月光、雄山を馳せる如く

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第一章 十三夜 其ノ一

 冷たくもやわらかな風の夜。

 一人の小さな旅人が森の中を山の頂へと向かっている。道は険しいが足取りは軽い。芦毛の大きな牡馬を連れ、楽しそうに、半月よりもやや丸みを帯びた月の光に照らされている。

 旅人の背には小刀が一振り。小刀といっても一尺八寸、背からはみ出ており、この日高熾国ひださかのくにの諸刃の剣とは違い、刀身がやや反った片刃刀である。鞘には美しく細かい彫り細工と、幾つかの大きな傷がある。柄巻きも新しくはない。よく使い込まれた刀であった。

 しかし刀を持っているにしては、旅人の防具は馬の背に積んだ右手の籠手一つきり。つけた長手袋と筒袖が緩く広がる楽士のような着物も、刀と全く釣り合っていない。腰には笛。旅人の持ち物の中で一番煌びやかな布に包まれ、刀よりも大切にしっかりと腰帯に結びつけられていた。

 旅人の名はトウヤ(冬芽)。齢十五にしては小柄な少年である。

 夜露に濡れた夏草を踏み、虫の音をすり抜けた先にある小さな沢で革袋に水を汲み、薪や小枝を集めて馬の背に乗せ、木々の隙間から見える月を見上げては嬉々として、山を登り続ける。やがて木々が少なく岩は多くなり、馬の蹄がごつごつと音を立て、トウヤもからからと小さく軽い石を後ろにのける。

 ――月が高い。急ごう。

 群青色の空に、煙のような雲が切れ切れに流れる。十三夜まで、あと三晩。

 ――三晩で、やれるだろうか。

 トウヤは喜びに挑むように唇をひきしめた。

 頂には、ぽっかりとした空間があった。地面には太古の石版で作られた円形陣、大人四人が車座になれるほどの大きさである。

 馬の鞍を外し、火をおこす。陣の外の馬の近くに一箇所。陣の真ん中にもう一箇所。陣の中の火のそばに座り、腰帯に括りつけてあった笛を取り出す。

 目を閉じ、呼吸を整え、笛と己の存在が夜に溶け込むのを待った。風が山々を吹き渡り、獣の声も静まり、夜が深さを増していく。四半刻ほどたった頃、笛を横に構え、ゆっくり静かに息を吹き入れる。

 まずは山の頂から地の底へ響かせる。地に向かった音色はやがて立ち上がるようにトウヤの体を伝って空へと流れ出す。星はなく、さえぎる薄雲も消え、音色は月に向かって強く呼びかける。

 笛一本の宴は、月が遠くの尾根に沈んだ夜明け前まで続いた。


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