第18話 頼むから生きてろよ

「っ!? もういい! 寝る!」


 耳元をかすめる彼の吐息に耐えきれず、エルザは勢いよくブランケットをめくった。

 ギルベルトの視線から逃げるように背を向けて、そそくさとそれを頭からかぶって横になる。膝を曲げて背を丸めれば、ブランケットの上からクスクスを小さな吐息が聞こえていた。


――笑いごとじゃないっての!


 自分でも驚くほど、ギルベルトから向けられる言動に動揺してしまっている。

 それが余計に己の羞恥心をあおってしまい、彼に悟られまいとエルザは身を小さくするしかなくなっていた。


――なんでこんなやつに……!


 いつもならすぐに反論なりなんなりできるはずなのに、どういうわけか彼に対してはペースが乱され思うようにいかない。


「ふふっ。おやすみ、エルザ」


 このまま本当にふて寝してしまいそうなエルザに、ギルベルトは小さく笑みをこぼした。

 そうしてブランケット越しに彼女の頭を軽くなでると、羊毛の詰められた掛け布団をふわりとその上からかけてやる。

 肌触りのいいシルクのカバーに覆われたそれが、優しく彼女の体を包みこんだ。


――まったく、なんなのよ! もう!


 明かりを消し、部屋を出ていくギルベルトの気配を足元に感じながら、エルザは困ったようにため息を吐き出した。早くなった鼓動が落ち着くには、まだもう少しかかりそうである。



◇◇◇◇◇



 クルースニクイースト支部の隊長室を、重苦しい空気が包んでいた。

 深くイスに腰かけたルティスは、急に降りだした雨が音を立てて窓に打ちつけるのを、ただただ黙って見つめていた。

 雨音に耳を傾けながら、町の景色の向こうへと視線を向ける。

 雨のせいか。霧のせいか。

 かすむ視界の奥で、彼は必死になにかを見つけようとしていた。


 すると突如、隊長室のドアが乱暴に開け放たれる。


「あ"ー、くっそ。急に降ってくるなんて聞いてねぇ」


 赤毛の先から雨水を滴らせ、アルヴァーは大股で部屋へと足を踏み入れる。

 エントランスで部下から手渡されたタオル越しに、彼はがしがしと濡れた髪を掻いた。


「ったく、朝は晴れてたじゃねぇか」


 つい先ほどまでは清々しい青空が広がっていたというのに、この急激な天気の変わりようはどうだろう。

 おかげでアルヴァーは、町での調査を途中で切り上げざるを得なくなってしまった。

 正直、気分はあまりいいものではない。


「おかえり、アルヴァー。なにかわかったかい?」


 ルティスの問いかけに、アルヴァーはドカッ、とソファに腰を下ろした。両膝に肘をつき、うなだれるように前かがみになる。

 頭からかぶったタオルが、彼の目元の表情を隠していた。


「いや、ぜんぜんダメだ。目撃者はおろか、なんの手がかりもつかめねぇ」

「そうか……」


 落胆の思いとともにルティスの吐き出したため息が、部屋の空気をさらに重たいものにする。


 通常任務に加えてルティスがアルヴァーに課したのは、行方不明となったエルザの捜索である。

 彼女の行方に関してなにかしらの手がかりでもつかめればと、アルヴァーは空き時間を見つけては連日のように町での聞き込み調査を続けていた。

 しかし結果は空振りばかり。捜索は予想以上に難航していた。


「まさかここまで手がかりがつかめないとはね……」


 脱獄したヴァンパイアとおぼしき男が仮にエルザをかかえたまま逃走したのであれば、少なからず人目についたはずである。

 目撃証言が得られれば、そこから犯人の逃走先を割り出せるかもしれない。そうすれば、おのずとエルザの居場所も判明するはずだった。

 しかしながら、一向に目撃者が見つからないのである。

 支部の目の前にあるカフェの主人も、その日、そんな人物は見ていないと言う。


「ったく、生きてりゃいいんだが」


 アルヴァーがおもわずつぶやいたひと言は、ルティスにも聞こえたのだろうか。

 部屋には沈黙が流れた。

 無意識に、握った両手に力が入る。

 彼女のものとみられる血痕や死体は見つかっていない。

 まだ生きている可能性は高いが、なにせ相手はヴァンパイアである。いつその血を吸い尽くされ、無惨な姿で発見されるかわからない。

 最悪の事態を想定しながらも、それが現実とならないことを願うばかりである。


――エルザ、頼むから生きてろよ。


 アルヴァーは祈るような気持ちで、大粒の雨が打ちつける窓の外を見遣った。

 雨足は激しくなる一方である。


「…………」

「……アルヴァー」ふとルティスが呼びかける。


「捜索の範囲を、広げてみよう」


 沈黙の中、しばらく考えこんでいたルティスが静かに言葉を口にした。その目はまっすぐにアルヴァーに向けられている。


「支部にいた者を全員気絶させるほどのやつだ。支部周辺の住民の目をあざむくくらい、たやすいのかもしれない」

「たしかにそうかもしれねぇが……。けど『広げる』っつったってどこまでだよ。隣町とかか?」


 暗雲が垂れこめる窓の外で、稲妻がきらめいた。すぐに重厚な雷鳴が轟き、隊長室の大きな窓ガラスを震わせる。


「うちの管轄、全域だ」


 ルティスの放った言葉に、アルヴァーは人知れず息を飲む。


「そりゃまた、大きく出たな」

「無理なのかい?」

「バカ言え。やってやるよ」


 有無を言わせぬルティスのまなざしに、アルヴァーは口角を上げて挑戦的な笑みを浮かべる。

 なんとしてもエルザを救出し、彼女をさらったヴァンパイアを始末したい。

 思いを同じくする二人は、互いに視線を交差させ、力強くうなづきあった。


 必ずエルザを見つけてみせる。


 二人のまなざしには、確固たる決意が秘められていた。



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