おっさん、A級冒険者の闇を暴く

『竜王の冠』、崩壊

 月が雲でかげる夜。


「はあ……はあ……!」


 山林の間を、必死に駆け抜ける女性がいた。

 王都冒険者ギルドに所属するパーティー、『龍王の冠ドラゴンクラウン』のサブリーダー、エヴリン・ボロウだ。

 ただし、いつものあでやかさもなければ、彼女の傍にいるメンバーもいない。

 髪はほどけて、顔も体も擦り傷だらけで、服はボロボロ。

 パーティーメンバーどころか、彼女の恋人にしてリーダーであるアポロス・ハービンジャーすら近くに姿が見えない中、エヴリンは必死に走っているのだ。


「おい、いたぞ!」

「『竜王の冠』のサブリーダーだ、絶対に逃がすな!」


 彼女が何から逃げているか、答えは暗闇の中から返ってきた。

 松明を揺らしてエヴリンを追いかけているのは、ガラの悪い男達だ。

 斧やナイフ、槍を振り回してくる男達に振り返り、彼女は魔導書を開いた。


「ぐっ! この……『火炎の波、有象無象うぞうむぞうを焼き払え』!」


 本の隙間から放たれた炎の波が、木々もろとも敵を呑み込んでゆく。


「あづいいいいい!」

「油断するな! あいつはB級冒険者で、炎魔法の達人だぞ!」

「犬をけしかけろ! 俺達のことをばらされるくらいなら、捕まえずに殺しちまえ!」


 人間の代わりに暗夜あんやを走り、牙を剥き出しにした大型犬が、エヴリンに噛みついた。


「ガウ、バウッ!」

「ああああっ!?」


 腕を食い千切られると思えるほどの激痛に耐えかね、姿勢を崩したエヴリンは、そのまま崖を転がり落ちてしまった。

 犬を振り払えたのは幸いだが、岩肌に体をぶつけてしまう。

 息も絶え絶えの彼女の耳に、崖の上の犬の鳴き声と、男の怒鳴り声が聞こえてくる。


「エヴリン・ボロウめ……崖から落ちやがったか!」

「ボスには死んだと伝えておこうぜ! 散々追いかけまわして、もうへとへとだ!」

「そうだな……パーティーはあいつ以外全員捕らえたし、上出来だろ!」


 男達の騒ぎ声と、松明の灯りが次第に遠ざかってゆく。

 残されたのは完全な暗闇と、血を体中から垂れ流すエヴリンだけだ。


(……運が良かったわ。生い茂った草が、クッションになってくれたのね)


 崖の下に広がった草木が彼女を受け止めまければ、今頃死んでいただろう。


(でも、傷はかなり深い……早く山岳地帯を抜けないと……)


 ずり、ずり、と這いずりながら、エヴリンは思う。


(……どうして、こうなったのかしら)


 頭を巡るのは、冒険者になる理由と追い求めてきたもの。

 エヴリンにとって、どちらもこそ答えだった。

 パワーでも才能でも何でもいい――どちらも兼ね備え、難題ともいえるクエストをこなしたアポロスは、彼女にとって紛れもなく強い男だった。


(強さこそ美しさ。力こそ美しさの体現。そう信じて、これまで生きてきた。A級冒険者のアポロス率いる『竜王の冠』……冒険者ギルド屈指の人数と、アポロスの実力と人気を有する、私の愛するの表れ……なのに)


 だが、エヴリンの常識はすべてくつがえされた。


「たったひと晩で……アポロスも、仲間もやられるなんて……!」


 仲間が捕えられ、アポロスは――姿を消した。

 自分の信じたものが一夜にして砕け散るさまを、エヴリンは見せつけられた。


(私の目が曇っていたのかしら……彼が本当に強いなら、こんなところで……)


 逃げたかもしれないリーダーの情けなさと、彼の真の力の弱さを見抜けなかった自分を責めているうち、エヴリンの脳裏に浮かんだのは、あるパーティーだ。


(――あのダンテ・ウォーレンと仲間達なら、どう切り抜けたのかしら)


 ダンテとリン――そして、セレナだ。


「うぐ、ぐ……!」


 気づくと、エヴリンは必死に這いずっていた。


(私達がけしかけた危機を乗り越えて、前に進むセレナ・ソーンダーズ……静かさの中に情熱を持ち、困難に立ち向かうリン・ミリィ……)


 アポロスに屈しない精神力。

 危険なクエストに尻込みしない勇猛さ。


(そして、ダンテ・ウォーレン! ふたりを支える貴方の真の力は、確かなもの……!)


 ふたりを支える、謎のC級冒険者のダンテ。

 彼らはもしかすると、エヴリンが本当に見たかった“強さ”の持ち主かもしれない。

 ならば、まだここで死ぬわけにはいかない。


「……生きて、帰ったら……強さの理由でも、聞いてみようかしら……!」


 暗闇をうごめくエヴリンの瞳に、わずかな希望が宿る。

 彼女もセレナ達が示した勇気にかれているとは、まだ気づいていない。


(セレナ・ソーンダーズ……貴女は今、どんな活躍をしているの……)


 闇を見つめ、一心不乱に進むエヴリンは、セレナを想った。

 果たしてセレナは、彼女のいない間に素晴らしい功績を上げているはずだと信じた――。




「ねえ、リン! この樹液、すっごく甘いよ~♪」


 ――セレナは今、クエストの道中で木から染み出す樹液を舐めていた。

 エヴリン・ボロウが希望を見出した少女は、故郷のサマニ村にいた頃からの癖で、ざらざらした舌で黄色の汁をぺろぺろと堪能たんのうしている。


「セレナってば、クエストの途中なんだから樹液なんて……あま~い♪」


 しかも相棒のリンも一緒に、尻尾を振って甘い汁を舐めているのだ。


「「…………」」


 そんなふたりを、ダンテは冷めた目で、オフィーリアは心配そうに見つめていた。


「どうしたのさ、ダンテ?」

「オフィーリアも、一緒に舐めようよ。ハチミツみたいでおいしいよ」

「い、いえ、遠慮しておきます」


 やんわりと拒むオフィーリアの隣で、ダンテが言った。


「おい、お前ら。そりゃ樹液じゃないぞ。そいつは――」


 彼女達が舐めているものを分泌しているのは、ただの樹木ではない。

 ぎょろりとふたりを睨む目を有するのは、木を模したモンスター。


木の魔物トレントの小便、だ」

「「ぶふううぅーっ!」」


 セレナとリンが、同時に吹き出した。

 同時にトレントが枝を振り回して暴れ出し、4人は戦う羽目になった。




 ――オフィーリアが『セレナ団』に加入して半月ほど。

 彼女達は着実に、ギルド内での実績を認められつつあった。

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