第九話 晴明は愚かな宴を開き、悪蟲は誘われ火中に入る

「――道が途絶えましたか……」


 晴明はそう言ってため息をつく。

 かの連続吸血殺人の、実行犯と目される在野の呪術師。それを追って社にたどり着いた時――、そこにあったのは切り殺され事切れた遺体だけであった。

 これでおそらく、とりあえずの間、連続吸血殺人は起こらなくなるであろう。しかし――、黒幕は結局放置されたままであり、いつ同じようなことが起こるとも限らない。

 これでは――問題は解決したとは言えず。――そして、それは黒幕にとっても思うつぼであろう。


「――これは、どういたしましょう? かつての連続殺人を模倣して殺人を犯すなどという大それたことを、そこらの術師が思いつくはずもなく。――おそらくは黒幕と、そして目的があるのは明白でしょうに」

「そうですね――、このまま狂った術師の犯行として事を収束させることも可能かもしれませんが――、間違いなく次は起こり……そして」

「そうなれば晴明様は――」


 源頼光の心配そうな言葉に、晴明は静かな笑顔で返す。

 すべてを知っているであろう実行犯が何者かに始末された――、それは黒幕による証拠隠滅である事は明白。――その黒幕がかの乾重延であったっとしても。


(証拠がない――か……)


 晴明はしばらく思案する。そして――結論を出した。


「道満――少々お手伝いをお願いできますか?」

「ふん? ――いまさら拙僧おれにそれをことわるとは――、何か企んでおるな?」

「フフフ――、とりあえずは”解決”とするのですよ」

「――は、解決? これでしまいにすると?」


 道満の困惑の表情に、晴明は朗らかに笑う。


「ええ――、事件は解決いたしました。道満には宴の席を準備して頂こうと――」

「――、そうか」


 道満は目を細めて晴明を見る。その二人のやり取りを見て、源頼光は驚いた表情で言った。


「――な? このままいるであろう黒幕を放置なさると?」

「ええ――、探しても無駄ですから」

「それは――」


 頼光は驚き――そして晴明へ失望の視線を送る。それを笑顔で受け止めて、晴明はいたって気楽な様子で言ったのである。


「宴の席には、貴方も呼びましょう」

「いいえ――お断りいたす」


 頼光はただそう答えてため息をついた。



◆◇◆



 ――晴明殿にも……困ったものだ――。

 明らかに背後関係のある事件を適当に処理して――、解決祝いを開いているというではないか……。

 ――晴明殿は、見た目はアレだが、もう六十に近いはず。もう老いが始まっているのかもしれんな――。


「ふ――、なんともつまらぬ幕切れよ……。まさかあの晴明がこれほど愚かとは」


 乾重延は内裏に広がる噂にほくそ笑む。――もはやこれでは、かの晴明を重用してその言葉を聞き入れるものはいまい。

 これほど愚かなら、あれほど早急に証拠隠滅を図る必要もなかった。そう考える重延は、すでに晴明という存在を、どうでもいい木っ端であると見なしていた。

 もはや彼にとって晴明は眼中に入らぬものとなり――、そして、彼は次なる策謀を巡らし始めていた。


(クク……我が地位は安泰であるが――、我ならばもっとふさわしい地位があるはず――、あの兼家公すら我にとっては)


 それはあまりに大それた愚かしい考えではあるが――、彼はその自分の愚かさには気付くこともない。

 そして――それが彼にとっての致命傷となる。



◆◇◆



 晴明より事件解決の報があってから三日後、乾重延の邸宅に酒に酔った来訪者があった。


「よう!! 酒を持ってきたぞ!!」

「――」


 酒に酔って乱暴な口を乾重延に向けるのは蘆屋道満である。重延は眉を歪めて道満を睨みつけた。


「ははは――、事件解決のめでたい酒だ!! のめ!!」

「断る――早急に出ていくがいい」

「はは――そう言うな……。下の者の酒は不味くてのめんという意味か?」


 その道満のもの言いにさらに眉を歪める重延。


(ああ――、師も愚かなら弟子も愚かか――)


 あまりの事に怒りで顔を赤くする重延。早急に使用人を検非違使庁へと走らせた。


「はは――、楽しいな!!」


 酔っぱらって門前でくだをまく道満を――、最初に捕らえに来たのは検非違使ではなく晴明であった。


「こらこら――、このように人に迷惑をかけるものではありません」

「師よ――めでたいのになぜ酒を飲んではならぬというのだ?」

「いえいえ――酒なら我が邸宅で飲めばよいと――」

「は――めでたい事は多くの者と共有すべきであろう」


 道満は酒に酔いつつ重延の屋敷に上がり込んでいく。あまりの事に重延は唖然とし――晴明は慌てた様子で道満を追ったのである。


「こら貴様ら――我が屋敷に無断で上がり込むか?!」

「すみません――、本当にすみません」


 晴明はひたすら頭を下げ、道満を何とか抑え込もうとするが――。


「それど~~~ん!!」


 その声と共に思い切り投げ飛ばされる晴明。――なんとも無様に転がった。


「なんと乱暴な――、道満、お前は山の猿か……」

「なんだとウッキ~~~!!」


 晴明はあきれ顔でそう言い、道満は笑いながら重延の屋敷内を徘徊する。その様子に怒りが頂点に達した重延は、自室より刀を手にして道満へと取って返した。


「これほどまでに愚弄して――、ただで済むと思うな!!」

「はは!! 刀とは危ないぞ?」

「切って捨てる――!!」


 重延は文武両道――、幼いころより剣術を学び、それゆえに達人の域にまで達している。その鋭い剣線が道満に襲い掛かった。


 ――哀れ道満の首は胴と泣き別れに――、とはならなかった。


「ははは!! これはなかなかに鋭い太刀筋。まさしく人殺しの刃よな」


 そう言って道満は軽々と刃を避ける――、いやどちらかというと……。


「なぜ?! われは太刀筋を――間違えて……」

「はは――、当然であろう? 拙僧おれが纏うは被甲斬避の呪よ――」

「な?! 呪だと?」


 道満は酔いの覚めた様子で重延に答える。


「ふむ――、剣士ならば”武器を選ばず”か――、或いは”武器にこだわる”性分であろうが、やはりこだわるほうであったか」

「あ――」


 自身の手にする刀を見て絶句する重延。


「匂うぞ? その刃より血の匂いが――、綺麗に消したのであろうが、その穢れまでは落ちることはない」

「く――何を言って」


 その重延の言葉に答えるのは晴明である。


「はは――、証拠隠滅……貴方ほどの方なら、実行者を”切った刀も始末する”のが普通だったでしょうが、相当油断していたようで――」

「あ――、まさか」


 その晴明の言葉にある予想に到達する重延。全ては晴明による――、


(――謀られたのか――。いつもなら徹底的に証拠を消すが――)


 重延は武器にこだわる剣士であったがゆえに、晴明に油断して―――刀を惜しんでしまった。


「く――」


 一瞬、憎々し気に晴明を見る重延であったが、さすがは策謀を得意とするだけはある。すぐにその表情を消して晴明に言った。


「何を訳の分からぬことを――、酒に酔って弟子を暴れさせた挙句に……妙な因縁すらつけるか」

「はあ――妙な因縁……ですか?」

「そうだ――、これはもはや話にならぬ。晴明は功を焦るあまりに、このような暴挙に出たのか」


 いたって冷静にそう答える重延。その様子に晴明は少々困った表情をした。

 その表情を見て重延はさらに畳みかける。


「すでに検非違使は呼んだ――、師弟共々捕らえてしかるべきところに訴えさせてもらう」

「はあ――それは……困った話です」


 晴明がそう力なく呟くと。そこにぞろぞろと兵を伴った源頼光が現れる。そして――、


「何の騒ぎだこれは――」


 それら検非違使とともに現れたのは、誰あろう賀茂光栄であった。

 それを見て重延は――心の中で”してやった”と考える。光栄は晴明を憎み、何かと追い落とそうとしている人物なのだ。


「これは光栄殿――、このありさまを見ていただきたい。晴明とその弟子が我が家で暴れた挙句に――この我にひどい因縁をつけてきたのだ」

「ほう――因縁とな? それはいかなる――」

「この刀で誰かを切ったとか、そのような――」

「――」


 光栄は黙って重延の手にする刀を見つめる。そして――、


「それならば調べてみなければな――、その刀を見せて……」

「あ――いや、その必要はない……。それこそが因縁だと――」


 光栄の言葉に慌てる重延。光栄は無表情で言った。


「見せられぬとおっしゃるのか? 重延様?」


 乾重延はここにきて、藪の蛇をついたことを理解する。あまりの事態にその思考が追い付いてはいなかった。

 ここにきて乾重延は油断を重ねて自身を追い込んでしまう。――その状況を覆すべく、源頼光へと顔を向けた。


「頼光殿――、とにかくこの愚か者どもを捕らえていただきたい」

「はあ――そうですね」


 頼光はいたって生真面目な顔で頷く。そして――、


「な――」


 それがひっ捕らえたのは重延であった。


「――何を? 頼光――」

「連続吸血殺人を首謀した疑いにより、捕縛いたします」

「馬鹿な――」


 あまりの事態に驚きを隠せない重延。それに向かって光栄は答えた。


「ああ――言っていなかったが。今回我々が来たのは晴明の訴えによるものだ。お前の使用人に呼ばれたのではない」

「な? なに?」


 それは要するに初めから仕組まれていたという事であり――、


「馬鹿な――、あの晴明の戯言を、光栄殿がまともに受け取るわけが――」

「そうだな――、当然ではある……が、」


 光栄はつまらぬといったふうにため息をついて話を続ける。


「事態が事態故に――晴明だけに任せるのではなく……、俺も独自で捜査をしていたのだ――」

「な?!」

「――三度の連続殺人――、まさかこの俺が鬼神によるものと、人によるものを見分けられぬと思ったのか?」

「それでは――初めから?」


 その言葉に”いや――”と呟く光栄。


「晴明なら容易く自分で解決するだろうと――そう思っておったが……。妙な方向に話が動いているようであったからな」

「く――、貴様ら……、兄弟子と弟弟子で共謀して、――我を追い落とす腹か――」

「は――」


 その重延の言葉に光栄は大きく笑った。


「まさか――この俺が晴明の手助けをすると? 馬鹿な――、愚かにも都の平安を脅かす、あまりに下らぬ策謀を考えた阿呆を、この手で捕らえねばならぬと考えたまで」


 ――なぜなら我らは……。


「そう――、平安を守護する事こそ使命ゆえに」


 光栄の言葉に、それを聞いていた晴明は静かに頷いた。


 ――こうして、乾重延は捕らえられ――、そしてその刀の刃より、実行犯であった術師を切り殺した証が呪を以て確認された。

 その検証は、安倍晴明――賀茂光栄――、その両者によって行われて、確実なものであると見なされた。

 こうして三度起こった連続吸血殺人は、一つの決着を迎えたのである。

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