竜殺し編・《焔喰らう竜》

第一話・「平穏と不穏を乗せた秤」


 ――ふと、昔のことを思い出した。


 辺り一面がだだっ広い草原――とある人物に出会った。

 掠れた記憶の中にいる人物だが、その人のことはよく憶えている。別に特段印象的な人物というわけではないが、俺にとってはとても重要な人だった。

 その人は当時、まだ小学四年生だった俺のを親身になって聞いてくれた。

 他の誰かに話しても答えのなかった……――いや、他の誰にも話さなかった。俺はその日、初めて会ったその人にそんな悩みを打ち明けた。

 悩みを聞いたその人は一瞬、驚いたような表情をした後すぐに笑顔を浮かべた。そして、真剣に悩みに向き合って、彼なりの答えを出してくれた。答えを聞いた俺は自分の中にあったモヤモヤを解消された気がして、それから少し――なった気がする。

 「――っ、はぁ……――」

 今でもあの人の言葉は胸に残っている。

 何も果たせない……何も成し得ない〝俺〟が、今も前を見て歩いているのはきっと――その出来事があったからなのだろう。


 人との出会いは――

   ――――人生を大きく変えるきっかけになる。


 現在の自分を考えれば、その言葉は的を得ているのだろう。……そういえば、最近兄さんにも似たようなことを言われた。「〝出会い〟ってのは、場合によっては変わらないと思っていた自分のことがある。努々ゆめゆめ、人との関わり慎重に――」、とか言っていた気がする。

 まったく、お節介な人だ。

 そんなことを思いながら、パチリパチリと瞬きを繰り返す。朝日のほのぼのした優しい日差しを受け、スリープモードにあった脳が目覚めてくる。

 「っ――ぅ、はぁ……朝か。――」

 伸びをした後、ベットから体を起こして呟く。

 そして――いつもの朝は始まった。

 目が覚めた後の俺は早い。ベットから出ると洗面台に向い、顔洗いと歯磨きを済ませ、自室に戻り制服に着替える。その後、事前に用意を済ませておいた鞄を持ってリビングに向った。

 ソファーに鞄を投げるように置いた後、すぐさま朝食の準備に取り掛かった。

 チラリと台所に置いてあった置手紙に目を向け、二人分の朝食を用意してテーブルに置く。時刻は午前七時、時間にはまだ余裕があるが、もうそろそろぐうたらしているを起こさなければならない。

 俺はリビングを出て自室の隣の部屋をノックする。

 「春姉はるねえ。朝食出来たから、もう起きてくれ」

 「っん~……――」

 扉の向こうから唸るような声が聞こえる。どうやら目を覚ましてはくれたようだが、この感じ……部屋から出るのにはもう少し時間が掛かる気がする。

 まったく、俺がいなかったら毎朝遅刻確定だ。

 ベットの上で涎でも垂らしながら、眠たげに目を擦っている姿が想像できる人物。そんな彼女に扉越しに呆れた視線を向けた。

 「……はぁ」

 見なくても扉の先が容易に想像できてしまうことに悲しさを覚える。

 そっと扉の前から離れると、リビングに戻り椅子に座って朝食を取り始めた。現在リビングには俺一人、テレビを付けているものの、何となく虚しさを感じる。淡々と食事をしているこの時間、別に一人でいる時間は嫌いではないが、この家にはいつもうるさい人間がいる故、なんだか物足りなさを感じてしまう。

 しばらくして朝食を終えた俺は後片付けを済ませ、台所にあった置手紙を持ってソファーに座った。

 「あばばばば、ヘブッ――!」

 手紙を読み終わりニュースをボーっと聞いていると、ドタバタと大きな音が聞こえた。少ししてリビングの扉が勢いよく開き人が入って来る。

 「ムラマっちゃん、今何時何時何時! 遅刻ッ!?」

 「……春姉、落ち着けcalm down。まだ七時半、全然ってわけじゃないけど、まだ大丈夫」

 頭をぶつけたのか、その人物は額を押さえている。俺は疲れた双眸でその人物に視線を向け、宥めるようにそう声を掛けた。

 「あ、ホントだ」

 「ホントだ、じゃない。というか自分の部屋の時計見るなり、スマホ見るなりすればいいじゃないか?」

 「……ハッ! 確かに!?」

 「…………」

 呆れて言葉が出来ないとはまさにこの事、ツッコミする気力すら湧かない。

 この情報化社会で、最も身近にネットへアクセスできる機器の存在を忘れるとは……。お婆ちゃんですらネットを使いこなすこの時代に(人によります)、その反応は些かどうなのか。

 ――と、妙に達筆な兄の置手紙を持ちながらそう思った。

 そんなことを考えている俺を余所に彼女は鞄を床に置き、テーブルの上に用意された朝食を頬張り始めた。そんな彼女を見て俺も再びテレビに顔を向け、ボーっとニュースを聞くことにした。

 「あ、――」

 少しして春姉が、何かを思い出したような表情してこっちに顔を向ける。

 「、お誕生日おめでと」

 「――……ん」

 ニッコリと優しい笑みを浮かべ誕生日を祝ってくれる春姉。俺は気恥ずかしさから頬を指で掻きながら視線を逸らし、小さく礼を述べた。



 俺の名前は――逆刃大さかばだ叢真むらま

 三雲高等学校の一年生だ。

 成績は上の下、運動も上の下。両方とも多少できるが上位の人間ほどはできない、というまずまずのスペック。可もなく不可もない人生を歩んでいる。

 俺自身、やりたい事や目指したい進路……なんてものもないので、今の状況に特に不満ない。


 言い換え――つまり、である。


 とはいえ、〝目標を持って行動する〟という人間は案外少ないものだ。俺のような人間、探せばいくらでもいる。向上心がないことは問題かもしれないが、目標がない以上、やる気なんて起きようがない。

 進む道が不明瞭な以上、足を止めるのは必然だ。

 まあようは、普通の高校生というやつだ……――と、テンプレなことは流石に言わない。実はそれなりに事情を抱えている高校生だ。


 『……――えー、今日こんにちで星災から丁度七年。未だに残る災害の爪痕は――』


 ニュースでそんな話が流れた。

 テレビには倒壊した民家や高層ビル、土砂に呑み込まれた建物。所々陥没した地面はまるで、月面のクレータのようにでこぼことしている。

 災害による痛々しい映像と共に、テレビの中の人物達が星災について色々と議論している。だが、俺の頭には何一つ入って来ない。

 「星災、か……」

 画面に映った凄惨な光景を目にしてそう呟いた。



 星災せいさい――



 七年前、この町に落ちた隕石を由来にそう呼ばれるようになった大災害。

 隕石の飛来による被害は大したことなかったが、その後、立て続けに多くの災害が発生したことでと呼ばれ、中にはその隕石が災害を呼んだなど言う者もいる。

 地震、津波、土砂、火災、竜巻、豪雨等々……とても何かのせいにしなければ、受け入れられないような酷い状況だった。

 多くの人間が死に、今でも数え切れないほどの行方不明者を出した星災。今こうして俺や春姉が日常を謳歌出来ているのは奇跡と言える。

 チラリ、と視線をハムエッグを頬張っている春姉に向ける。

 逆刃大さかばだ春凪はるな――旧名、浅田あさだ春凪。

 彼女の名は完全に日本人だが、その見た目はブロンドの長髪、碧眼というどう見ても日系人ではない容姿している。それもその筈、彼女の父は北欧のアイルランド出身の外人で母が日本人。

 彼女の母は俺の母親と姉妹で、彼女と俺は従姉弟という関係である。

 そんな彼女の両親は星災で亡くなっている。

 引き取り人のいなかった彼女をうちの兄さんが引き取り、今は俺、春姉、兄さんの三人で一緒にこの一軒家で暮らしている。従姉弟ということもあって昔から関わりのあった俺達は、一緒に暮らしてからも良好な関係を築けていたと思う。

 それに俺達、逆刃大兄弟も星災で両親を亡くしている。同じ痛みを分かち合えたというのも、この関係を築けた理由の一つだろう。

 嬉しいような、嬉しくないような……。

 星災のおかげとは口が裂けても言えないが、星災がなければこんな生活はなかった。複雑な気持ちだ。

 現在に至るまで大きな爪痕を残している星災。七年の月日が経とうと、どれだけ復旧作業が進もうと、あの日多くのモノを無くした俺達のような人間の傷は、そう簡単には癒えない。

 「…………」

 そんな星災が起きた七年前のこの日……七月七日は皮肉にも――


 ――俺のである。


 気が重い……。

 別に俺が何かしたというわけでもないから気に病むことはないんだが、それでも毎年この日を迎えると、どうしようもない罪悪感にかられる。

 正体不明の罪悪感が胸に巣くっている。

 ……いや、――それは違うか。

 そうきっとこの罪悪感の所在は、あの日――事へのものなのだろう。

 答えは明白、正体不明でも何でもない。

 「ねえ、ムラマっちゃん。むー兄ぃは?」

 ふと、朝食を取っていた春姉がそんな質問をして来た。ブルーになっていた気持ち何とか戻し、俺はその問いに答える。

 「兄さんは仕事、しばらくは帰って来ないってさ」

 「えー」

 返答に対して残念そうな声を上げる姉。

 「仕方ないだろ、兄さんあれで結構忙しいんだからさ。今月分のお金は通帳から好きに出してくれ、って手紙に書いてあった」

 そう言いながら兄さんの置手紙を渡した。

 「むー、ムラマっちゃんは大人すぎだぞー」

 兄離れのできないうちの姉はサバサバしたこちらの反応が気にくわないのか、【頬を指で突く】というくだらない嫌がらせをしてくる。

 俺は彼女の手を払い除けつつ、呆れたような声を漏らす。

 「春姉はもう少し大人になってくれ。俺ももう子供じゃない、過保護なのも結構だけどさ、いい加減そのブラコンは直してくれ」

 「もー、そんなこと言って、嬉しいくせにぃー」

 ツンツンツンツン、と激しく突いてくる春姉。流石に鬱陶しくなってきた俺は突きを払いつつ、嫌味で返すことにした。

 「春姉、そんなんだから兄さんには呆れられるばっかりで相手にされないんだ」

 「うぐ――っ!」

 クリティカルヒット――白目を向かせることに成功した。

 俺の言葉がとても効いているようで表情がなんだかしんどそうだ。いつもからかわれてフラストレーションが溜まっているからか、その表情を見ているとなんだかとても気分が良い。

 と、心労が回復しつつある中、春姉が頬突きを再開する。

 「ふ、叢真。そんな言葉でお姉ちゃんが敗北するとでも?」

 「しかけてたじゃん」

 「してない!」

 意地っ張りになった春姉の突きが加速する。

 「痛ッ、ちょ、痛いって春姉! そういう子供っぽいところが、異性云々の視点が消える原因だってっ!」

 「だ・か・ら! 代わりにムラマっちゃんを可愛がっての!」

 「結構だよ!」

 「遠慮しない遠慮しないー、遠慮したところで無理やり可愛がるし」

 深々と頬に指が突き刺さる。

 「横暴――」

 今日も今日とてうちの姉は健在である。



 そんなくだらないやり取りをしている内に時間になった。

 「春姉。先行くから遅れないように」

 鞄を持ってリビングを出ようとしたところで、ソファーの上で寛いでいる春姉に一様そう声を掛けた。この人ももう時間である筈だが、この余裕っぷり……後で後悔してそうだが、それは俺の与り知らぬことだ。

 少々薄情な対応をしているが、春姉にはこれくらいが丁度いい。

 「ん~、行ってらっしゃい~」

 「――――」

 なぜか彼女の声を聞いて動きを止めた。

 「?」

 そんな俺の様子に首を傾げる春姉、少しして俺は動きを再開させる。

 「――ふっ、……行ってきます」

 そう言った後、俺は家を出た。

 この普段のやり取り、日常が心地よく感じて自然と笑みが零れた。

 星災からいつも鬱屈うっくつとした日々が続いていた。それは星災が残した〝厄災の残り香〟、物理的な被害以上に深く刻まれた心の傷――でも、こうしたただの日常がその傷を少しずつだが、癒してくれている。

 でも――――いつかはなのだろう。


 あの日――生きてほしかった人達は死んだ。


 あの日――救おうとした人は救えなかった。


 あの日――薄っぺらい正義は粉々に壊れた。


 何もかもが上手くいかない人生。

 持った能力は何の意味も成さない。どんなに優れたモノを持ったところで価値を発揮できなければ宝の持ち腐れ、伸ばした手が届かないのなら――等しく無意味だ。

 この何の変哲もない日々が救いだというのなら、俺は次にこの平和が崩れた時、迷わずこの手を伸ばせるのだろうか? 次はこの手が届くのだろうか?

 ……

 …………

 ………………


 いや――そんなことは関係はない。


 もし次が来るのなら、俺はきっとまた手を伸ばす。

 失ってしまったモノは決して戻りはしない。ならば、今度は失わないように必死に守って見せる。

 例えそれが――間違いだったとしても。

 例えそれが――何の救いに成らなくても。


 必ず守って見せる、俺の大切な全てを――

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