第29話 アタリ

「やっぱり! エルザさんじゃないっすか!?」


 視界に飛びこんできたのは、白色の服に身を包んだ隊員だった。

 それはまさしくクルースニクの制服であり、エルザ自身もつい最近まで袖を通していたものである。


「こんなところでなにしてるんです? みんなめちゃくちゃ捜してるんすよ!」


 見慣れた制服に目を奪われている間に、隊員は人混みをかき分けながらエルザの目の前に駆け寄ってくる。


――うちの、支部のやつか……?


 彼は祭りの警備にでも駆り出されたのだろうか。

 エルザのことを知っているとなると、彼はイースト支部の隊員なのだろう。

 ということは、この町はイースト支部の管轄内ということになる。


「ねぇ、ここはどこ?」

「なに言ってるんすか。ここはエッケシュタット、最果ての町っす。まさかこんなとこにエルザさんがいるなんて」


 そう言って、隊員はベンチに座ったままのエルザの腕を強引に取った。


「エルザさん、一人っすか? 副隊長も近くにいるんで、オレたちと一緒に帰りましょう!」

「あ! おい、ちょっと待っ」

「副隊長ぉー、副隊長どこっすかぁー!?」


 エルザが制止する声を無視して、彼は大股で人混みの中へと彼女を引っぱっていく。

 エルザはおもわず、助けを求めるように周囲を見回した。

 だがどこにもギルベルトの姿はない。


――ギルっ、早く……!


 きっともうすぐ、飲み物を持った彼がここへ戻ってくるはずなのだ。だからここから離れるわけにはいかない。

 エルザは腕を引かれながらも、抵抗の意味を込めて地面に足を踏ん張った。


「エルザさん?」


 かたくなに動くまいとするエルザを不審に思ってか、隊員が振り返ろうと肩を引いた。


「――っエルザ!!」


 聞き慣れた声が、エルザの鼓膜を震わせる。

 目の前の隊員が何者かに突き飛ばされたように視界から消え、つかまれていた手が遠ざかる。

 それと同時に、エルザの体は真逆の方向へと強い力に引き寄せられる。

 嗅ぎ慣れたにおいとぬくもりに、エルザは無意識に安堵した。

 先ほどとは違い優しく握られた手に導かれるがまま、エルザは当たり前のようにその場から駆けだしていた。


「ってて……」


 自分の身になにが起こったのか、一瞬理解が追いつかなかった。

 盛大に地面に打ちつけた腰をこすりながら、隊員は慌てて辺りを見回す。


 そこに、すでにエルザの姿はない。


 あるのは無慈悲にも地面に中身をぶちまけた、テイクアウト用の木製のコップだけである。


「なにやってんだ? お前」

「副隊長!」


 座りこんだまま残念そうにため息をつけば、目の前に黒いブーツが現れた。

 頭上から聞こえた声に上を見上げると、アルヴァーがあきれたような顔で見下ろしている。

 隊員はそそくさと立ち上がると、制服についた砂ぼこりをすばやく手で払った。


「あ! 副隊長すんません! 今そこにエルザさんがいて」

「っ!?」


 部下からの思いもよらぬ報告に、アルヴァーは小さく息を飲んだ。

 エルザの捜索のかたわら、祭りの警備をしていた隊員たちを手伝ってやっていればまさかの想定外の事態である。


――おいおいおい、ドンピシャじゃねぇか。


 ルティスから預かった報告書に記載された情報は、奇しくも『アタリ』だったというわけだ。


「それで副隊長のとこに連れていこうと思ったんすけど、なんか変な男と一緒に走っていっちゃって」

「どんなやつだ」

「へ?」

「その男はどんなやつだったって聞いてんだよ!!」


 アルヴァーはおもわず隊員の胸ぐらをつかんでいた。

 周囲の人々が何事かと不審な視線を送りざわついているが、今はそんなことなど気にしていられない。

 彼は今、重要な証言を口にしたのだから。


 副隊長のあまりの剣幕に、隊員は一瞬冷や汗をかいてたじろいだ。


「え、あ、えっと、銀色の髪で、背は高くて」


 強い力で体を押され地面に倒れた瞬間に垣間見た、知らない男のうしろ姿。

 それをできるだけ正確に、アルヴァーに報告する。

 銀髪で長身、黒いロングコートを羽織り、男は森のほうへと走り去っていった。

 行方不明のはずのエルザの手を引いて。


「くそっ! あのバカ! なんで逃げんだよ!!」


 アルヴァーの吐き捨てた声が、町のはずれに向かって反響する。

 部下の目撃情報は、エルザをさらったとされるヴァンパイアの特徴と一致している。


 だがしかし、なぜエルザはなんの抵抗もなく彼とともに逃げだしたのだろうか。


 脳裏をよぎった嫌な予感を振り払うように、アルヴァーはがしがしと頭を掻いた。

 とはいえ、許された調査期間はたったの七日間。

 遅くとも今日の夕方には、この町を発たねばならない。

 やっと手がかりをつかめたというのに彼女に届かないもどかしさに、アルヴァーは表情をゆがめた。


「あ、あの、副隊長……?」

「あー、悪い。お前は警備に戻れ。エルザのことは他言するなよ。いいな?」


 アルヴァーの言葉に隊員は短く返事をした。

 人混みの中へと戻っていく部下の背中を見送り、アルヴァーは深く息を吐き出す。


――だが、これでエルザに近づいたのは確かだ。


 はじめての目撃情報。本人との接触。

 なんの手がかりもなかった期間のことを思えば、これは大きな前進である。

 少なくとも、エルザは頻繁にこの町を出入りしている。自分をさらったヴァンパイアとともに。

 彼らが森のほうへと去っていったことから、おそらく隠れ家もほど遠くない場所にあるのだろう。


――必ず助け出してやるからな。待ってろよ、エルザ。


 アルヴァーは固くこぶしを握ると、うっそうとした森に背を向ける。

 一刻でも早く、ルティスにこのことを知らせなくてはならなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る