番外編4話 幼馴染



 そんな日が続いたある日、いつも通りに登校し教室に入った瞬間、これまでと雰囲気が違うことに気がついた。

 言葉にするのは難しいが、どこか哀れみを含んだ視線だった。


 またおかしな噂でも流れたのかなと、私は無感動のままそう思った。別に何を言われても、もう何も感じなかった。

 その日、トイレに行った際、数人の女子生徒が私に話しかけてきた。


「ねえねえ、二宮さん。今流れてる噂って、ホントなの?」


 どんな噂が流れているのかわからないので、曖昧な返事をする。どうせ、私に関する悪い噂だろう。

 だが、その予想は外れていた。


「一緒の教室の男子にずっとストーキングされてたって噂! 怖すぎない?」

「……え?」

「変なノートも作って見張ってたらしいし、脅しとかもしてたらしいじゃん。もう捕まっちゃうよそんなの」


 一瞬なんのことかわからなかった。そんな頓珍漢な噂、どこから流れたというのだろう。ていうか、誰のこと? 


「あの……榎本って人!」


 その苗字を聞いて、少なからず動揺してしまう。彼のこと? 彼に関するそんな噂が流れていたなんてちっとも知らなかった。

 私の反応を見て何かを勘違いしたのか、女子生徒たちは声を大きく張り上げた。


「怖いよね〜!」

「あの人になんかされたら言ってね! 私たちも出来る限り助けるから!」


 そう言って、彼女たちは去っていった。まるで嵐みたいだとその後ろ姿を見ながら思った。

 それにしても、なんておかしな噂だろう。

 確かにずっと付き纏われていたことは事実であるが、ストーキングというほど酷いものではなかったし、脅しなんて言葉は彼とは絶対に結びつかないものである。



「何も知らないのに」



 口の中でそう呟く。彼について何も知らないくせに悪口を言う人々に、なんだか少し腹が立った。




 ▽



 どうやらこの噂はかなり広く知れ渡っているようで、教室に入ると、皆が私を見て、その後ちらちらと彼のことを見ていた。彼は窓の外を見ているばかりで微動だにしていなかった。

 その姿が数日前の私と少し似ていて、何とかしたかったが、かける言葉が見つからなかった。


 その日の放課後、一つの事件が起こった。

 部活のない生徒たちが帰ろうという時間に、何やらチラシのようなものが屋上からばら撒かれたというのだ。

 私もその場面に出くわしたが、陽光が降り注ぐ放課後の校庭に広がるチラシは、少しだけ綺麗だった。


 ふと、屋上の柵から、彼の姿が見えた。校庭を見下ろしていた彼は、すぐに顔を引っ込めた。

 地面に落ちてきたチラシを拾った生徒たちが騒ぎ始める。私の近くにいる人たちは、なぜか私を見ていた。

 そのチラシを拾ってみると、それはどうやらノートのコピーのようだった。


 これ、なんだろ。


 それは私に関するノートだった。

 ……私に関するノートなのは確実なのだが、書いてある内容があまり理解できない。


 私が仲良くしている友達、私に話しかけてくる人たち……そして私の悪口を言っている人とその悪口の内容。それらの人々の名前が全て書かれているノートだった。

 なぜこんなノートが存在するのか、誰がこれを書いたのか、一体なぜこれがチラシになって降ってきたのか。それらの謎がぐるぐると頭の中で渦巻いている。


「これ、絶対アイツのだろ……」

「ストーキングしてる奴?」

「マジでノート作ってたんだな……」


 そんな言葉があちこちから聞こえてくる。見ると、確かに勉強会のときに見た彼の文字に似ていた。

 段々と私に向けられる視線が増えてきた。私は逃げるように校庭を後にした。


 バス停に着いて、手に持っていた紙を再び見てみる。見れば見るほど彼が書いた字に見えてくる。


 多くの人はこのノートを見て気味悪がるのだろうが、不思議なことに、私はそういった感情は全く湧いてこなかった。


 なぜなら、私は彼の優しさを知っているからだ。

 彼がどれだけ優しくて、どれだけ人のために犠牲を伴える人なのか、わかっていない人は彼に対して偏見の目で見るのかもしれないが、私は見れなかった。

 もしこれが彼のノートだったとしても、なぜこのノートが出回ったのか。屋上で見えた彼の姿がその答えなのではないか。

 わざわざ自分で自分の醜態を晒した理由は何なのか。そんなの、私のために決まっていた。

 そう考えると、胸の中が暖かくなる。今まで私の心に巣食っていた孤独感が霧散し、静かな安心で満たされて行くようだった。



 このままバス停で彼を待っていようか迷ったのだが、今彼の顔を見るのはなんだかすごく恥ずかしかったのでバスに乗って帰宅した。




 次の日に学校で聞いたのだが、あのノートはやはり彼のものだったみたいで、彼は一日の自宅謹慎になったらしい。

 教室に入るなり、多くの生徒たちが私の元に集まってきて、「大丈夫だった?」とか「やばいよね」なんて言葉で私を労わり、彼を蔑んだ。

 彼を庇おうとしたが誰も私の話なんか聞いておらず、皆の彼に対する評価は全く変わりそうになかった。しょうがないので適当に流して席に着いた。彼の席はぽっかりと空いていて、その穴が私の心にもできたみたいだった。


 授業を聞きながら、今日休んでいる彼のためにノートを取ろうと思った。ずっと助けてくれていた彼に、少しでも恩返しがしたかった。

 彼のためにノートを作りながら、ふと、勉強会のことを思い出した。

 そして、自分でもなぜかわからないが、最後のページに大きくウサギを描いた。彼に笑われたウサギの絵だった。


「大切なこと教えてくれるオリジナルキャラ?」確か、彼はそう言った。

 その通りだ。これは大切なことを教えるウサギなのだ。

 私はウサギに看板を持たせ、鉛筆を走らせた。


『困った時はお互いさま!』



 ▽



 翌日、教室で待っていると、なんでもないような顔で彼がやってきた。


「っちっす……」


 適当な挨拶で教室に入ってきた彼に、思わず笑ってしまいそうになる。

 室内にいる生徒たちは、まるで犯罪者が入ってきたみたいな目で彼を見ていた。


 そんな皆に少し腹が立ったが、私だけが彼のことを理解しているということは、少しだけ私の心に余裕と優越感を与えてくれた。


「なんの優越感なのよ……」


 自分でそう呟いて、立ち上がる。

 彼は相変わらず窓の外ばっかりを見ていて、私が目の前に立っても全く気づいていなかった。


 教室が静まり返る。まるで何かとんでもないことが起こることを期待しているかのような静寂だった。

 彼がこちらを向く。その驚いた表情に少し頬が緩む。

 ノートを机の上に置くと、彼は怪訝な表情を浮かべた。


「これ、昨日の授業の内容まとめたノート」

「あ、ああ……ありがと」

「ん」


 それだけ言って自分の席に帰る。

 一人の子が、私に尋ねた。


「二宮さん、アレと仲いいの?」


 彼をアレ呼ばわりしたことに少しカチンときたが、それが逆に面白くなってきた。彼女はこれからも彼のことを何も知らないまま生きていくのだろう。

 ならば、コイツに彼のことなんか教えてやるものか。


「そうねえ」。私は少し考え込んで、こう言ったのだった。


「別に、仲良くなんてないわ」


 だよね、とその子は言った。それがすごく滑稽だった。

 振り返ると、彼と目が合った。彼も笑っていた。

 それが余計面白くって、私も笑みを返す。



 今の私、ちょっとはツンデレみたいだったかな? 



 私たちの心は通じ合っていた。

 まあ、それはそうだろう。



 だって、幼馴染なんだもん。










(後書き:お読みいただきありがとうございます。次回から2章に入る予定です。主人公とヒロインの関係性を深めつつ新キャラを出せたらなーと思っています。評価と感想で応援お願いします。ありがとうございました。)

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