隣の席の小鳥遊さんは、距離がおかしい。

沙月雨

第1話 隣の席の住人

俺————天馬てんま水湊みなとには、隣の席の住人がいる。



「おい、小鳥遊たかなしぃ! 授業聞いてるのか!?」

「聞いてます」


『Fight!』



そんな声と同時に、どこからか―――――『彼女』が持っているスマホから音が鳴る。



(………………明らかに聞いていない)



何十度目かのそんな予想を立てながら、俺は素早く指を動かす彼女を見つめて、そして憤慨する教師を見比べた。



「じゃあここの問5を解いてみろ!」



無駄なことを、と小さく口の中で呟き、俺は視線をもう一度彼女に戻す。

入学から三か月経っている今もなお何度も同じことを繰り返す教師に呆れと同情、そして一種の尊敬を抱きながら、俺はチョークを持った彼女の後姿を見つめた。



「小鳥遊! 答える時ぐらいスマホを置け!」

「はあ」



目を細めながらそう答えた彼女は何度か操作した後にスマホを教卓の上に置き、今度こそ黒板にチョークを走らせた。

カッ、カッ、と小気味よくなる音はかつてはクラスメイトを騒がしくさせたが、今は静まり返っている。


ものの数十秒で答えとなる場所を書き終えた彼女は、最後にその上に手を伸ばした。


問題文の『5』に、『x』という字が付け足される。



「ここ、間違ってますよ」



さらりとそう答えた彼女は、ことりとチョークを置く。

悔しそうに歯ぎしりする教師を一瞥して、彼女は置いたばかりのスマホを手に取ると、すぐに視線を落としてまた指を忙しなく動かしだした。



「おお…………」

「すげえ………」

「さすが小鳥遊さん………」



そんな周りのざわめきが聞こえないように堂々と歩く彼女にクラス全員の視線が集まる。

そして次の瞬間、小気味よい効果音とともに、低い男性の声が響き渡った。



『You win!!』



それを聞いてふうと息をついた彼女は、目的の場所に辿り着くと、近くにあった椅子を引く。



小鳥遊たかなし玲奈れいな

今日も今日とて格闘ゲーム―――――いわゆる格ゲー、というものをしている彼女は、何事もなかったかのように―――――俺の隣に座った。






◇◇◇◇◇







小鳥遊玲奈、と聞いたら、きっと多くが入試、そして定期テストでもずっと一位を取り続けている女子生徒を思い浮かべるだろう。


しかし、その認識は間違っている。


いや、正確には間違ってはいない。

だがしかし、そこにはクラスメイトだけが知っている彼女の特徴が、もう一つある。



「―――――じゃあ、隣の席同士で意見交換して」



社会の時間―――――意見交換の時間が最も多くある教科でもあるそれは、案の定開始から十分ほどでその時間を設ける。

今日こそは、と思った俺は、隣の席の彼女―――――小鳥遊さんが席を立つ前に・・・・・・・・・・・・バッと隣を振り返った。



「た、小鳥遊さっ、ん……………」

「……………なに?」



しかし、やはりというべきかいつも通りというべきか―――――まあどちらもあまり意味は変わらないのだが――――――隣の席に彼女はいない。

つい三秒ほど前は隣の席にいたはずの小鳥遊さんが、スマホを片手にいつの間にか教室の端にいるのを見て、俺は思わずため息をついた。



「今日もダメだった……………」



思わず項垂れてしゃがみ込むけれど、目的の人が近づいてくる気配はない。

むしろどこか様子をうかがっているようなその雰囲気に、俺はもう一度ため息をつきたくなるのを何とか堪えた。



「またやってる、あの二人」

「天馬くん頑張れー」

「大丈夫、心を開いてくれる日は近いさ…………多分」



クラスメイト……………もとい野次馬ギャラリーは、ある人は独り言、ある人は俺に向けて声をかけると、そいつらは何の問題もないみたいで自身の意見交換に戻っていった。

正直、死ぬほど羨ましい。



小鳥遊さんは――――――距離がおかしい。



ちなみにどのくらいおかしいのかというと、窓側最後列の俺に話しかける際、なぜか反対方向の廊下側に移動して喋ろうとするくらいおかしい。


というか、ぶっちゃけ聞こえない。



「……………で、だから………」

「た、小鳥遊さ、」

「なに?」

「………………何にもないです」



そして俺は、何か言えるほど、彼女と仲良くない。



(……………詰んだ)



ちなみに入学して三か月、一回も席替えをしていないのはこれ小鳥遊さんが原因である。






◇◇◇◇◇







「お前、いい加減何とかしろよな」

「できるもんならとっくにしてるよ!」



呆れたように声をかけてきた友人―――――ちなみにこいつも小鳥遊さんの件で声をかけてきた一人である―――――は、パンを咀嚼しながらため息をつく。

それにやや涙声で返した俺に、そいつは「女々しいやつめ」というと、ビシリとその人差し指を俺に向けた。



「いいか。一回はきっぱりぐらい言った方がいいんだぞ?」

「やってるよ! できるもんならとっくにやってるよ!」



それができないから困ってるんだ! と小鳥遊さんがいない今叫ぶと、その声を聴いたクラスメイト達が苦笑……………というよりはやや生ぬるい視線で俺を見た。


そして先ほどアドバイスという名の無責任な言葉を言い放った友人の口元さえも笑っているのが見え、俺は半眼で口を開く。



「……………さては面白がってるだけだろ」

「大正解」






――――――とは言ったはいいものの、いい加減打開策が見つからないことに気が滅入ってたところである。

最終手段であったそれをそろそろ解禁するべきか、と国語の授業中に思い悩んでいると、今回もペア同士の時間がやってくる。


しかし覚悟は決まっていないし、今日もとりあえずいつも通り頑張るか、と思った瞬間、俺は自分の目を疑った。


スマホを片手に彼女が席を立つのは、いつも通りである。

そして、その繊細な機器から渋いおじさんの声が聞こえるのも、いつも通りである。


しかし。



(なんか、いつもより遠い)



「…………、……………」



というか聞こえない。やっぱり聞こえない。何もかも聞こえない。

怖いことで有名な先生が…………そして今まで意見交換という時間がなかったから今まで助かってきた国語の先生が、こちらをじっと見ているのが分かる。



そして、何故か小鳥遊さんもこちらを見ている。



そんな間にも先生がじっとこちらを見ている。もといだんだん睨んできている。

なんでお前らは話していないとでも言いたげだ。怖いし逃げられないこの恐怖。何の地獄だろうか。



俺は小さな、けれど莫大なエネルギーを必要とする勇気と、怖い先生に怒られる恐怖を天秤にかけ――――――迷っている間もなく数秒で判断を下す。



「たっ、小鳥遊さん、ちょっと距離が遠…………いや近!近っっっ!!!」

「……………?」


『You lose!』



いつも通り、おっさんの声が聞こえる―――――が、それはいつもよりも近い。




(―――――やっぱりこの人、距離がおかしい!)






先ほどまで五メートルぐらい離れていた人が、目の前にいた。








――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





次の話は十時頃に公開予定です。




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