3.男子学生バイトを雇いたい男


「ごめんください」


 カラカラと気持ちの良い音を立ててさくらが玄関を開けると、人のよさそうな家政婦さんが出迎えてくれ、少し経ってから白井が現れた。


「白井さん、こんにちは」


「よく来てくれたね」


 笑顔で登場した”白井さん”は、身長が高く細身で、濃藍の着流しがよく似合う格好いい男性だった。年の頃は二十代後半くらいだろうか。「上がって上がって」と促され、靴を脱ぎ揃えて上がりかまちのひんやりした感触を靴下ごしに堪能してから目の前のスリッパを履く。


「お邪魔します」


「こんにちは、初めまして。お邪魔します」


 昨今では祭りの日にもあまり見ることがなくなった男性の和服姿に戸惑いながらも、蓮は会釈して挨拶の言葉を絞り出した。さくらは既に何度か職場の先輩に連れられて来たことがあるとのことで、特に緊張はしていないようだ。


「こんにちは。駅から歩いてきたんだよね。暑くなかった? 冷たい飲み物あるからね」


 白井が徒歩で来た蓮たちを優しい声で労ってくれる。


「あ、あの、お気遣いなく。徒歩でもそれほど暑くなかったです」


 にこにこと笑うだけで言葉を発しないさくらの横で蓮がやんわりと断りを入れると、彼は驚いた顔をしてこちらを凝視してきた。


「礼儀正しい若者だなぁ」


「親と姉の躾と教育がよかったんですよ」


 さくらが茶々を入れると、柔らかく目を細めて姉弟を見る白井。今のところ”闇バイト”とは無縁そうだが……、これから彼はどう出てくるのか。自分の態度をほめられたことで安堵はしたが、話を聞いてみないことには何もわからないと、蓮は気を引き締める。


「ではお二人、こちらへどうぞ」


 どこからか入ってきた清涼な風とともに、蓮とさくらは白井の案内する部屋へと美しい木目の廊下を歩いた。



**********



 通された部屋は応接室ではなく、白井の自室だった。書斎のような本棚や大きめの机と椅子が置かれていても圧迫感を覚えさせないほどの広さで、ソファやローテーブルまである。家政婦さんが持ってきてくれた透明な氷入りの麦茶と高級そうなお茶菓子を前にして、蓮は無言になっている。さくらと白井が楽しそうに話を始めてしまい、割って入ることができないからだ。「あの店のランチで出るパンは最高」だとか「パクチー好きにはあの多国籍料理店がいい」だとか、そんな話題が次から次へと飛び出してくる。勧められて座った固めのソファの座り心地はいいが、さほどグルメや流行に詳しくない蓮にとっては居心地が何となく悪い。蓮は無意味に尻の位置を少しだけずらしてみた。


「ああ、申し訳ない。青山さん……、お姉さんと話していると楽しくて」


「えっ、いやあの、大丈夫です」


 普段さくらは青山さんと呼ばれているんだな、などと脳みその端っこでよけいなことを考えてしまい、返事がおろそかになってしまう蓮。横ではさくらが麦茶を飲んでいる。


「バイトを雇いたいのは本当なんだ。じゃあ……まずは自分のことから説明しよう」


 それまでとは打って変わって真剣な表情になった白井を正面に見て、蓮も同じく真剣な顔つきでうなずいた。


「僕はこの通り、太い家に生まれた。大学を卒業してからは年中ふらふらと海外や国内の様々な地域を渡り歩いたりしていたんだ。両親も許してくれていたからね」


「そうなんですか」


 蓮が相槌を打つと、白井は少し寂しそうに微笑んだ。


「でも、そんな生活にもそろそろお別れしないといけないんだよね……」


「そりゃ、ご両親は経営学を修得した息子に継がせたいでしょうし。いつまでもふらふらなんてできないですよね~」


「ご両親に会社を任されるとかですか?」


 失礼なことをするなと言っていたさくらの方が失礼だよね……と言いたいところを我慢し、蓮はそんな姉の言動を苦笑いで受け流す白井に先を促す。


「うん。父の会社を一つ任されることになった。そちらに時間を取られることになるから、今やっていることに手が回らなくなるんだ」


「なるほど、そこでバイトを雇いたいと。大体でいいんですが、何人くらいになる予定ですか?」


 仲間がいると安心かもしれないな、という安易な考えで質問してみる。


「一人だけだよ。蓮くんだけ」


「一人だけ?」


「うん、もう採用決定だし」


「さ、採用決定? まだあまりお話できていませんが……」


 真面目な顔で「うん」とうなずく白井。


「えーと、その、えっと、つまり、ということは、僕一人でもできそうな仕事、ということでしょうか? 力仕事、ですかね、大丈夫でしょうか?」


 びっくりしてしまい、出てくる言葉がまたおかしくなった。全く驚きもせず「この麦茶おいしいなぁ」などと呑気にしているさくらが恨めしい。一緒に驚いてくれ、と、強く念じてみたが効果はなかった。


「大丈夫だよ。異世界転生者用の商品を買い付けてきて販売する仕事なんだけど、力はそんなにいらないんだ」


「い……」


 白井が蓮と目を合わせようとしているが、そんなことに構っていられない。今この人は何と言った? 転生者って、この現実世界から異世界に転生した人という意味で合っているのか? いやそもそも、異世界ってどの世界のことなんだ……?


「異世界……転生者、用……?」


 様々な疑問が浮かんでいるのに質問もできず、『ありえないものを見たり聞いたりすると目の前が白くなるって本当なんだな』と、蓮は天井に視線を上げることしかできなかった。

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