第22話 新たな計画

 侍女はリリアナの本を持って部屋を出る。その背中は少しばかり哀愁を帯びていた。彼女にっとルーカス・グランツという男はよほどおそろしい化け者のように見えるのだろう。


(本当のお父様を知れば、みんな好きになるのに)


 リリアナはため息を零す。優しい人だと説いて回っても、あの様子を見た人は、にわかには信じがたいだろう。使用人はほとんど入れ変わっていて、みんな昔のことを知る機会もない。


 何より、昔は昔、今は今だ。怖いものは怖いというのが本音だろう。


(今の状況は良くないと思うのよね)


 リリアナは腕を組み、椅子に座る。その姿は五才の子どもには似つかわしくはなかったが、今は誰も部屋にいない。子どもらしさは、気にするところではなかった。


 あどけない子どものふりは肩が凝る。


 侍女が持ってきたクッキーを口に入れる。しっとりとした柔らかなクッキーを歯で半分に割った。音も立てずに割れたクッキーは口の中で粉々になっていく。


(屋敷に帰ってきてないってことは、別のところで寝ているか、本当に仕事をしているかのどちらかじゃない?)


 ルーカスは昔から器用な男ではなかった。愛する妻を亡くした男が自暴自棄になり自分の体を労れなくなることなど、よくある話ではないか。


(ともかく、毎日屋敷に戻ってきて睡眠と食事くらいしてもらわないと!)


 使用人にどうにか聞き出した情報では、今のルーカスは深夜に帰って来て、寝るわけでもなく、溜まった手紙を処理し、また出かける生活なのだという。滞在時間は一時間にも満たない。


 そのためにも、とどまる口実が必要だった。


 本を読んでもらうというアイディアは我ながら良いと思う。前世でも子どものころ、兄に本を読んでもらったことが何度かあった。


 本の内容が気になったからというよりは、本を読む兄の声が好きだったのだ。


 優しく落ち着いた声色。春の日差しのように暖かく、心地良い。六つ年上の兄はいつも優しかった。あの時間だけは、勉学で忙しい兄を独り占めできて気分がよかった記憶がある。


 今のルーカスは聖公爵としてとても忙しいのだろう。その彼の時間を少しでもリリアナに使ってもらわなければならない。


(とりあえず、また会ってやろうと思ってもらわないと)


 リリアナは何度も自分の言葉に頷いた。


 しかし、侍女が重苦しい表情を浮かべてリリアナの元に来たのは、それから僅か三日後のことだった。





 侍女は野良犬と少女のハートフルであろう本を抱えてリリアナの部屋に入ってきた。絶望とも取れる顔色に、察しの悪いリリアナでも分かる。


「申し訳ございません……」

「お父様、嫌だって?」

「旦那様お忙しいと……」


 侍女は目に涙をためながらも泣くのを堪える。思い出すだけで震えるくらいだ。昨晩、よほど怖い思いをしたことだろう。


「本でしたら、わたくしがお読みいたしますので……」

「ありがとう。でも、お父様がいいの。ごめんね」


 リリアナが謝ると侍女は頭を横に振った。


(直接会ってお願いできればいいんだけど、お父様の帰宅は深夜だしなぁ)


 子どもの体とは不思議なもので、夜になると眠くなる。強い意思よりも体が優先だと言わんばかりに、気づくと暗闇に溶けていくのだ。


 前のように部屋の前で籠城しても良いが、結局会話らしい会話はできなかった。なにせ、抱きかかえられてもリリアナは目覚めなかったのだから。随分と寝汚い体である。


(お父様は深夜に帰って来て手紙を処理してまた屋敷を出るんだっけ)


 聖公爵ともなれば手紙の量も半端ないだろう。夜会やサロンへの招待。仕事の手紙に見合い話。妻が亡き今、「娘を後妻に」という声がないとも限らない。エリオットだってそろそろ許嫁を見つけてもいい年だし。そうなると二人分の縁談が手紙として舞い込んでくる。


 手紙の仕分けは大抵が家を管理する夫人が行うものなのだが、今は不在。聖女が暮していたころよりも使用人の数も少ない。最低限で回しているように思える。


(そっか、手紙だ)


 この屋敷にもどってくるとき、手紙だけは見る。つまり、会うことはかなわなくても、手紙だけは見てもらえる可能性があるのだ。


 リリアナはニッと笑った。


「お嬢様?」


 侍女が小首を傾げる。


「なんでもない。いいこと思いついたの」

「いいことでございますか?」

「うん、お父様に会うための秘策」

「どのような秘策でございますか?」

「秘策よ。秘策なんだから、秘密にしないと」


 リリアナはふふふと笑ってみせた。侍女が眉尻を落とす。


「危ないことはダメですよ」

「大丈夫! とっても平和な方法だから!」


 侍女の言葉に胸を張った。


「ロフにお手伝いが終わったら、戻ってきてって伝えてくれる?」


 ロフは今、男手が足りないと他の使用人に頼まれ手伝いをしている。使用人は机だったか本棚だったかを移動させるのだと言っていた。料理長であるオッターすら呼ばれたのだから、相当重いのだろう。


「畏まりました。わたくしには教えてくださらないのに、ロフ様にはあっさり教えてしまうのですね。……本当にお嬢様はロフ様がお好きですね」


 侍女はクスクスと笑う。リリアナはその言葉にはこたえなかった。好きだからロフに教えるわけではない。彼だけがリリアナの正体を知っているからだ。


 侍女に秘策に付き合わせるわけにはいかなかった。だって、リリアナは聖女からの手紙をルーカスに送るつもりなのだから。

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