延宝六年 秋  風魔夜盗 その五

 公儀が動くという事はこういう事なのだ。

 半兵衛はそれを思い知る事になった。

 石川新右衛門との接触から数日後。

 幕府火付改と盗賊改が品川宿と川崎宿を急襲して盗人宿を潰すと、それを瓦版で大々的に江戸の町に流したのだ。

 結果、吉原でもこの大捕り物の話でもちきりとなる。


「幕府のお役人が暴れていた夜盗どもを捕まえたらしい」

「江戸の町に火を放とうとしていたそうだ。おっかないねぇ」

「かなり大きな捕り物だったらしく、逃れた盗賊たちを小田原藩の役人が捕まえたとか」


 そんな吉原の大通りの噂を聞きながら半兵衛はあてもなく歩く。

 少し昔ならば、この話の後に『幕府転覆』なんて言葉が出ていたのだ。

 だが今回の仕儀が示したのは、幕府はこの件をただの盗賊として扱うという事であり、天下が太平に見えると同時にそれを江戸の町民も受け入れたという事でもある。

 半兵衛はそれが少し寂しい。


(由井先生の願いは叶えられたのだろう……だが、この胸にある寂しさは何だ?)


 由井正雪の蜂起も昔となり、明暦の大火で生まれ変わった江戸の町は活気に満ちている。

 あの時江戸の町を騒がせていた浪人たちもこの江戸に適応し、幕府の浪人対策もあって世は太平を謳歌しようとしていた。

 半兵衛は追い詰められている風魔夜盗の事を思う。

 もはや逃れる事はできず、盗人宿から風魔夜盗の事は公儀に漏れているだろう。

 そう遠くない日に、吉原に町奉行が踏み込んで彼らを捕えるのは間違いがない。

 そうなれば彼らはどうなるのか? 死罪になるのだろうか? それとも牢屋に入れられて、そこで死ぬ事になるのだろうか? それは分からないが、半兵衛としては彼らが少し哀れに思えた。


「あの侍の言った通りだ。

 吉原で御暇願いを言ってきた用心棒が四人、忘八者が九人、身請けされた遊女が三人。

 あぶり出されなければ、分からなかっただろうな」


 『蓬莱楼』に戻った半兵衛に蓬莱弥九郎がぼやく。

 吉原に居た風魔夜盗の足取りが掴めなかったのは、彼らの人数が多くてかつ町の色々と所に居た為に互いを庇いあっていた為だ。

 裏返せば、今回のように漏れたならば芋づる式に彼らがばれる事を意味する訳で、彼らは捕まらない為にもばれる事を覚悟でこの吉原から逃げ出そうとしていたのである。


「ここまでやられたら、俺の仕事はないだろう?

 後はお役人に任せてしまえばいいじゃないか」


「俺もそう思うが、河村様にその説明をしろと?」


 二人してなんとも言えない顔で苦笑する。

 半兵衛の仕事の便利な所は、誰がやったかが分かる所にある。

 江戸広しと言えども、御禁制の種子島を用いて仕掛けを行っているのは半兵衛ぐらいしか居ないからだ。

 とはいえ、この数を半兵衛に全て仕留めろというのは無理な訳で。


「捕り物の際に適当に撃つ。

 それでいいか?」


「ああ。それ以上は俺も求めんよ」




 そして、その日が来た。

 吉原の大門の前に大勢の与力・同心たちが集まっている。


「御用である!

 神妙にいたせ!!」


 彼らに囲まれながら、風魔夜盗の者たちが次々に捕縛されていく。

 あきらめる者、抵抗する者、逃れようとする者。

 大門の前での捕り物で吉原の町の者は歓声を上げている。

 幕府が動いているという事で安心しているのもあるし、体の良い見世物と見ている者もいるだろう。

 大門での捕り物は半兵衛が絡む必要はないだろう。

 半兵衛は吉原の四隅に置かれたお稲荷様に手を合わせ、隠していた種子島を取り出す。

 夜の吉原、大門前の捕り物、男女の色欲の時間とあって、この稲荷に人影は居ない。

 吉原はお歯黒どぶと呼ばれる溝で囲まれており、遊女が逃れられないようにしている。

 とはいえ、全く逃れられない訳でもなく、ましてや相手は夜盗に落ちたとはいえ忍びの者である。

 大門の捕り物で下っ端が捕まっている間に、風魔夜盗のお頭だろう男が水蜘蛛と呼ばれる道具を用いてお歯黒どぶを渡ろうとしていた。

 暗闇の中、水蜘蛛で必死に渡ろうとしている男の姿は滑稽であり、哀れにも見えたが、半兵衛はためらうことなく彼の背中を撃った。

 轟音と共に派手な水音が響き、その音に役人たちもお歯黒どぶに集まって来るのを後目に半兵衛は吉原の中に消えていった。



 

 この吉原の大捕物は少しの間江戸の町を騒がした。

 捕まった風魔夜盗は調べで余罪を追及されて、終生遠島の裁きに。

 また、彼らのお頭は逃亡の際にお歯黒どぶで死んでいた事から首を晒すことになり、日々の喧騒の中にこの件はそのまま忘れ去られる事になった。

 その余韻もなくなった頃、半兵衛は隠していた種子島を取りにあの稲荷の方に足を向ける。

 あの時と同じ夜に種子島を回収した半兵衛はお参りとばかりに手を合わせようとして、お稲荷様のお社の屋根の裏に何か挟まっている事に気づく。

 取り出してみると、それはあの風魔夜盗のお頭が隠していたものらしく、この仕掛けの裏が書かれていた。

 きっと、命乞いの為に隠していたのだろう。

 それが使われる事はなかったのだが。

 書状を読んだ半兵衛は誰となしにぼやく。


「……なるほどな。

 酒井様の屋敷を焼こうとする訳だ」


 書状には風魔夜盗に支援をしていた人物の名前が書かれていた。

 越後国高田藩次席家老荻田本繁。

 幕府の仲裁で失脚したお為方の中心人物である。

 太平の江戸の町の闇は、未だ深かった。

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