第46話 知らせておきたい情報

 その日の夜、本部より帰還したルティスは同行していた部下に解散を告げ、アルヴァーとともに一階の廊下を歩いていた。

 深夜ということもあって、支部内に残っている隊員は少ない。

 静寂の中、二人の足音だけがやけに響いている。


「アルヴァー、彼女の様子は?」


 昇降機に乗りこむや否や、ルティスはそう問うた。

 向かい合わせで壁にもたれたアルヴァーが、小さく息を吐いて首を横に振る。


「だめだ。あいつ食事はおろか、水一滴だって飲もうとしねぇんだ。このままじゃ、あいつの身がもたねぇよ」


 アルヴァーの言葉に、ルティスはわずかに視線を落とした。


「……本部からは、『どんな手を使ってでも、ヴァンパイアの隠れ家を吐かせろ』、とのお達しだ」

「おまえまさかっ……!」

「できたらとっくにやってるよ」


 自嘲ぎみに笑みをこぼしたルティスは、おもむろに天井を見上げた。

 自白剤を投与するのはたやすい。

 だが、ルティスはその判断を迷っていた。


「本部はどうあっても、エルザを罪人にしたいらしいね。僕たちの話には耳も貸してくれなかったよ」

「はっ、それでおいそれと逃げ帰ってきたのかよ」

「まさか」


 エルザの無罪を証明するためには、それに見合うだけの対価が必要となる。

 そこまでの譲歩を本部に認めさせただけでも、今回の直談判には意味があったと言えるだろう。


「幸い、まだこちらには切り札が残っている。本部の思いどおりにはさせないさ」


 そう言ってルティスは、眉間にしわを寄せ難しい面持ちをしたままのアルヴァーを見遣る。

 陰ながら部下たちに「なにを考えているかわからない」と言われる笑顔を向けられたアルヴァーは、まるでなにかを察しているかのように口角を上げる。


「頼りにしてるぜ、隊長」

「きみにそう呼ばれるのは、なんだか気持ち悪いね」


 軽口をたたきながら昇降機を降りた二人は、まっすぐにエルザの収容されている牢へと足を向けた。

 人払いされた地下牢は、シン……、と静まり返っている。

 どこかでネズミでも駆けずり回っているのか、小さな足音が暗がりのほうから大きく反響していた。


「エルザ、調子はどう?」


 片膝をつき、ルティスは鉄格子の向こうへと声をかける。

 だがやはりエルザに反応はない。

 意思のない瞳をぼんやりとひらいたまま、彼女はただ目の前の地面を視界に映しているだけだった。

 だがルティスは、そんなエルザの様子に落胆するわけでもなく、ひとつ息をついて再び口をひらいた。


「きみに、知らせておきたい情報がある。これはまだ、本部にも報告していない案件だ」わずかに声のトーンを落としてルティスが言う。


「ヴァンパイアの棲みかを、発見した」


 それは、本部に向かう直前に入手したばかりの情報だった。

 彼はあえてその情報を本部へは報告しなかったのである。

 ヴァンパイアの首と引き換えに、エルザの無罪を勝ち取るために。


「十日後、イースト支部で討伐に出る」


 討伐任務から帰還した隊員からの報告に、ルティスが自分の耳を疑ったのは記憶に新しい。



 逃げた手負いのグールのあとをつけた隊員は、あわよくばグールの棲みかを発見できればと考えていた。棲みかさえ判明すれば、敵を一網打尽にすることも可能だと思ったからだ。

 そんな彼の目の前に現れたのは、ひどく廃れた古城である。


 城門の前に、男がいた。


 グレーの髪をオールバックにまとめ、ステッキを手にした男は不敵に口元をゆがめている。

 一見すればヒトと変わらぬ出で立ち。だが一般人がこんな場所にいるはずがない。

 もとより、血に飢えたグールが向かってきているのだ。ヒトであれば、すぐにでもやつの餌食になってもおかしくはない。

 しかし男は口元をゆがめたまま、微動だにすることなくグールを見ている。

 隊員は飛び出したい気持ちをおさえながら、じっとその光景に目を凝らした。


 次の瞬間、男は助けを求めるようにすがりついてきたグールの肉体を、その長く鋭利な爪で切り裂いた。

 そうして無造作に、指先に付着した血をゆっくりと舐め取った。

 ひどく狂気的な目が、妖しくきらめく。

 男は肉塊を一瞥すると、霧にまぎれて城内に姿を消したのだという。



 ルティスがひととおり話し終えたあと、地下は沈黙に包まれた。

 地上からのすきま風が、地下牢に気味の悪い音を奏でる。


「……ふふっ」

「「っ!?」」


 いままでなんの反応も示さなかったエルザが、ゆっくりと首をもたげた。

 気だるげに頭を上げた彼女は、まっすぐにルティスとアルヴァーを仰ぎ見る。

 その瞳は獲物を見つけたときのように爛々と輝き、乾燥した唇が小さく弧をえがく。


「お前っ……!」


 はじめて反応を見せたエルザに、おもわずアルヴァーが手を伸ばそうとしたときだった。


「っ!? くっ……! アルヴァー!」


 突如として金縛りにでもあったかのように、体がいっさい動かない。

 鋭い気配が背筋を切り裂くように走り抜ける。

 意識ははっきりとしているのに、指先一本ですら動かすことができない。


「どうなってやがる……!」


 二人同時に金縛りにあうなど考えられない。

 一瞬、エルザによるものかと思ったが、彼女にそんな能力があるなどとは聞いたことがない。

 ルティスとアルヴァーは内心の焦りを隠せなかった。

 自身の身になにが起きているのか、まったく理解できない。

 どこからともなく立ちこめた霧が、ルティスとアルヴァーの足元にまで迫ってきていた。

 濃い霧に覆われた暗がりから、石畳を蹴る足音が徐々に近づいてくる。


「おじゃましますわぁ♪」


 この場に不釣り合いな少女の声が、地下空間に喜々として反響した。



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