第142話 さようなら
──スラ丸二号の修行を始めてから、数日が経過した。
私の思惑通り、この子は聖水を噴射する技術を習得してくれたよ。
しかも、身体を捩りながら放水して、スプリンクラーみたいに聖水をばら撒く技術まで、独自に編み出してくれた。やっぱりスラ丸は天才スライムだね。
家に残しておくスラ丸がいなくなったから、分裂させてスラ丸六号を新たな家族に加え、ようやく準備が整った。
私はスラ丸二号をお見送りするために、早朝から家を出て、古巣の孤児院へと向かう。
孤児院は裏路地の奥まったところにあって、荒くれ者とかチビっ子ギャングが徘徊しているんだけど、今の私に絡んでくる馬鹿はいない。
目に見える戦力として、ブロ丸とユラちゃんを引き連れているからね。
この二匹に喧嘩を売れるなら、少なくとも無機物遺跡の第一階層は、余裕で探索出来る。そんな人は、こんなところで腐っていないよ。
こうして、私は何事もなく、孤児院のボロっちい門の前に到着した。
息を潜めて、コソコソと中庭の様子を窺ってみる。
「よしよし、みんな元気そうだね……」
貧しくても、寒くても、雪が積もっていても、ここで暮らしている孤児たちは元気いっぱいだ。
防寒具なんて買うお金がないので、みんな数枚の襤褸しか着ていないけど、楽しそうに雪遊びをしている。雪だるまを作ったり、雪合戦をしたりして、あちこちで大はしゃぎだよ。
軽い凍傷を負っても、マリアさんがスキルで治してくれるし、この世界の人間は結構頑丈だから、雪遊び程度で凍死する心配もない。
「うーん……。マリアさんを一目見たいんだけど、見当たらないなぁ……」
孤児院を卒業した子供たちが、再び孤児院に関わること。それは、マリアさんが許していない。
今の私なら、育てて貰った恩返しとして、色々なものを寄付出来る。でも、そんなことをすると、強盗とかに狙われてしまうんだ。
孤児院を守るために、私の従魔を駐屯させることも考えた。けど、そうやって孤児院を温室にしてしまうと、卒業した孤児が外の世界で生き抜けなくなりそう。
私は聖人じゃないので、卒業後の孤児たちの面倒まで見るつもりはない。
私を殺そうとした孤児仲間、エンヴィみたいな子もいるからね。
……そういえば、エンヴィのことはマリアさんに、なんて説明しよう?
あの子もマリアさんが育てた孤児の一人だから、事情を知ったら絶対に悲しむ。
「こんなの、黙っておくしかない、かな……」
「アーシャ、何を黙っておくんだい?」
「うわぁっ!? あっ、マリアさん!!」
背後から突然声を掛けられて、私が驚きながら振り向くと──そこには、六十代のお婆さんが立っていた。
この人が、孤児院を運営している私の育ての親、マリアさんだよ。
どうやら、買い出しから戻ってきたところらしい。布袋の中に、どっさりとペンギンのお肉が入っている。
「まったく、困った子だねぇ……。卒業したら孤児院には関わらない。そういう約束だろう? 忘れたとは言わせないよ」
「わ、忘れてないです……。ただ、その、スラ丸をダンジョンへ送り届けるために……」
「裏手のダンジョンなら、適当な水路に流しておけば、勝手に辿り着くさね。それで、要件は?」
マリアさんは呆れながら、私にジトっとした目を向けてきた。
聖女の墓標は孤児院の裏手にあって、この街の生活排水が行き着く場所になっている。
だから、彼女の言う通り、私がスラ丸を連れてくる必要はないんだ。
「ええっと……マリアさんが、元気にしているかなって……気になって……」
私は正直に話しながら、荷物を持つ手伝いをしようとした。
それなのに、マリアさんは更に呆れて、頭を振ることで私を制止する。
「元気も元気、頗る元気さね。さ、もう帰んな。ここはもう、あんたの居場所じゃないんだよ」
「うっ、うぅ……っ、冷たい……。久しぶりの再会なのに……っ」
余りにも冷たくあしらわれて、ほろりと涙が零れちゃった。
マリアさんはそんな私に、一瞬だけ微笑み掛けてから、すぐに表情を厳しくする。
「馬鹿だねぇ……。今のあんたの姿を見れば、成功した人間だってのは、一目で分かっちまう。そんな奴と親しげにしていたら、どっかの馬鹿が孤児院の誰かを誘拐して、あんたに身代金を要求するかもしれない……。あたしゃもう、あんたと親しくすることは、出来ないんだよ」
過去に実際、そういう事件があったのか、マリアさんの表情には後悔が滲んでいた。
私が襤褸を着て、変装すれば……いや、駄目か……。どうあっても、リスクを消すことは出来ない。
私のお店は繁盛しているし、私自身も多少は知名度が上がってきたから、変装しても分かる人には分かると思う。
「──スラ丸二号、頑張ってね」
私は当初の予定通り、スラ丸二号を孤児院の庭に放り投げて、そのまま聖女の墓標へと向かわせた。
それから、マリアさんに向き直って、ぺこりと頭を下げる。
「迷惑を掛けて、ごめんなさい……」
謝罪した後は、しょんぼりしながら立ち去るだけだよ。
そんな私の背中に、マリアさんが一つだけ、質問を投げ掛ける。
「アーシャ、今は幸せかい?」
私はハッとなって、心の中で自分を叱りつけた。
マリアさんは、こんな私の姿を見たい訳じゃないんだ!
必ず幸せになるって、約束したんだからっ、笑顔を見せないと!
「はいっ、幸せですよ! とっても! とーーーっても!!」
「フフッ……。そうかい、ならいいよ。これで本当に、お別れさね」
「はい……っ、はいっ!! さようならです!!」
私は笑顔のまま手を振って、駆け足でその場を後にした。
そして、マリアさんに見られなくなったところで、ギャン泣きしてしまう。
「うえええええええん!! うえええええええええん!!」
縁が切れた。大切な人との縁が、切れてしまった。
それは、目に見えないものだけど、私には確かに感じ取れていた。
死別した訳でもなければ、喧嘩別れした訳でもない。お互いに生きていて、親愛の情を抱いたまま、お別れしたんだ。
世の中には、こんなことがあるんだね……。精神年齢はアラサーなのに、知らなかったよ。
恥ずかしいと思う余裕もなく、泣きながら帰路に就くと、沢山の人たちが心配して声を掛けてくれた。
「お、おいおい、大丈夫か……? 店主ちゃん、誰かに泣かされたのか?」
「俺たちがガツンと仕返ししに行ってやるぞ!!」
「馬鹿お前っ、ただの失恋かもしれないだろ!? まずは話を聞いてだな……」
私のお店を利用してくれる冒険者たちと、ギルドマスターのクマさん。
それから、私が利用している屋台の人たちとか、天下の商業ギルドの職員様、ポーション屋のヤク爺、侯爵家のメイドさん、七三分けのお役人さんまで──
「ぐすん……っ、大丈夫……。大丈夫です……」
心配してくれるみんなに、そう言葉を返していたら、実際に大丈夫になってきたよ。
人生は長いから、出会いがあれば別れもあって、それは是非も無いことなんだ。
帰宅した私は、カウンター席に座り、落ち着きを取り戻す。
そして、ローズの隣でゴマちゃんを抱き締めながら、【光輪】と【感覚共有】を同時に使った。
ローズとお喋りして、ゴマちゃんを愛でて、スラ丸二号の冒険を見守る。
【光輪】による並列思考で、これらのことを同時に熟せるから、充足感が大きい。
これでもまだ、思考に空きがあるんだけど……あっ、そうだ。スラ丸が増えてきたから、少し整理しよう。
一号は私の鞄として、常に同行させている。
二号は聖女の墓標を探索中で、現在地は第一階層。
三号はフィオナちゃんに貸し出し中。
四号は王都──かと思ったけど、帝国南部へ侵攻しようとしている王国軍に、何故か同行していた。
数十匹ものコレクタースライムが、一ヵ所に集められており、平然とその一員になっている。このスライムたちは、荷物持ち要員だろうね。
相も変わらず、どうやって紛れ込んだのか不明だよ。
五号は王城で、メイドさんたちのお手伝い。こっちも例の如く、飼い主不明なのに気付かれていない。
六号は私の家で、お留守番。【転移門】の出口にもなるし、倉庫としての役割も担っているんだ。
──スラ丸たちの現状確認が終わったところで、フェニックスの卵を抱き締めているローズが、ふと私に質問をしてくる。
「アーシャよ、この卵はいつ孵るかの? 妾の母性がムクムクしてきたから、そろそろ赤子の顔が見たいのじゃ」
「いつって……いつだろう? 魔物の卵のことは、全然分からないよ」
ローズは寝ても覚めても卵と一緒だから、愛着が湧くことは予想していた。けど、まさか母性に目覚めるなんて……。
冬が終わったら、邪魔だとか思わない? 夏場でも愛してあげられる?
と、私は野暮なことを尋ねそうになって、やめた。愛情に水を差すのは、よくないよね。
「ううむ……。のんびりと待つしか、ないのかのぅ……。よちよち、早く生まれてくるのじゃぞ……」
ローズは卵に話し掛けたり、表面を磨いたりしながら、今か今かとそのときを待ち望んだ。
慈愛に満ちた表情を浮かべているから、思わず『ローズママ』と呼びたくなってしまう。
彼女をガッカリさせたくないので、きちんと孵化して貰いたい。
普通の卵であれば、温めることで孵化を促せるんだけど……フェニックスの卵って、放っておいても温かいからなぁ……。
更に温めるとなると、それはもう調理の過熱になりそう。
うーん……。火属性の魔物の卵だし、フィオナちゃんに魔力を注いで貰うとか、どうかな?
意味があるのか分からないけど、今夜からお願いしてみよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます