第4話 一宿一飯の恩

 

 ちゅん……ちゅん……

 

 小鳥の鳴き声が聞こえて朝日の透明な光が瞼の向こうに感じられる。

 

 ここは……?

 

 覚醒しきらないぼやけた意識で記憶を辿っていると乱暴に布団が剥ぎ取られた。

 

 その瞬間全てをはっきりと思い出す……

 

「ちょっと!! 何時まで寝てるつもり!? さっさと起きなさいよ!!」

 

 最悪だ……


 せっかくの目覚めがオカマの怒鳴り声で台無し……


 さくらは金ちゃんの大音量に耳を塞ぎ、眉間に皺を寄せながら再び身体を丸めた。

 

「ふーん起きないの……じゃあ、さっき撮影した、あんたのブッサイクな寝顔、お店の皆に送っちゃおうかしら?」


 それを聞いてガバリと身体を起き上がらせると、金ちゃんの手にはデバイスではなくそろばんが握られている。


 してやったりのニヤニヤを浮かべたオカマを睨みつけて、さくらは再び布団の上で丸くなった。


 すると地面が揺れるのを感じて同時に嫌な予感がする。

 

 

「そーれい……!!」

 

 掛け声一発、敷布団が波打って、さくらは板間の床へと投げ出された。

 


「何すんだよっ!?」

 

 しこたま打った頭を押さえて、目に涙を溜めながらさくらが吠える。

 

「あんたがいつまで経っても起きないからでしょうが!?」

 

 そう言って金ちゃんはちゃぶ台の前に座ると、地面を叩いて来るように促した。

 

 金ちゃんを睨みつけながらさくらは向かいの座布団に座る。

 

 ちゃぶ台には土鍋のご飯と味噌汁に漬物、そして綺麗な黄色い卵焼きと、魚の干物が並んでいた。

 

 

「朝から食いすぎじゃない……?」

 

 さくらがそうつぶやくと金ちゃんは指を左右に振って言う。

 

「ノンノンノン……! ノンよ!? 夜は就寝中に胃を休めるために少食!! 朝は一日の活力にしっかり食べる!! それがあたしの美容と健康の秘訣ってわけ……」


「じゃあ美容には期待できないね」

 

「きー憎らしい!! 覚えてらっしゃい!?」

 

 二人は睨み合ってから手を合わせて「いただきます」を唱えると、しっかり土鍋を空にした。

 

 

「さてと……それじゃ出発しようかしらね」

 

 食器を洗い終えると金ちゃんがおもむろにそう言った。

 

「ねえ……ほんとにあそこで働くの……?」

 

 顔を顰めて尋ねるさくらに金ちゃんは目を細めるとわざとらしく腕を組みながらさくらを指さして言う。

 

「もしかしてあんたビビってるの?」

 

「はあ!? ビビってねえし!!」

 

「図星でしょ!? やーん可愛いとこあんじゃなーい!?」


 お腹をつつこうと両手の人差し指を向ける金ちゃんの手を払い除けながらさくらが怒鳴った。 


「ざけんな!! ただ……迷惑じゃないか心配なだけだし……」

 

「ま! 小娘がオカマの心配なんて百年早いわよ!!」

 

 そう言って金ちゃんは外に出た。

 

 出口のないこの場所から降りるには、金ちゃんに抱えられて飛び降りる他道はなく、さくらは渋々金ちゃんについていく。

 

 外に出ると金ちゃんはまるで和式便所に跨るような恰好でこちらに背中を向けていた。

 

「何……? キモいんだけど……? トイレ……?」

 

「違うわよ!! おんぶよ!! お・ん・ぶ!! それともまた抱えて跳ぶ気なわけ!?」

 

 さくらは全力で嫌そうな顔をしながら金ちゃんに歩み寄ると大きく溜め息をついて背中にしがみついた。

 

「そいや……!!」

 

 金ちゃんはそう言ってさくらをおぶり直すと屋上のフェンスに飛び乗った。

 

 ネオンの消えたNEO歌舞伎町は灰色で、まるでスラムのように見える。

 

 見渡す限りの灰色の街に、さくらは内心溜め息をついたがすぐにそんなメランコリックは消え去った。

 

「ぎゃああああああああああああああああ」

 

 金ちゃんはトン……とフェンスを蹴って、まっすぐ地面に落ちていく。

 

 急速に近付く地面にさくらは思わず死を覚悟したが、金ちゃんは電線を踏みつけて、反動でトランポリンのように跳び上がった。

 

 上へ下へと屋根やひさしに飛び移りながら、瞬く間に景色は流れて行く。

 

「あそこの角を曲がればお店が見えるわよ!!」

 

 そう言って金ちゃんは背中のさくらを振り返った。

 

 先程は強がってみたものの、本当は緊張でいっぱいだった胸が、その言葉を聞いてギュッ……と引き締まる。

 

 向かいのビルの壁を蹴って金ちゃんは角を曲がると、地面に着地して立ち止まった。

 

「何? 行かないの……?」

 

 立ち止まったままの金ちゃんの背中でそう言ってから、さくらは金ちゃんの後頭部を避けて顔を出す。


 目に映ったのは破壊し尽くされたミッドナイト・ルージュと、店の外で座り込む白鳥スワン達だった。



 さくらを地面に降ろし、金ちゃんがガニ股で店の方へと歩いていく。

 

 座り込む白鳥達の前まで来ると、金ちゃんは片膝を立てて一人の肩に手を置いた。

 

「何があったの? 話してちょうだい」


 白鳥達は一斉に顔を上げると、目に涙を溜めて言った。


「金ちゃ〜ん……」


 夜通し泣いた白鳥達のメイクはずぶずぶに崩れ落ちている。


 白鳥達はその顔をさらにくしゃくしゃにして声を震わせて咽び泣いた。

 

「金ちゃんが行ったあと、昨日の連中がまた来たの……」

 

「それも今度は大勢仲間を連れて……」

 

「アタシ達……何にも出来ずにお店を壊されて……」

 

「店の権利書も全部盗られたの……」

 

「それに……それに……アタシ達の舞台が……」

 

 

 そう言って白鳥達が指差す先には無惨に破壊された舞台の残骸と、引き裂かれた垂れ幕、そして蛍光グリーンのスプレーでデカデカと書かれた『バケモノお断り』の文字が見えた。

 

「こんなのひどい……」

 

 さくらは思わずそう呟いて、金ちゃんの顔を見上げた。

 

 金ちゃんは口を真一文字に結び、その目には静かに炎が揺らめいている。

 

 無言で金ちゃんが立ち上がると後ろから声がした。

 

 

、アンタ何処行く気だい?」

 

 振り向くとそこには藤色の着物を来た、背の低い老婆が立っていた。

 

 キセルを吹かす老婆を見て金ちゃんが静かに呟く。

 

「ママ……」

 

「何にもしでかすんじゃないよ? 全員命があったんだ。大騒ぎするほどのことじゃないよ!」

 

「何言ってんのよ!? ここはママの大事な店でしょ!?」

 

「馬鹿言うんじゃないよ!! 戦後復興の時に身寄りのない白鳥達を集めて始めた暇潰しみたいなもんだよ!! 時代も変わった……流行りもしねえ。白鳥達が無事ならそれでいいんだ!!」

 

「違うでしょ……? 戦争で死んだおじいさんとの思い出の店だって言ってたじゃない!!」

 

「……忘れちまったね。歳は取りたくないもんだよ……」

 

 

 そう言って老婆は目を逸らした。

 

 すると白鳥達が次々と口を開く。

 

「実はこの辺り、ずっと前から地上げ屋が買い漁ってたの……!!」

 

「それで周りはほとんど売っちゃったんだって……」

 

「復興前からこの土地の権利を持ってたママが、あいつらきっと目障りだったのよ……!!」

 

 

「アンタも噂くらい聞いたことあるだろ? ……ここを襲った連中のバックにいるのは、ここらを開発しようと思ってる中華マフィアだよ。命があったんだ……それでよしとするしかない……」

 

 

 金ちゃんはそれを聞いて立ち上がり、帯から刀を抜いて鞘の真ん中を握ると、刀を地面に置いて片膝をついた。

 

 立てた左膝に手を乗せ、右手で地面の刀を握り頭を下げた金ちゃんが言う。

 

「金剛武志……一宿一飯の恩義をお返しする時が参りました」

 

 侍は面を上げると、まっすぐに老婆の目を見据える。

 

 侍の瞳に宿る輝きを見て取り、老婆は思わず声を荒げた。

 

「ケツの青い青二才が生意気言うのはおよし!! 相手は中華マフィアの軍団だよ!? そんなのに喧嘩を売っちゃ命がいくつあっても足りないよ!!」

 

「ここで恩義に報いずにおめおめと逃げ出すようならば、それがし二度とお天道さまに顔向け出来ますまい……」


「何より……ママの魂と白鳥達の魂を……土足で踏みにじるような輩……士道に賭けて見過ごすわけには参りませぬ……!!」



 

漢女オカマ一匹……咲かせてみよう金の魂……!!」

 


 金ちゃんは歌舞伎役者のように見得を切ると、店に背を向けガニ股で歩き出す。

 


「ママとアンタ達の魂……薄汚い鬼畜共の魂じゃお釣りがいくらあっても足りやしないわよ……!!」


「顔洗ってメイク直して、あたしの帰りを待ってなさい……!! 権利書……取り返してくるわ……!!」

 


 背中越しに語る金ちゃんのその目には、鬼気迫る修羅の炎が揺らめいていた。

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