていて、判断がつかないのだ。


 だけど、バラのような華やかな赤は、奈緒の小麦色の肌を引き立たせ、奈緒自身を大人っぽく仕立てていた。


「浴衣は綺麗だと思うよ。奈緒ねぇに似合ってるかどうかは、微妙だけど」


「嘘なの!ミコトの目、泳いでるの!奈緒ちゃんすごく可愛いの!」


 隣に座っていたマビが立ち上がり、奈緒の周りを回りだす。


「ミコトも素直じゃないなぁ。こんなに可愛いお姉さんがいて照れちゃった?」


 にやけ顔の奈緒にほっぺをつつかれる。いつものからかいだ。


 ミコトは奈緒の手を払いのける。


 こういうことをされると余計に反発したくなるのは何故なんだろう。


「照れてない!」


「えー?ミコトったら、耳たぶ真っ赤だよ?」


「真っ赤じゃない!」


「ほらぁ、二人とも、じゃれてないでそろそろ出るよ。おじいちゃんもパパも朝から準備頑張ってるんだから、その勇姿を見に行ってあげないと」


 伯母さんが襖から顔を覗かせ、ミコトと奈緒をせっつく。


 今日は、お祭りの当日だ。太陽が西に傾こうとしていた。おじいちゃんの家は太陽光を失い、薄暗くなりつつある。


 おじいちゃんと伯父さんは、お祭りの出店のために朝から出かけていた。何を販売するのかは教えてもらっていない。おじいちゃんは冒険精神溢れる人で、毎年販売するものが違う。大人たちは何をするのか事前に知っていると思うのだが、ミコトと奈緒は何を出店するのかは行ってからのお楽しみ、ということらしく、教えてもらえないのだ。


 昨夜、うさぎに言われた言葉が頭から離れず、うまく寝付けなかった。


 マビとタロジの安心しきった寝顔を見つめながら、思案した。だけど、思案しても思案しても、妖怪も人間も一緒に笑顔で生活するための解決方法が見当たらない。


 小学六年生には難しい議題すぎる。過去最善を尽くして無理だったんだから、今更俺が考えてもいい案なんて何も出ない。妖怪が全員悪いやつだったらいいのに。そうしたら、こんなに悩まずに地獄に送り返せるのに。


 頭の中で言い訳をしてみる。だけど、気持ちは全く楽にならない。逆に苦しくなるだけだった。


 家の外を出ると西陽がミコトたち家族を照らした。まぶしい。私はまだ元気だぞ、沈むつもりはないぞ、と太陽がミコトたちに見せつけているみたいだ。


 神社まで続く畦道をミコトを除く皆が楽しそうに笑顔で歩く。マビもタロジも楽しそうに会話をしている。これから行くお祭りを心待ちにしているようだった。


 ミコトは一番後ろからその様子を眺めていた。


 マビとタロジがミコトに話しかけないのは、ミコトの家族がいるからだろう。二人だけで二人の世界で盛り上がっている。


 奈緒もそうだ。歩きながら熱心にスマホと向かい合っている。きっと、これから一緒にお祭りを回る友達とやりとりしているのだろう。


 みんながぼやけて見えた。カフェで流れるBGMのように、みんなの声が、姿が、話が、形を持っていない。前を歩くみんなは背景となり、ミコトだけが影絵のようにくっきりと浮かび上がっているようだった。


 神社にうさぎ、いるのかな。


 マビとタロジを囮にするつもりなのかな。


 その時、俺はどうしたらいいんだろう。


 ミコトは一人で考える。考える。考える。それでも答えは出ない。


 考えすぎて頭の奥が痛い。西日のせいもあって、頭皮が熱を帯び、じんわりと汗が滲む。


 これから楽しいお祭りが待っているというのに、すごく嫌な気分だ。


 ふと、鼻の奥に何かが焼けた匂いと甘い匂いが混じり合った届く。考え事をしている間に丘に着いていたのだ。きっとお祭りの屋台からの匂いだろう。


 ミコトは何気なしに、匂いのした方向へ顔を向けた。


 あっ……。


 息を呑んだ。


「わぁ……綺麗……」


 誰かが声をあげる。それがお母さんなのか、おじいちゃんなのか、奈緒なのか、それとも自分なのかわからない。


 丘の下に広がる一面の煌めき。神社に張り巡らされた鬼灯のような赤提灯が淡く美しい光を放つ。


 そこは光の海だった。


「すごい……。幻想的……」


 奈緒が丘の下を覗き込む。危ない行為なのに、誰も止めようとはしない。


 皆、丘からの景色に目を奪われているのだ。


「毎年ここからお祭りを見下ろしてるけど、こんなに綺麗なのは初めてよ……」


 おばあちゃんが感嘆の声を漏らす。


「本当に綺麗なの……。きっと、光の妖精たちの仕業なの……。きっと、お祭りの祈りに引き寄せられて、集まってきたの」


「でも、どうして……?今までだってお祭りしてたのに、なんで今年だけ……」


 ミコトは独り言のようにマビに質問する。


「妖精たちも一種の妖怪だから地獄にいたの。でも、脱獄したから、こうして集まれたんだと思うの。妖怪は祈りや、賑わってるものが大好きだから」


 ミコトは黙った。黙って美しい光景を魅入る。


 沈黙を破ったのはお父さんだった。


「お祭りに使うライトを変えたのかもな……。本当に綺麗だが、このままここにいても仕方ないし、お祭りに行くぞ」


 神社の美しい光景から、目の前の道に気が戻る。少しずつ皆が動き始めた。マビもタロジも人間の歩幅に合わせてゆっくりと進む。


 不安定で急な階段を降り、鳥居の前まで着くと、熱気、雑多な香り、そして、太鼓のような音がミコトたちを包み込んだ。


 神社に吊るされた提灯は光の粒をまとい、金粉を振り撒いたような煌めきを放っている。

「本当に、綺麗……」


「上から見ても圧巻だったが、下から見ても素晴らしい景色だな……」


「クリスマスのイルミネーションでこの光使ったら本当に綺麗だと思うわ……。なんの光源を使ってるのか後で聞いておかないと……」


「とーととかーかにこの景色見せてやりたいな……」


「綺麗なの!綺麗なの!」


 口々に嘆美の声を上げる。


 ミコトは黙って鮮やかで美しい様子を見つめながら、祭りの生き生きと騒がしい空気を胸が満たされるまで吸い込んだ。


 境内はきらめいた光に照らされ、その中で人間と妖怪が入り混じって動き回っている。皆、楽しそうな笑顔だ。


 中には踊り、歌い、人間の食べ物をくすねたり、お酒を飲んで酔っ払ったりしている妖怪までいる。人間が妖怪を見えてないと言えど、人間も妖怪もお互いが干渉せず、程よい距離感を持ち、均衡を保っている。


 あぁ、この関係がずっと続けばいいのに。


 そう願わずにはいられなかった。


 うさぎは共存は無理だと言ったけれど、この人間と妖怪がごった返している景色を見る限り、そうとも思えない。もしかしたら、と可能性を感じてしまうのだ。


 そのためにはどうしたらいいのだろう。


 ミコトは胸に手を当て、もう一度深く息を吸い、吐き出す。


「あ、奈緒ちゃーん!こっちこっち!」


 ミコトが二呼吸ほどした後、浴衣を着た少女たちが手を振り、駆け寄ってくる。三日前に会った美波もそこにいた。淡いピンク色の可愛らしい花々が散らばっている浴衣を着ていた。


「みんな、遅くなっちゃってごめんね。待たせちゃった?」


「ううん!大体みんな今来たとこだよ!」


「よかったー……。ていうか、今年のお祭りの提灯、すごく綺麗だね。優香のお父さんって装飾担当だったよね?何か変えたの?」


「うーん、どうなんだろう。ワタシのお父さんは何も言ってなかったけど……。サプライズで何か仕込んだのかもね」


「あとで優香パパに聞いてみないとね!……ママ、そしたら、みんなで回ってくるから。なんかあったら電話するから」


「あれ、従兄弟君は一緒じゃなくていいの?」


 少女たちはミコトの顔を覗き込む。誰が誰だかさっぱりわからない。


「あ、うん。色々あって別行動になったんだ」


「奈緒、別行動でも、ちゃんとミコトくんのこと気にかけといてね。見かけたら声をかけるとか、出店のもの奢ってあげるとか、してあげるのよ?」


「もう、ママ、わかってるって。そんなに怒った口調で言わないでよ。……それじゃ、みんな行こ行こ〜!」


 カランコロンと音を立てながら、少女たちが喧騒に飲み込まれていく。


 活気に満ち溢れる境内に少しだけ尻込みする。あまり人混みは得意ではない。


 それでも、マビとタロジの期待で光り輝いている瞳を見ていると、そんなことも言っていられないという気持ちになる。この先何が待ち受けているかはわからないけど、二人には存分にお祭りを楽しんで欲しいと思う。


 ミコトは気合を入れ、背筋をグッと伸ばした。


「じゃ、奈緒ねぇも友達と行っちゃったことだし、俺も見て回ってくるよ」


「そうねおじいちゃんと伯父さんのが出してるお店の場所わかる?鳥居の入り口から見て、左側の参道沿いに出してるらしいから、一人で心細くなったり、何かがあったら、すぐに二人の屋台に行くのよ。それと、お母さんたちは適当にその辺回ってるから、見かけたら声かけてね。……あとは……、あっ、そうだ!心配だからお母さんのスマホ持っていって!お母さんとお父さんはずっと一緒にいると思うから、何かあったらお父さんのスマホに電話かけること。いい?」


「うん、わかった」


「はい、これ、スマホポーチ。ちゃんと巾着に入れてね。お金も持ってる?大丈夫?落とさないでよ?」


 お母さんが巾着にお花柄のスマホポーチを入れながら、矢継ぎ早に注意事項を言葉で羅列する。


 いつだってお母さんのお小言は鬱陶しい。でも、それがミコトのことを心から心配しているからだということをミコトはわかっていた。そして、それが愛なのだということもミコトは知っていた。だから、そっけない返事をしながらも、お母さんの言葉を受け入れる。


「うん、わかってるよ。それじゃ、俺もいくから」


 お母さん、お父さん、おばあちゃん、そして伯母さんの四人に見送られ、ミコトたちも喧騒の中へと足を踏み込んだ。


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