第33話 小さな異変

 家の外に出る。


 今日は晴れていた。


 オレは大学へと向かう。


 なぜか道を間違えてしまった。

 いつも通っている道のはずなのに。


 大学の近くで、挨拶をされた。

 挨拶を返す。


 なぜか怪訝な顔をした人が遠くにいた。

 オレを見ていやそうな顔をしている。

 その人はオレとすれ違うとき、大きく距離を話してすれ違った。


 なぜだろうか。


 なんとなく、今日はぼんやりしている気がする。


 大学について知り合いと話して、そのあとに柊と会った。


「おはよう柊さん。今日はいい天気だね」


 柊はオレを見るなり、少し困ったような顔をした。


「……慧くん。大丈夫?」


「なにが? 大丈夫だよ。さあ、今日も調べよう」


「なんだかいつもと様子が違う気がするんだよね……。あとさっき、電話でもしてた?」


「え、してないけど」


「……そうなんだ。なにか、一人でしゃべっているように見えたから」


「一人で? そんなことないと思うんだけどな」


 あれ。オレは何をしていたっけ?

 思い出せない。



 柊は聞き込み、オレは黒磯ゼミで論文を読むことにした。


 黒磯ゼミの学生はもうオレにも慣れたのか、得に話しかけてくることはなかった。

 オレは彼にも笑顔で挨拶をした。


 彼は一瞬戸惑った様子になって、それから挨拶を返してきた。



 オレは先日読むリストに加えた論文を読み始める。



 少しずつ、頭のもやが晴れてすっきりとしてきた。



 オレは田中と桑名の論文をじっくりと読み込んだ。

 オレは二人の研究の進展と精神状態の変化を論文を通じて理解しようとしていた。

 また、何か気付くことがあれば、とも思っていた。


 田中と桑名の初期の論文では、二人の研究分野や興味の方向性が異なっていることがはっきりとわかった。

 田中は心理学の理論を応用した実験に注力しているようで、特に人間の感情や行動の背後にあるメカニズムを解明しようとしていた。

 一方、桑名の研究はもっと実践的な心理カウンセリングの手法に焦点を当てており、新しいカウンセリングモデルの開発に情熱を注いでいるようだった。



 だが、読み進めていくうちに違和感がひどくなる。


 最後の論文になると、二人の研究のトーンと内容が驚くほど似ていることにオレは気づいた。

 両者ともに、人間の精神状態に影響を与える外部からの刺激や、心理的な圧力が人の意思決定や行動にどのような影響を与えるかに深く迫っていた。

 さらに、これらの論文は特に「意識の操作」や「心理状態のコントロール」といったテーマを探求していた。


 この手法は意志誘導、マインドコントロールなどにも使えてしまうのではないか、とオレは思った。


 しかし、それは車や包丁を怖がるようなものかもしれない。

 あれらは使い道を間違えれば凶器となりうるが、想定されたとおりに使えば、これ以上ないほど役立つ人類の英知だ。


 ともかくオレはこの点に深い関心を持った。

 二人の研究が最終的に同じようなテーマに収束していることだ。


 そしてそのテーマが彼らの精神状態の崩壊と密接に関連している可能性を考えると、網代は二人が何らかの共通の影響を受けていると推測した。

 もしかすると、彼らの研究が進むにつれて、自らの研究によって心理的な影響を受け、それが彼らの精神状態を不安定にしたのではないかとオレは考えた。


 いい方向に人を操るということは、誰かに操られる可能性にも気付くだろう。

 すべての人間の言葉や行動に意味があり、それが自分に影響を与えている。


 それが意識的に行なわれていたら?


 そんな妄想を続けていけば、精神状態はおかしくなっていくだろう。


「これは……二人とも、自分たちの研究によって何かを感じ取っていたんだろうか。それとも、研究自体が彼らに何らかの影響を与えてしまったのか……」

 オレはぼんやりとそう呟いた。


 彼らは、自らが研究した心理学の内容のせいで、精神を病んでしまった可能性がある。


 もしそうだとすれば、それは事故のようなものだ。


 オレはその考えをミライコに送った。

 するとミライコはオレの考えの通りの可能性も存在するといっていた。


 もう少し論文を読み込んでみよう。



 窓の外を見る。

 今日は晴れていた。


 オレが論文を読んでいると、いつもの学生とは違う学生が現れた。こちらは女子学生だ。

 論文に没頭している間に、いつもの学生はいなくなっている。


 オレは論文を読みながら、彼女と楽しく会話をかわす。


「あはは。網代さんって、面白いんですね」


「そうかな。そうでもないと思うけど。君が聞き上手なんじゃないか」


 そんな楽しい会話をしながらオレは論文を読んだ。




 こんこん、とノックがある。

 どうぞ、と言っていいかどうか迷った。

 しばらくして、扉が開く。


「慧くん。お疲れ様っ。こっちは進展があったよ。そっちは? 外まで楽しそうな声が聞こえたけど」


「ああ。柊さん、こっちも少し考えてみたよ。それとこの人は――」


 女子学生を紹介しようと後ろを振り返る。




 そこには誰もいなかった。




「あれ。奥へ行ったのかな……?」

 オレは彼女の名前を呼ぼうとした。


 だが、思い出せない。

 もしかすると、聞いていなかったのかもしれない。


 パーテーションで仕切られた奥の部屋に声をかけるが、返事はなかった。


 もう一つ外へとつながる扉があるので、そちらから出て行ったのかもしれない。




 柊は怪訝な顔でこちらを伺っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る