第163話 復活

 

 ──特に飾り気のない天幕にて、私たちはルチア様と面会した。

 帝国南部が信じられないほど荒らされて、首都スレイプニルも滅びる寸前まで追い詰められている。そんな状況でも、ルチア様は気弱な様子を一切見せず、毅然としていたよ。


 この人には、何かのために殉じる覚悟がある。

 如何なる艱難辛苦に見舞われても、死が確定する瞬間まで、心が折れることは決してない。

 そういう意志の力が、その瞳には宿っているように見えた。


「ようこそおいでくださいました。貴方たちのご助力に、心から感謝致します」


 私がルチア様の存在感に圧倒されていると、彼女は深々と頭を下げてきた。

 私だと役者が違い過ぎるので、ここはバリィさんを前に出す。


「アクアヘイム王国の民として、そう感謝されると複雑な気持ちになるが……」


「全ては、第一王子のアインスが仕組んだこと。わたくしは、そのように理解しております。故に、王国の全てを恨むつもりはありません。わたくしの感謝は、嘘偽りのないものとして、お受け取りください」


「……分かった。それで、皇女様が俺たちを呼んだ理由は?」


「首都を守るために、バリィ殿のお力を貸していただきたい。それと、そちらの聖女様には、兵士たちの回復をお願いしたいのです」


 ルチア様は私のことを真っ直ぐに見つめて、鮮烈な眼差しで『お願い』をしてきた。

 なんかもう、強制力のある命令にしか聞こえない。

 断ることは絶対に許さないって、ひしひしと言外から伝わってくるよ。


 彼女の職業は観測者で、覗き見に特化したスキルを持っている。

 だから、私がロバートさんに行っていた支援は、全部見られていたはず……。


 恐らくだけど、ルチア様は【再生の祈り】を見て、私が聖女だと勘違いしたんだ。

 このスキル、如何にもそれっぽい演出が発生するからね。


「ええっと、私は聖女ではないです……けど、はい……。回復は、了解です……」


 断れる雰囲気じゃないので、私は素直に頷いておく。その直後、天幕に一人の老人が駆け込んできた。

 如何にも魔導士っぽい人で、八脚馬の紋章が縫い付けられた水色のローブと、大きな杖を装備している。

 それから、彼の髪がない頭には、龍の刺青が施されているよ。


「ルチア様っ!! た、大変ですぞ!! 外ッ!! 外を見てくだされッ!!」


 老人にそう言われて、ルチア様は弾かれたように天幕の外へ出る。

 私たちも後に続いて、すぐに目を見張ることになった。

 まず、辺り一帯に降り注いでいた【天地陽光】が、完全に消えているよ。

 三日三晩も続くはずの大魔法が、何故──と疑問を挟む間もなく、原因が判明した。


 コロナガルーダの身体を内側から突き破って、熱エネルギーで形成されているドラゴンの上半身が、外に出ているんだ。

 ドラゴンは既に、自分の翼で飛んでいる。そして、コロナガルーダは生気を失い、全く動いていない。

 【天地陽光】が消えたのは、コロナガルーダが死んだからだろうね……。


 今現在、ドラゴンは食事の真っ最中で、ロバートさんと思しき半人半馬を口に運んでいた。

 丸焦げになっているから、顔は確認出来ないけど……二百五十メートルの巨躯で、別人ということはないと思う。


「ロバート……ッ!!」


 ルチア様は血が出るほど、拳を強く握り締めた。

 後ろ姿しか見えないので、どんな表情を浮かべているのか、私には分からない。

 でも、その心中に激情が渦巻いているのは、痛切に感じ取れてしまった。

 それと、先ほどの老人や帝国兵たちは、絶望に打ちひしがれて、立つことすら出来なくなっているよ。

 

「あちきのロバートが、あちき以外に食べられているわよん……!?」


「参ったな、機を逸したぞ……。今のドラゴンを封じ込めるには、魔力が全然足りない……」


 カマーマさんが頭を抱えて、バリィさんは冷や汗を掻いている。

 コロナガルーダが死んで、ドラゴンだけになった今なら、【規定結界】が通用するはず……。そう思ったのに、まさかの魔力不足。

 ドラゴンが力を取り戻しすぎたので、その分だけ【規定結界】に、沢山の魔力が必要らしい。


「──つまり、ドラゴンを弱らせるしか、ないんですね……?」


「はは……。出来る気はしないが、そういうことだな……」


 バリィさんは乾いた笑みを浮かべて、本心からの弱音を吐いた。

 ローズクイーン、ソウルイーター、シャチ、コロナガルーダ。これらの強大な敵を相手にしても、彼が怖気付くことなんてなかったのに……。

 そんな人が、怯えている。ドラゴンとは、それだけ規格外の存在らしい。


 奴はロバートさんを糧にすることで、更に存在感を膨らませているよ。

 なんかもう、どれだけ強いのか、私には測れない。

 余りにも巨大なものが、すぐ目の前にあったら、全体像が分からなくて、恐怖も何も感じられない。そういう規模の違いみたいなものが、私とドラゴンの間にはある。


 だから、怖くないんだ。怖いと思えないことが、過去に類を見ないほどの、危険信号なのかもしれない。


「る、ルチア様……。その、切り札があったり、しませんか……?」


「あればとっくに使っていますッ!!」


 私がおずおずと問い掛けると、ぴしゃりと怒鳴り付けられてしまった。

 今度はカマーマさんが、レイジーさんに尋ねる。


「レイジーお婆様は、どうなのかしらん? リリア様と一緒に、アレを倒したのよねん?」


「馬鹿なこと言うんじゃねーデス。ドラゴンはリリアが一人で、ぶっ殺しちまったんデスよ。今のあちしの戦闘力は、おめーよりチョイ上くらいデス」


 レイジーさんの自己申告が確かなら、彼女はカマーマさんより強いらしい。

 とても心強いことだけど、それだけじゃ足りないよ。バリィさんの様子を見た感じ、絶望的に勝ち目がなさそうだもの。

 ドラゴンはロバートさんだけじゃなくて、コロナガルーダも食べるみたいだから、多少は時間の猶予がある。


 ……逃げる? いや、まだ出来ることがあるかもしれない。

 とりあえず、兵士たちの回復からだよね。

 私は女神球を浮かべようとして──ふと、思い止まった。


 負傷者が大勢いるという、この状況を利用すれば、切り札が手に入るかも……。


「ルチア様っ、今すぐ神聖結晶を用意出来ませんか!? 大至急っ、一秒でも早く!!」


 私の要求に対して、ルチア様は無駄な問答を挟まず、即座にステホで誰かと連絡を取った。

 すると、帝国軍に所属している魔物使いの男性が、私たちのもとへ走ってきたよ。彼はコレクタースライムを抱きかかえている。

 どうやら、スキル【収納】を使って、神聖結晶を取り寄せてくれるみたい。


「待っている間に、せめて兵士たちの回復だけでも、お願い出来ませんか?」


「まだ駄目です! どうしても待って貰う必要があるのでっ、ごめんなさい!!」


 ルチア様に再びお願いされたけど、私は思いっきり頭を下げて突っ撥ねた。

 今この瞬間にも、生死の境目を越えて、亡くなってしまう人たちがいる。

 そのため、ルチア様は私に、責めるような眼差しを向けてきた。


 ──針の筵で、辛い。


 それから、凡そ一分後。私の目の前に、神聖結晶が用意されたよ。

 ドラゴンはロバートさんを完食した後、熱エネルギーで下半身を形成し、コロナガルーダの身体から出てきてしまった。

 奴は宿主への情なんて、微塵も持ち合わせていないらしく、コロナガルーダを豪快に食べ始める。


「皆さんっ、こっちを見ないでください!!」


 私はみんなに背を向けて貰ってから、神聖結晶に左手で触った。

 こうして、結晶の中に浮かび上がるのは、十二の職業の選択肢。


 『聖女』『異世界人』『商人』『庭師』『音楽家』『盗賊』

 『結界師』『魔法使い』『水の魔法使い』『土の魔法使い』

 『風の魔法使い』『光の魔法使い』


 聖女という職業だけが、これを選べと訴え掛けてくるように、大きく表示されている。

 前々からそうだったけど、今までは厄介事を招くと思って、忌避していたんだ。

 でも、今は違う。この凄そうな職業に、全てを賭けてみよう。


「選んであげるからっ、ガッカリさせないでよ……ッ!!」


 私は観測者から聖女に転職して、すぐに女神球を使った。

 一つ、二つ、三つと、何個も放り投げて、負傷者たちを余すことなく照らし出す。ドラゴンを見上げて絶望していた人たちが、今度は女神球を見上げて、ポカンとしたよ。

 神々しい光が降り注ぎ、瀕死の重傷ですら瞬く間に治って──兵士たちは、騒然とし始める。


「う、腕が……!? 俺の腕が生えたぞ!?」


「ああっ、見える!! 目が見える!!」


 誰かがポツリと、『奇跡か?』と呟いた。それを皮切りに、みんなが祈り始める。


「女神様ッ!! どうか我々をお助けくださいッ!!」


「帝国に……我らの故郷に……っ、どうか安寧をお与えください……ッ!!」


「祈れぇッ!! 女神の祝福だ!! 勝利を祈れえええぇぇぇぇッ!!」


 彼らの祈りの声が、あちこちから私の耳に届いた。

 どれだけ祈られても、女神球にはドラゴンを打倒するような力はない。それはただの、回復魔法だからね。

 でも、みんなの祈りに呼応するように、私の中で清らかな魔力が膨れ上がっていく。

 これだけの人たちから、信仰心を集めているので、聖女の職業レベルが急速に上がっているんだ。

 私は懐からステホを取り出して、最後の頼みの綱である新スキルを確認した。


 ──切り札っ、こい!!

 

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